それはラジオ体操のノリではじまった。
地獄の強化合宿、一日の流れ説明会(朝編)
合宿の朝は、太極拳から始まった。
なんでやねん、一度だけそう思った。
多分この砂浜のどこかで、シトラス先輩当たりも同じことを思っている事だろう……。
朝日が顔を出すより早く、生徒一同、海岸に連れ出される。
これから何があるんだ、まだ朝食前だぞ、とさわさわする生徒達。
戸惑い、困惑、とりあえずみんな惑ってることには違いない。
そうしてさわさわするみんなの前に、進み出る一つの影。
師父だった。
我らが師父、イシュタール男爵王老師。
老いてもなお矍鑠とした姿がキビキビとしたキレのある足取りで海を背後に、私達の前に。
なんかもう、その時点でちょっと特殊なナニかが始まる気配がしたよね。
私を通して少なからず師父の事を知っている魔法騎士コース一年生の間に、ちょっとした動揺というか……戦慄が走ったような気がした。
そうして師父が、異論を一切認めないと言わんばかりに。
堂々とした張りのある声で言ったのだ。
「一日の始まりじゃな、諸君。急な運動は体を壊す元となる。貴様らには合宿期間中、一日の初めに準備運動として儂の動きを模倣してもらう。なに、簡単な準備運動とでも思えば良かろう。初日ということで解説をしながら動きの説明をしてやろうではないか。だが明日からは説明などしてやらんので一度で覚えるんじゃな」
朝から最初にする運動って言ったら、私は真っ先に『ラジオ体操』を思い浮かべるんだけどさ。
どうやら師父はそこからして私達とは違ったらしい。流石は師父。
師父の発想にあったのは、彼の方の故国に古くから伝わるという伝統的な動き。
曰く、古式ゆかしい武術由来の体操とのことだけど。
それがどっからどう見ても……前世の世界で太極拳と呼ばれるアレだったんですが。
師父、私に一体どんな反応をしろと……?
なんかこっちの世界での名称は『太極拳』とは言わないらしいけど、もう見るからに太極拳。
その一種独特な動きは、太極拳としか思えない。
みんなやったことのない、不思議な動き。
千人規模の参加者たちが、師父や師父に教えを受けた先生方より直接の指導を受けて、ゆったりとした動きを言われるがまま真似していく。それがとても難しい。
西洋風世界観の、早朝の海岸で、魔法学園の教員・生徒達が皆で一斉に太極拳(っぽく見える体操)……。
朝のラジオ体操と同じノリで、ラジオ体操の代わりに太極拳を強要される西洋風魔法学園の夏合宿。
特殊な思い出深い夏になりそうだぜ……。
傍目にえらくシュールな光景を作り出しているような気がするのは、私の気のせいだろうか。かくいう私も、その光景を構成する生徒のひとりなんで、客観的にどう見えているのか正確なところはわかってないんだが。
マジにこれ、なに?
開始してそれ程、間を置かない内に。
私だって地味に関節とか節々にキたけどさ。
同じく身体が若干悲鳴を上げ始めているらしい、魔法騎士コースの同胞たちが少し苦しそうな顔をしている。苦しそうにしつつ、何とか師父のお手本に食らいついて真似っこ太極拳を続けていた。
だけど、普段から飛んで跳ねて殴って蹴ってと体を動かしている私達魔法騎士コースは、身体を使うことに馴れている分だけまだマシだ。
他のコースは……研究コースは特に、普段から引きこもりがちで滅多に体を動かさないヤツばっかりだからさ。そんな彼らにいきなり丁寧な指導は後回しにして、とりあえずお手本を見ながら続けて真似してやってみよう! とかそんなノリで太極拳もどきをするよう強要させたらさ。
そりゃもう、当然ながら。
私達魔法騎士コース生よりも、限界が近い人ばかりな訳で。
根性がなさそうな生徒から、次々に発せられるリタイヤ宣言が頻発した。
朝の海岸に、「ギブギブギブギブギブ……!!」とけたたましい叫び声が、そこかしこから聞こえていた。
そして先生方の咎める声もお構いなしに、倒れるようにして座り込む面々……。なお、真っ先に座り込んだのは、気のせいじゃなければ、小柄なピンク色の毛髪を揺らしたナニかだった気がする。
おいこら桃介、若いのになんだその体たらく。体力なさ過ぎ、関節硬すぎじゃねーの?
青汁? アイツなら開始すらしねーで溶けてるよ。徹夜が響いて動けないとかほざいてやがった。そもそも始めてすらいないので、アイツの存在はカウントしていない。
青汁に限らず、研究コースの生徒は少なくない数が無理だと叫んでいる模様。
お前ら、夏合宿に来てまで、なんで徹夜してんだよ。
合宿に何しに来てんの? 強くなる為なんじゃなかったの?
色々、解せぬ。
その思いを込めて、研究コースの生徒達には胡乱な目を向けておいた。
ここでサボっても、後で指導がよりきつくなるだけだろうにな。
なお、予想通りというか、案の定というか。
いきなりの初見太極拳にも関わらず、苦も無くついて行っている男が一人。
こいつホント、身体使う運動系には強いよな……黄三郎のやつ。
何しろ出身は『騎士の国』って別名で名を馳せる黄の国。男も女も武を磨く国民性だ。
素の能力値で物理系チートみたいな民族国家の王子だからな、物理系強者の集大成みたいなセンスしてやがる。しかもそれが武力・武術に関わる事だと、より適応能力が高いっていうんだから。
偶に思う。こいつ、なんで魔法学園にいるんだろう……?
素直に親父さんや兄貴と同じく騎士になっておけば良いものを……そっちの方が絶対、才能活かせただろうによ。兄貴の王位継承の障害になりたくないとか、余計な気を回した結果が魔法学園への留学だっていうんだから極端に走り過ぎだよ。空回りしていることに本人は気付いてないんだろうけど。
黄三郎のヤツ、そのうち考え過ぎでハゲんじゃね? ははは(笑)
簡単なとこから始めて、どんどん動きが複雑化していく。
真似をするよう言われても、だんだんきつくなっていく。
師父の動きを手本とするよう言われていても、見るのとやるのはやっぱり違う。
それでも合宿中、毎朝必ず太極拳タイムが設けられた。
そして、私達は毎朝、真剣に師父の真似をつづけた。
合宿に参加している、全員が同じように真剣に真似をしていた。
なんでかって?
それはね、この太極拳タイムの態度がモロに響くからだよ。
……朝食が。
朝食の量と質は、どれだけ太極拳に真面目に取り組んだかにかかっていた。
食を握って従えようとする。
先生方、汚いっすね。でも嫌いじゃないです。
そもそもが私は最初から真面目にやるつもりなんで、私にとっては他人事だもの!
どんな年代の、どんな身分の子でも。
成長期の身で、一日のエネルギー源である朝食を握られるのは文字通り死活問題だ。
飢えだけは、どうにもできん。
そしてハードな一日を贈ることになる強化合宿で、朝飯抜きは何よりも耐え難い、そうだ。
合宿中、ずっとやり続ける事になる太極拳(っぽい師父の故郷の体操)。
これを真面目にずっと続ければ、なんか無駄に強い体が手に入りそうではあった。
そんな色々と謎な朝の一幕を終え、太極拳の後で支給される朝ご飯を腹に納めて。
そこまでいってもまだまだ一日のプロローグ。
地獄の強化合宿の本領は、ここからだ。
その、本領。
何をやるのかって言ったら初日に将軍様が言った通りです。
即ち、体・力・づ・く・り!!
やることはひたすらに、ひたっすらに! 身体を作る為の基礎訓練。
即ちトレーニングと筋トレである。
ここでもお外に出たがらない研究コースを中心に、魔法騎士コース以外の生徒達が阿鼻叫喚となったのは言うまでもない……彼らの悲鳴で耳が痛くなったので、明日からは耳栓つけてやろうっと!
ちなみに魔法騎士コースの生徒からも、トレーニングメニューについて行くのが困難で砂浜に膝をついて固まっているヤツが結構な数存在した。
地獄の枕詞は伊達ではないのである。
前にも言った通り、魔法騎士コースはハンデとして重り着用の参加&ノルマが他コース生たちの軽く倍だからな!
私もちょっとついて行くのが大変だけど、こちらは普段日頃から学園の指導とは別に、師父に個人指導を付けてもらっている身だ。
体力づくりの段階でついて行けないとなっては、師父に合わせる顔がない。
ほぼ毎日、至近距離で遭遇するのにな!
前々から、師父に鍛えてもらっていて良かった。
朝の基礎訓練を何とか乗り越えながら、素地を整えて下さった師父に地味に感謝する私だった。




