牛の首と山羊の首
気になる牛の品種は……?
a.ホルスタイン
b.オーロックス
c.カスティーリャン
d.牛頭
e.ミノタウロス
f.牛魔王
g.神戸牛
牛と山羊がこっちに向かってくるってよ!
暴走状態なのが遠目にも察せられる、巻き上げられる砂煙。
土を蹴立てる獣の足音が、その勢いを伝えていた。
慌てて逃げ惑う、牧場の人たち。
人々の姿に紛れて獣の姿はまだよく見えないけれど、着実に接近してきているのはわかる。
そんな中、私達は咄嗟にどう行動するべきか逡巡して足を止めていた。
行動に迷って足を止めるなんて、戦場では自殺行為。
だけど今は許してほしい。
想定外なんて言葉は言い訳にもならないけれども、私達だってまだまだ経験不足で未熟な訓練中の身だ。流石に視察に来た農場で獣の暴走とかち合うとか想定外もいいとこだ。
これが魔物とかならまだしも、相手は家畜だろ?
魔物なら、とりあえず攻撃すればいい。倒せばいい。
しかし家畜となれば民の財産だ。人死が出るレベルで手がつけられないって言うんならともかく、ただ暴走しているってだけで傷つけるわけにはいかんだろ。
そう思ってしまうと、一気に体が重くなる。なんだか足の動きも鈍い。
こういう時、瞬時に判断して動けるのが優秀な騎士なんだろう。
足を止めてしまった私たちみんな、要精進である。
そしてそんな混乱の最中。
状況を私の危機とでも、感じ取ったのか。
私の肩にしがみ付いていたサブマリンが、なんか動くのを感じた。
ヤバイ。
咄嗟にそう思った。
むしろサブマリンが動いたことに微妙に危機感を持って、慌てて亀を注視する。
かぱっと。
サブマリンが口を開いた。
こぉぉぉぉぉ……何かが収束していくような、独特な音が聞こえる。
サブマリンの喉奥で、光を増すナニかがある。
……ヤベェ。
「す、すとぉぉおおおおおおっぷ――――!!」
咄嗟に私は、サブマリンの口を押さえにかかっていた。
民の財産、無為に傷つけたら駄目って言うたやろぉぉぉ——! ←口に出しては言ってない。
いきなり無造作に、躊躇いなく攻撃しようとしやがって!?
お前の破壊力で攻撃したら、牛さんが消滅するわ!
それに私は覚えている。聖獣の森で見せた、サブマリンの攻撃を。
迸る閃光。突き抜けていく空。着弾した、森。
周辺被害がヤバいことになんじゃねーか!
亀さんに慮れなんていっても、しない気がする。余程のっぴきならない事情でもない限り、人里で戦闘時に亀を解き放っちゃいけない気がする!
仲間達とは別の事情で戦慄する私。
そんな私の、耳の近くで。
ピシピシと、何かが……急速にモノが凍って凝固していくような、音が。
不審な音に、顔を向ければ……
って、嫁マリン、お前もか!!
サブマリンに気を取られている横で、嫁マリンが空気中に大量の、杭みたいな太さの氷柱を形成していくのが見えた。
こちらも咄嗟に、嫁マリンの口を押さえて止める。
私の両手に、口を掴まれてぷらんと垂れ下がる亀二匹。
やめろ。ひたすら不思議そうにこっちを見て首を傾げるな。
どうやら、私は亀さん夫婦に道徳の授業を施さねばならんらしい。たぶん、あんまり効果ないんだろーが。
「ミシェル、お前なに遊んでるんだよ! この非常時に!? ご乱心か!?」
「黙れ。いま私はとても重要な使命を果たしている。飼い主の義務という名の使命を」
「なにその決め顔!? 両手に亀鷲掴みでぶら下げているだけにしか見えんのだが!」
「やめろ、レイヴン。ミシェルはそう見えて、今まさに牧場の平和を何割か守っている」
「オリバー!?」
我らが常識人、オリバーの言葉である。
ふはははは、ヤツは私の味方だ。
レイヴンは裏切られた! とでも言いたげな、驚愕の表情を浮かべている。しかしそうだよな、オリバーは我が家の亀さんの破壊力を目で見て知っている。サブマリンの取り扱い注意具合を知っているのだから、私の行動にどれだけの意味があるかも察せられるというものだ。他の面々は、自分の目で見て知っている訳じゃないし、わからんだろうけど。使い魔取得実習で勃発した三つ巴の空中戦を見ていない奴等にとって、うちの亀さんズは精々が『空を飛ぶちょっと変わった亀』くらいの認識であろう。あ、あと乗り物の動力源としては最悪とか、精々がそれくらいの認識だな。
うちの亀さんのヤバさを実感するには、見せるのが早いんだろうけど……どう考えても有事の際でもなければあの『サブマリン砲(仮称)』を発射させる訳にゃいかんだろう。
若干名(私含む)が亀に気を取られ、他の者も咄嗟に行動の指針を示す者がいなかったから右往左往とし、師父やカロン兄様はもう少し様子見する事にしたのか見物モードで構える中。
周辺に響くのは、ひときわ大きな牛の咆哮。
怒りすら孕んでいそうな、猛々しい鳴き声だ。
しかも、思った以上に声が近い。
もうもうと立ち上がる土煙が、視界を邪魔した。
だけどそれが晴れた時、私達は思いもよらないモノを目の前にする事となった。
いつの間にか、怒涛の如き獣の足音は止んでいた。
それはつまり、足音の主が足を止めた、という事で。
土煙の向こうに浮かぶ、天突く二本角のシルエット。
特徴的な、牛の頭。
いる。
すぐそばに、いる。
さっきまでの暴走は何だったのか。
今では逆に、静謐さすら感じる。
ただそれは、湧き上がる重いナニかに蓋するように、名状しがたい圧を内包した静けさで。
一陣の風が、私達と、牛のシルエットの間を吹き抜ける。
風は舞い上がる細かな土を攫い、視界を遮るもやを一気に払った。
そうして私達の開けた視界の先……そこには。
牛が、立っていた。
その姿に、私の愉快な仲間達も動揺が隠せない。
「牛だな」
「牛だネ」
「……牛、だなぁ」
「牛だネ。頭部は」
「…………牛が立ってる、な」
「牛が立ってるネ。二本足で。直立不動かヨ」
「………………昨今の牧場は、あんな牛を飼育しているのか」
「どんな品種改良したらあんなクリーチャーが爆誕するんだヨ」
「止めて言いがかりぃ!? あんな牛、うちの村じゃ飼ってませんよ!?」
「そうか、突然変異か……」
「いきなり生まれた訳でもないですから! そも出産直後であんだけ育ってる訳ないでしょ!?」
私達をこの牧場まで案内してくれた村の青年も、動揺が隠せない。
遠くを見るような眼差しで牛に対して思うところを述べ始めた仲間達に、そんな場合でもなさそうだが、とりあえず誤りは正しておかねばならないとばかりに物申してくる。いやホント、いま、そんな場合かい?
私達の注目を奪い、度肝を抜いた牛。
……頭部は、牛。
頭部だけは牛的なアレな生物は、鼻からこふぅ……こふぅ……とこっちにまで聞こえてくる呼気を勢いよく漏らしながら、それでも佇んだままの姿勢で爛々と輝く眼差しを向けてくる。
二本足でしっかりと地を踏みしめ、腕を組んだ姿勢で。
暴れ牛と称された、そのイキモノ。
そいつは、頭部だけは牛だけど、身体は人間だった。
腰にはナニかの毛皮を巻いているあたり、単純な獣には留まらない若干の知性を感じる。
顎に手を当て、師父がふむ、と頷いた。
「牛頭か……はて、単体で行動するものじゃったか?」
「セットで合わせて馬頭まで現れそうな物言いは控えていただきたい……縁起が悪いので」
しかし残念ながら、セットで現れたのは馬の頭を有するナニかではなく、山羊の頭を有するナニかである。牛がでっかい図体で前面に出ているので、どうしてもそっちが目立つが……その斜め後ろに控えるように、ちょっぴり小柄な山羊がいる。山羊の頭を持った、何かが。
その姿はなんというか……前世の世界での、黒魔術の祭壇に飾られてるアレによく似ている。
なお、山羊の恰好は毛皮の腰巻ではなく、何故か眩いラメ入りオレンジのビキニだった。色んな意味で目に猛毒過ぎる。お前はそのビキニを、一体どこで手に入れたんだ。
牛はゆうに全長三m近い巨漢だけれども山羊は精々が二mくらい……十分デカいな?
あんなどっからどう見ても異形な牛に似て牛ではないナニかを前にしても、師父とカロン兄様は未だに静観する構え。マジで? あんなクリーチャーを前にして? なにその余裕。
……いや、兄様の方はよく見ると顔に焦りを滲ませているけれど、どうやら師父に引き留められてるっぽい? えっと師父? 何故に動かないんでしょうか。
老いを感じさせぬ師父の鋭い眼差しは、牛っぽいナニか……ではなく、何故か私達魔法騎士コース生に向けられている。え、なにその観察するような眼差し。えー? なんですか、その目……?
「丁度良かろう……夏合宿を前に、あやつらの今の力量を測る良い機会じゃ」
……どうやら夏合宿の難易度変動イベントが乱入してきた模様。
あの牛&山羊との対応力如何によって、夏合宿の厳しさが変わるっぽい……。
え、いきなり無茶ぶり過ぎねえ? 私、今、亀さん達から手が離せねーんだが?
試しにサブマリンの口からそっと手を離してみるも、すぐさまサブマリンは口を開いて、喉奥にこぉぉぉ……とナニかをチャージし始める始末。私は、もう一回そっとサブマリンの口を閉ざして抑えつける。
サブマリン、ここ人里! お前がその光線発射した場合の周辺被害考えて!
え、なに? 亀だから人の都合とか頓着しねえって? 頓着しとくれ頼みます!!
どうやら私は夏合宿の難易度調整イベントに不参加決定してしまったようだ。
となると、対応できるのは我が頼もしい魔法騎士コースの同胞達(ナイジェル君を除く)という事になるんだけれども。
牛と山羊は、どう見ても猛々しい怒りに染まった、獰猛な目で私達を見ている!
こりゃ戦いは避けられませんなぁ。
「みんな、あの牛&山羊との戦いで夏合宿のヤバさが変わるって! 私はこの戦闘に参加できないけど、ガンバ!」
「ええぇぇぇ!!?」
「マジかよミシェルー!!」
「う、裏切り者ー!」
皆、恨むのならば若干制御のできないうちの亀さん達を恨m……いや、飼い主の責任考えると、躾が出来てなかった私の責任だな? あ、みんなの恨みが私に殺到しても責められねーや。
ぎゃいぎゃいと騒ぎながらも、そこはやっぱり戦闘員候補生。
いざ【コマンド:戦う】と方針が決定さえすれば、覚悟を決めるのも動くのも早い。
私に文句を言いながらも皆は武器を手に構え、さり気なく戦闘態勢に入る。ナイジェル君以外。
今回は見学に徹するしかない私は、皆から一歩退く形で亀さん両手に後ろへ下がる。
……と、そんな私の動きが、異形どもの目を引いたのか。
牛のぎょろりとした目が、私を捉えた。
今までも十分に爛々と輝いていた目が、心なしか激しさを増した。
忌々しいと、憎しみを火にくべて。
『やはり気配を感じたのは錯覚ではなかったか……暴虐の王よ、ここで会ったが三百と十三年目! 今日こそ貴様を地に叩き落としてくれる! そしてこの首枷、外してもらうぞ!!』
喋りおったぞ、あの牛。
いや、それよりも、待て。今あの牛、なんて言った?
……暴虐の、王?
ふ、ふふふふふー?
なぁーんかその呼称、どっかで聞いたことあるようなないような気がするけど、多分気のせいですわよねー???
思わずチラリと、私は手にぶら下げた亀へと視線を向ける。
サブマリンは私を見上げて、きょとんと首を傾げるばかり。
……サブマリン、サブマリンよ。
お前が元凶かぁぁぁあああああああああ!!
喜べ、ヒロイン。お前の待ち望んでいた魔物の村襲撃イベントだ。
なお、本人は現場不在の模様。
いきなりサブマリンとの因縁っぽい何かをぶちまけて登場した、異形の牛&山羊。
彼らの名前は……
a.アマンダ&ベリンダ
b.トレハロース&スクラロース
c.パウロ&バルトロマイ
d.ぺふ&ぷち
e.ぺス&ポチ
f.ロベスピエール&ジャンバティスト
g.ビーフ&カプリット
h.うっしー&やっぎー
私、疲れてんなぁ……




