サンドバッグの活躍
それは、夏休み前に遡る。
眩しいぐらいにお日様きらめく、昼下がりの午後。
ミシェル・グロリアスは軽快にステップを踏みながら、その日も元気にサンドバッグを殴打していた。
訓練場の片隅、身体を動かす青少年たちが休憩を取る時に木陰を提供できるよう、何本かの木が植えられている。その木々から吊り下がる、色とりどりのサンドバッグたち。
赤・青・黄・桃色・緑……五色の王子達をイメージして少女が手づから作成したサンドバッグたち。
拳を受ける度に、大きく揺らめく。
より王子達を連想しやすいよう貼り付けられたイラストが、何度も打ち付けられた拳の痕跡を刻んでいた。
赤いサンドバッグには駄犬チックな赤い柴犬が。
青いサンドバッグには長い睫毛の青いラクダが。
黄のサンドバッグには丸っこい黄色のヒヨコが。
桃色サンドバッグには吠える桃色ポメラニアンが。
そして緑のサンドバッグには岩礁に打ち上げられた緑のワカメが。
存在感ばっちりなサンドバッグに、重い音を響かせて少女の拳がめり込んだ。
少女の拳は、その日も絶好調だった。
そんな、気分よくノリノリでサンドバッグを殴打する少女の元に。
ノリノリ過ぎてクラスメイト達もドン引きでちょっと距離を開ける少女の元に。
敢えて近づく男が一人。
「精が出ますね、グロリアスさん」
「あ、先生こんにちはー」
魔法騎士コースに所属する教員の中でも、特に若い教師だった。
年齢の開き的には生徒達にとってお兄さんくらいの年齢差で、気さくな性格。
ともすれば生徒達に舐められて調子に乗った態度を取られてもおかしくない。
だけどそこは己の存在価値を魔法と武力によって証明する魔法騎士コースの教員で。
中々食えない、一筋縄ではいかないと若いながらに一目置かれている教員だった。
前に舐め切った態度で逆らった生徒三名を、容赦なく学園の正門アーチから逆さに吊って一時間放置したという素敵な武勇伝をお持ちなのである。
なお、三名まとめてミノムシの刑に処して以来、彼を舐め腐っていた生徒達は鳴りを潜め、以来表立って逆らう生徒はいなくなったとか。
ちなみに魔法騎士コース全体に知れ渡っているその逸話の当事者となった生徒三名は、学園の上級生に進級した今もこの教師に対しては頭が上がらないらしい。
反抗的な態度さえ取らなければにこやかで友好的な先生なので、後ろめたい事がなければなんという事はないのだけれども。
「先生、どうしたんですか?」
「いえ……魔法騎士コースの訓練場隅で、人間が吊られているとの申告があったので様子を見に来たのですが」
教師の言葉に、少女はちょっと首を傾げた。
それから少女と教師、二人は揃って側の木を見上げた。
正確に言うのであれば、木から吊り下げられたサンドバッグを。
「どうやら、見間違いだったようですね。人間ではないようですし」
「あー……これを設置した当初、人間の絵姿を貼っていましたの。見間違いを誘発してしまったのかもしれませんわ」
「なるほど、そう言う事ですか。サイズ感や重量的に、人間のように見えないこともありませんしね。実際は全く違いますが。そこに人の顔が付いていたのなら、尚更でしょう」
なお、言うまでもないが貼り付けられていたのは、どこぞの青髪垂らした青びょうたんである。
今ではその似顔絵もクラスメイト達に諫められた結果、青いラクダの絵にすり替わっているのだが。
「ですが言われてみれば、これは確かに重量感もサイズもピッタリですね……」
「え?」
「どうでしょう、グロリアスさん。これはグロリアスさんの私物だという話ですが、夏休みになったら暫く私達に……魔法騎士コースに貸与していただくことはできますか?」
「殴るぐらいにしか役に立ちませんが、何に使うんですか? 貸すのは構いませんけれども」
「そうですか、貸してくださいますか! では、注文を付けるようで申し訳ないのですが、併せて依頼をさせていただいても?」
「依頼ですか? えっと、このサンドバッグに関連して、ということですか?」
「ええ。実はグロリアスさんは絵心をお持ちだと伺いまして。このさんどばっぐ? ですか? これを間近に見て、貼ってあるアニマルの絵を見て確信いたしました。グロリアスさんは実に絵がお上手だ」
「そんなに褒めても拳しか出ませんが……私に一体何をさせるつもりですか、先生」
というか絵が上手なんて魔法騎士には全く関係ない評価を、先生はどこで聞いたんだろうか。
……実はこの教師、魔法騎士コース生1年生が生活する寮の寮監でもあった。
そこでとある一年生が裸の女体を描いた抱き枕を所持していると耳にして、様子を見に行ったことがある。過激で写実的なブツであれば公序良俗によろしくないので没収する心積もりであったが、そこで目にしたのは裸体は裸体でも土人形の裸体、異世界で言うところの『縄文のビーナス』が描かれた抱き枕カバーであった。
なお、特に没収の必要が感じられなかった為、抱き枕カバーは生徒の所持が認められたそうな。没収を免れた抱き枕カバーの製造者を念の為に確認し、出てきた名前がミシェル・グロリアスだったという訳である。
「このサンドバッグ? 五つと共に、グロリアスさんには是非人物大の絵を描いていただきたい。これに被せられるサイズの、枕カバーに」
「なるほど、敢えてサンドバッグを人の代わりに使う、ということですわね。私はどのような人物画を描けば良いのでしょう? 指示書などございます?」
「そうですね。グロリアスさんが想像する高貴で品の良い五人家族を。ああ、実在の人物は避けて下さいね」
「高貴で品の良い、五人家族……予想外の注文ですわね。構成する人物について五人家族以上に注文は?」
「家族の構成要素含め、グロリアスさんにお任せしますので、描きやすいようにどうぞ」
そう言って、教師は微笑んだ。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
家族の人数と、高貴でエレガントな人物であること。
それ以外の注文はなく、細部は割と丸投げだ。
人によってはキレてもおかしくないけれど、私はそこまででもなく。
むしろ、あの『ビーナス』を作画したのが私だと知った上で、敢えて人物画を依頼してきた勇気に感心したので。
私は人知れずやる気に満ちていた。
これ以上はないほど、やる気を迸らせていた。
迸るやる気で闘志を燃やしながら、私は決意したのである。
――『この世で最も高貴でエレガントなお方』と、その家族を描いたろう、と。
そうして私が描き上げた、五枚の抱き枕カバー(サンドバッグに被せられるゆったりサイズ)。
そこに等身大で描かれた人物画は、内訳を言うなら金髪碧眼の美女が三人。野郎が二人。
描き上げ私は、この上ない充足感に嘆息した。
「大作だわ……」
まるで銀河の彼方から見守り、人類へ救済の手を差し伸べてくれる女神の如き女王様。
その姿は他と比べようもなく、高貴でエレガントだ。
そして、女王様の旦那さんと、姉妹にしか見えない娘さん。
加えて旦那さんの弟と、女王様にやたらそっくりな弟の恋人。
完璧だ。完璧な、五人家族である。
「旦那さんの弟とその恋人じゃなくて、女王様の妹とかでも良かったかな?」
注文人数に五人って制限さえなければ、女王様の妹様も描いたのに。
何はともあれ、完璧に注文通り高貴な人物とその家族である。
私は完成した枕カバーを意気揚々と先生に託し、夏休みになったらサンドバッグを貸与する事を正式に魔法騎士コースの先生方とお約束した。
そして、今である。
魔法騎士コースの先生方からの指示により、強化合宿の初日と言う事で魔法騎士コース全学年合同で『山賊と暗殺者』という聞いたことも無いゲームをすることになった訳であるが。
なんでも騎士関係の間では定番だというゲーム……
その説明の場で、なんという事でしょう。
めっちゃ見覚えのあるブツが、運び込まれたんだけれども。
それはどこからどう見ても。
私が描いた『高貴でエレガントな人物+その家族』という人物画と。
それを被せられた五色のサンドバッグ……夏休みの間、貸与してくれってこういう事ですかい?
「このゲームでは、四つの立場に分かれて行われます。皆さん、騎士の本分はわかりますか?」
生徒に問いかける形をとりながら、それでもサクサク進行して先生は宣う。
騎士の本分とは、『守る事』にあるのだと。
「これから配る籤で、班ごとに三つの立場に分かれて頂きます。即ち、『騎士』と『山賊』と『暗殺者』に。ああ、先ほど四つの立場に分かれると言いましたね? 本来であれば四つ目の立場として『要人』あるいは『保護対象』として『騎士』とセットになる立場に人を分けるのですが……今回は全学年合同であり、低学年の諸君はまだ『要人警護』に関する講義を受講前ですからね」
『要人』を守る為のイロハ、護衛とはなんたるかについて学びが不十分な人間が一定数いる。
その場面で、実際の人間を『要人』に当てはめるのは難しいとの判断だそうで。
そこで『要人』として、人間の代わりに人間に似せた何かを用意する事となったとな。
うん、そこで私のサンドバッグ×五を出されて、私、とても複雑なんですが。
しかし成程、『要人』。
それで『高貴でエレガントなご家族』っていう注文だったんだね……。
先生に並んで立たされた、サンドバッグ。中でも特に目立つ、長く垂らされた金髪に長い睫毛で彩られた煌めく碧眼のエレガントな美女。その姿が何というか……えらく、人の目を引いていて。
燦然と充分な存在感を放つサンドバッグ。
その持ち主であり製作者として、私は何とも言えない気分を味わっていた。




