第91話 優先するもの
「僕の勝ちだね、エリック。初めて、エリックに勝ったよ。特に、嬉しくもないけどね」
外で鳴っていたはずの音が聞こえなくなってきた。
まだ剣を地面に刺して膝立ちをしているが、少しでも力が入らなくなったら崩れ落ちそうだ。
息をするのも辛くなってきた……。
「後ろに下がらないと思ったら、ティナちゃんが後ろにいたんだね」
俺の後ろで寝転がっているティナを見て、無感情にエレナさんがそう呟くのが微かに聞こえる。
「さっきの爆発でやられたんだ。まあ、やられてなかったとしても君みたいに僕がやるつもりだったから、あまり変わらないけど」
俺の横を通って、ティナの近くまで行こうとしている。
行かせない。
敵とわかっている相手を、無防備になっているティナに近づけさせない。
俺は力を振り絞って剣を右横に振るう。
「っ! ビックリした……まだ動けるんだ」
しかし、反応が遅れたエレナさんでも防げるぐらいの速度でしか剣を振るえなかった。
「すごいね、ユリーナは一瞬で気絶したんだけど」
「っ! ユリーナさんにも、やったのか……?」
こんな近くにいるエレナさんの言葉すら、遠くで言ってるように聞こえる。
「あの子も強くなってたよ。エリックのお陰でね。僕がこの任務に就いて一番想定外なのは君だよ。君みたいな強い子がどうしていきなり出てきたのか、どこに隠れていたのか。まさかフェリクスさんが倒されるなんて思っていなかった」
「フェリクスを、知っているのか……?」
「もちろん、僕のスパイで得た情報を一番高く買っていたのはフェリクスさんだからね。本当はリンドウ帝国じゃなくて、フェリクスさんの軍が攻めてくるはずだったんだ」
そうか、前世でも、エレナさんはスパイとしてベゴニア王国の兵士になっていたのか。
だから、この戦いの時期が前世でも今世でも同じなのか。
二回ともエレナさんが情報を流していたから、副団長のリベルトさんとビビアナさんがいない時に攻められている。
「リンドウ帝国が弱いから僕が少し手伝ってるんだけど、まさか君とビビアナ副団長が戻ってくるとは思わなかったよ」
やっぱり、さっきの爆発はエレナさんが引き起こしたものだった。
「だけど、君が戻ってきてくれて助かったよ。リベルト副団長だったら、難しかった」
俺の目の前にしゃがんで、視線を合わせてくるエレナさん。
目が霞んで少ししか見えないが、それでも笑っているのがわかる。
「エリックは優しいから、僕と戦うときに動揺すると思ったんだ。だからこんな簡単に倒せたよ」
「――っ!」
俺は咄嗟に目の前のエレナさんに剣を振るう。
しかし、遅かったのかエレナさんが予想していたのか、簡単に避けられてしまう。
「なんで、なんでだ……! 全部、嘘だったのか……! 一緒に生活してきた全部が、嘘だったっていうのか……!」
荒くなってきた息を抑えながら叫ぶ。
この一か月、共に暮らしてきた。
一緒に訓練して、仕事をして、風呂にも入ったりした。
あの行動、言葉、笑顔は嘘だったのか。
「……嘘、だったのかな。僕にもわからない。スパイという任務を忘れなかった、と言えば嘘になる。一緒に笑ったのが全部嘘だなんて、言えないよ」
今までずっと無感情に話していたエレンさんの言葉だったが、少し感情が乗ってるように感じる。
「じゃあなんで、こんなことを……!」
「任務だからだよ。生きるために仕事は重要でしょ?」
仕事? 生きるため?
別に仕事なんて、スパイとしてやらなくても大丈夫なはずだろ。
ベゴニア王国の兵士になるのだって大変だ。
エレナさんも三年かかったと言っていた。
この仕事だけでも生きていけるはずだ。
「君は、真っ直ぐだよね。何かの目的のために真っ直ぐ生きてきたんだろうね」
「なにを、言って……?」
確かに俺は、前世でしてきた後悔をもうしないように。
失ったものをもう失わないように、生きてきた。
その目的のために。
「僕は真っ直ぐじゃ生きてこれなかったから。曲がって、ねじれて、腐って生きてきたから」
どういう、ことだ?
意味が、わからない。
「君が僕を倒すために動揺したのは、君が真っ直ぐだから。僕が君をすぐに倒せたのは、僕が曲がっているから。その違いだよ」
もう一度、エレナさんは俺の目の前にしゃがむ。
俺はもう、剣を振るう力も残っていない。
「君は僕を友達だと言ってくれたね。僕もそう思ってたよ。いや、今もそう思っているかも」
「じゃあ、なんで……!」
「簡単なことだよ、優先するものが違うだけ」
肩に鋭い痛みが走った。
霞んだ目でよく見てみると、肩に短剣が刺さっている。
エレナさんが俺に、刺したのか。
「僕は『目的』のために、君を攻撃できた。君は優先したものが友達だったのかもしれないけど、僕は『目的』が優先だった」
その言葉を聞いて、一気に身体の痺れが増してきた。
肩から短剣が抜かれるとともに、そのまま倒れ伏してしまう。
「今まで楽しかったよ。またどこかで会おうね。そのときは、敵同士だけど」
その言葉を最後に、俺は意識を手放してしまった――。




