東小の英雄
前半は、主人公が前世で死んだ時の経緯を書いています。
そういうのが苦手な方は、自己回避お願いします。
水森 栄は、東小に通う普通の女の子だった。
春は河原でルールの怪しい草野球に勤しみ、夏は山で昆虫を追いかける。
秋には祭りで射撃屋台の店主を泣かし、冬は雪合戦で覇権を競った。
時に度胸試しと称してクラスの男子とナニかを競い合い、飼育小屋の鶏と学校中を走り回った。
至って普通の、健全な、どこにでもいる小学生(自称)だった。
時として実の姉に、女の子であることを疑問視される事もあったけれど。
このまま何事もなく、周囲の皆と馬鹿をやったり笑いあったりしながら、なんてことない普通の日々を紡いで大人になっていくのだと。
誰一人疑うことなく、その健やかな成長と未来を信じた。
あの、どこまでも透き通るような。
青い空が人々の嘆きに一滴、涙の雨を零した午後が来るまでは。
その日は季節よりも暑く感じられた。
学校のあちこちで窓が開いていて、白いカーテンが風をはらんで大きく翻る。
よくある日常の筈だった。
前触れは、何もなかった。
ただただ何が起こったのかも、正確には理解できないまま。
皆が現状に炙られ、翻弄された。
正常に、冷静に物事を考えられた者が、どれほどいただろうか。
平日の昼間だった。
彼女達の通う小学校に、不審者が侵入したのは。
両手に握った刃物が、何故か既に赤く塗れていた。
後から、あれは近隣の民家で飼われていた犬の血だと知れる。
目を爛々と血走らせ、何を思ってか……何を望んでか。
自分の存在を主張するように、異様な風貌の男は校舎の廊下を駆け抜けた。
そこは普通の学校で、守衛なんてものはなく。
門は閉ざされることなく、複数カ所ある出入口は解放されていた。
侵入者に対する警戒は、ないも同然だった。
男は見咎められることも無く学校へ入り込み、そして。
こどもたちを、襲おうと。
成人男性で、手には刃物。
見るからに異常な様子で、一言で表すのであれば、そう。
男は、血に飢えていた。
平和な日常、平和な学校を見るも無残に破壊しつくそうと男は嗤う。
学校は阿鼻叫喚、教師は狼狽え、生徒は逃げ惑う。
混乱の中、冷静に、慎重に誰が動けただろうか。
何人かの教師は生徒達を落ち着かせて避難を誘導しようとしたが、狂騒の中で人の声もまともに耳には入らない。
ただ、逃げなければと。
男から、少しでも離れなければと。
秩序をなくして子供達が逃げる中、逃げ遅れた者がいた。
恐怖に竦んで動けなくなってしまった下級生と、その子を連れて逃げようとした上級生。
まだ体が出来上がっていない子供が、自分より小さいとはいえ子供を抱えて逃げるのは難しい。
まして、不審者が間近に迫った極限状態の中では。
火事場の馬鹿力を発揮して常以上の能力を出して逃げ切るか、あるいは委縮して常以上に動けなくなってしまうかのどちらかだろう。
逃げ遅れた二人は後者であり。
そして、水森栄は前者だった。
動けなくなり、廊下に蹲って頭を抱える下級生、塩原 燕。
燕を庇うように抱きかかえる上級生、饗庭 雅弓。
二人に向けて不審者の鉈が振り下ろされようとした、その時。
不審者の、横合いから衝撃が走った。
現場は廊下で、当然ながら廊下の左右には窓がある。
外に繋がる窓と、教室との間を隔てる窓だ。
どこの学校でもそうであるように、教室には前後の端に一カ所ずつ出入口があった。
しかし廊下側の入り口とは別に、もう一か所、教室への出入り口があった。
教室の窓側にはベランダがあり、各教室と繋がっている。
極限状態の中で、他人を構っていられる余裕を持てる人間は少ない。
だけど水森栄は、その少ない人間の一人だった。
自分の親友と、舎弟。気心の知れた二人。
そんな二人の危地に、気付いてしまった。
気付いたからには放って置かぬのが、水森栄という少女だった。
彼女は、思い切りが良すぎて容赦がなかった。
それだけ必死だったともいえるかもしれない。
通り魔に容赦する必要を感じていなかったこともあり、思いっきりいった。
正面から立ち向かうことに勝算はないと瞬時に判断し、ベランダ側から教室へ潜入。
不審者の横へ回り込み、タイミングを見計らい……
廊下で震える二人の子供に襲い掛かろうとしたタイミングで、水森栄は助走をつけて襲撃した。
教室の廊下側にある窓から、ぶち破るようにして。
不審者を襲う、少女の飛び蹴り。
助走をつけて、全体重の勢いを乗せた襲撃だった。
相手は成人男性ではあったが、よく見ると肉が薄く、体格は良い方ではない。
不健康そうな痩せ方をしていた為か、相手が子供であっても全身全霊での一撃を受け止めきれるものではなかった。その上、予想外の方向からの不意打ちだ。
真横から、割れたガラスを巻き込みながらの飛び蹴りに、男は怯んだ。
咄嗟に避けようとした為、余計に体勢が崩れて足元がもつれる。
辛うじて転びはしなかったが、それも教室とは反対側の窓際……壁に叩きつけられて崩れ落ちずに済んだだけの事。
痛みと衝撃で、何が起きたのかと停止する思考。
水森栄はそれを隙と捉え、加えて彼女はチャンスをふいにする性格ではなかった。
ここだ、畳みかけろと内なる声が叫ぶ。
我を忘れる程の必死さで、この時、彼女はただただ敵を排除する事しか考えていなかった。
我が身が、どうなろうとも。
窓枠にしがみ付き、身体を支える不審者。
その身は、半分窓から外へ乗り出すようで。
そして彼らがいるのは、校舎の四階だった。
窓の下には、アスファルトで舗装された硬い地面。
小学生の飛び蹴り一つで窓に叩きつけられ、危うく落下するところだったと悟って不審者はゾッとする。
自分がそうやって恐怖させられた事に、心臓の鼓動が収まってくるのと共に腹立たしさが増してくる。
思い知らせてやらなければ。
男が鉈を強く握りなおそうと、逆に手の力を若干緩めたその時。
身体の側面を、再度の衝撃が襲う。
窓にしがみ付くようにしていた身体を、むしろ叩き落してやろうと。
飛び蹴りで廊下へ飛び出し、着地と同時、即座に体勢を立て直した水森栄が。
今度は更に果敢に、不審者へと体当たりを敢行していた。
それは、自分もろとも窓の外へと飛び出していく勢いで。
不審者の身体にぶつかっていく刹那。
水森栄は、目を見開き、顔を歪めて自分へと手を伸ばす親友を見た。
大粒の涙をこぼしながらも、状況を理解できず、呆然と自分を見つめる舎弟を見た。
二人に共通していたのは、信じたくないという思いと広がり始めた絶望の気配。
自分を凝視する二対の眼差しに、ぐっと親指を立てて僅かに口元で笑ってみせる。
直後、覚悟していた通りに。
水森栄の小さな体は、痩躯の不審者諸共、四階の窓から真っ逆さまに転落していった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「――と、いうのが私の前世の死因な訳ですが」
「なんかさらっと語られたけれど、そんな淡々と語るような末路じゃないわよね!? ドラマチックな死因過ぎてこっちの肝が縮みそうなんだけど!」
「私としては、自分の前世が相手を道連れにするような根性ある人間で、ちょっと誇らしい気持ち」
「やめて、反応に困る!」
「でもさっき、『東小の英雄』っての、私の前世の死因に纏わる異名だって言っていましたわよね。ミリエルさん、私の前世の死因を御存知だったのでは?」
「私もニュースと噂で知ってるだけで、そんな詳細を知ってた訳じゃないわよ。というか当事者の口から語られる話とか生々しすぎて……!」
「なるほどー? でも私としては相打ちに持ち込んだだけで、勝負には勝った感あるけど完全勝利って訳じゃないし、英雄呼ばわりはちょっとアレなんですけど」
「私が呼び始めた訳じゃないし、私にそれを言われても」
「やだなぁ、英雄なんて恥ずかしい。前世の家族も早々と命を手放した親不孝娘がそんな呼ばれ方して複雑この上ないでしょうし」
「でも人命を救ったのに違いはないでしょ」
「それはそうなんですけどね」
何故か話が転がって、私の前世の末期を語る流れになっていた。
だから語ってみたんだけど、語れば語る程、ミリエルさんが項垂れていく。
おいこら、人の前世の死因に対してナニその反応。
はい? どんな反応すれば良いのかわからなくて居たたまれない?
「というか私、なんでこんなくそ重たい話を拝聴する羽目になってるの? おかしい、おかしいわ……確か予定では、もっとライトな話を聞くつもりだったのに」
「へえ? 例えば?」
「例えば……そうね、例えば、前世で好きだった食べ物で、現世でまた食べたいものとか?」
「なるほどー。でも、私、見聞きしたことは基本覚えてるんだけど、味覚や触覚の情報はあんまりなんですのよねぇ。どんな食べ物か見た目は覚えていても、味が記憶にない感じ? お陰でそこまで前世の食べ物への執着はない、かもしれない。味に予想がつく食べ物は、大体似たような料理が現世にある奴だし。あったら食べてみたいかもしれないけれども」
「覚えている範囲、ちょっと偏り過ぎじゃない? まあ、良いわ。話に付き合ってもらっている礼って訳じゃないけど、再現できそうな料理だったら挑戦するわよ? 食べてみたいもの、あるかしら」
「ダメ元で言ってみますか。前世の私の好物……確か、タラの芽? あと、フキノトウ。山芋を揚げたヤツとかも大好物だった気が……」
「渋っ! ちょ、前世じゃ小学生だったって言ってなかった!?」
「享年、十一歳です」
「小学生の味の好みじゃないわよ!? 小学生ってもっとこう、鶏のから揚げとかハンバーグとか!」
「ハンバーグは今生でもあるし。唐揚げは……そういや食べたことないな? 私の記憶だと出汁とか、醤油で下味をつけた唐揚げが好きだった気がするんですが……醤油なんて、この国にあったっけ?」
「………………キノコ出汁ならなんとか、作れないでもない気が」
「鰹節なんて見たことも聞いたこともないしね」
無い物ねだり、ってこういうのも言うんだろうか。
幸い、味覚に関しては記憶が薄いんで、そこまで前世の味が恋しいって訳でもない。
だけど見ているとどうも、ミリエルさんは違うらしい。
料理の話題を自分で出しておいて、若干辛くなってきてない?
顔が物凄く、こう、なんというか……苦悩に満ちているぞ?
ぞ?
そして露骨に話題を変えてきた。
「え、ええと、そうだ! 前世で初恋ってどんなだった!?」
「さっきも言った気がするけど、私の前世、恋愛方面は情緒未発達だったんすけど」
「真剣な奴じゃなくていいのよ! むしろ、そう、憧れとかそんなレベル……むしろ、アニメとか漫画の二次元キャラでも良いわ。物凄~く好みとか、初めて素敵だと感じたキャラとか」
「それだったら——」
ミリエルさんのいう、凄く好きだったアニメキャラ。
なんとなく該当するキャラがいたので、名前だけ告げてみる。
「へえ……意外。あなたって頭いいキャラがタイプなの?」
「頭がいい?」
「え? 頭、良いわよね。アレでしょ? メガネに蝶ネクタイで、外見と実年齢が一致しない……」
「違う」
「え?」
「タンクトップに短パン、裸足がデフォルト。人間の業によって文明の亡びた世界を舞台に、銛一本片手に自分の体長よりも大きな鮫を身一つで仕留める野生児キャラだよ。こう、まだ少年なのに旧文明の遺産である鉄の兵器を平然と破壊したりする、素で割と超人な」
「私の知ってるヤツと違う!?」
「勇気と根性と男気溢れる、心身共に強靭な頼れるナイスガイです。なお、その言動に知性は基本感じない」
「ちょっと待って、いつのアニメ!? それ、いつのアニメなの!? 私の記憶にヒットするものがないんだけど……!!」
「私の前世の、お父さんが子供の頃見てたアニメらしいよ。小さい頃、一緒にレンタルして見たんだ」
「親御さんの子供時代って何十年前だよ……!!」
私が好きなアニメって、大体が前世のお父さんに影響されて見たヤツなんだよね。
だけど、どうやらミリエルさんの知らないアニメだったらしい。
他にもいくつか、好きなアニメのキャラを言ってみたんだけど……尽く、話が通じなかった。
終いには物凄く怪訝そうな顔で、ミリエルさんはこう言った。
「ねえ、あなた……前世の年齢誤魔化してない?」
「失敬な」
私の前世は間違いなく平成生まれの、小学生。
そのことで、一体どこに疑問があるというのか。
「……でも、やっぱり色々おかしいのよね。おかしいと言えば、生没年もそうよ? 私の記憶が確かなら、『東小の英雄』って前世の私が死ぬ二年か三年前に亡くなっている筈だもの」
「え、そうなんですか?」
「そうよ。なのに、どうして……私達、同じ十五歳なの?」
私に向けて、深まるミリエルさんの疑惑の眼差し。
ただ、なんとなくだけど。
私はその疑問の答えを知っている気がした。
「それはアレかな、私が前世で死んだ後、家族や友達のメンタル面が心配で暫く地上に留まって観察していたせいかも」
「地縛霊経験者!? え、なに、その予想だにしない回答。っていうか死んだ後の事も覚えてるの!?」
「不思議な事言うなぁ。前世の記憶を覚えているのに、どうして前世と現世の間の事だけすっぽり忘れられると?」
「私は覚えてないわよ!? 死んでた間の事なんて」
「へー……それじゃあ、あの、『乙女ゲームと同じ世界に転生しませんか?』っていう神様の勧誘も覚えてないんですね」
「覚えている筈m……って、ちょい待ち? え? いま、なんて???」
「神様。勧誘。この世界への。覚えてないんですか」
「ちょ……っと、ま………………今日一番の爆弾発言を、こんな流れでサラッと口にするんじゃないわよ————!!!!」
何故か、この後。
私はミリエルさんに襟首を掴まれ、超がっくんがっくん前後に揺さぶられる羽目となった。
ミリエルさん、ちょっと激しいよ。
さらっと重要そうな情報をぽろりするミシェル嬢。




