【魔法騎士コースの日常】抱き枕カバー(女神)
話自体は進んでいないのですが、せっかくクラス名簿を作った事ですし。
魔法騎士コースの日常などを……と思ったら、何故か日常第一弾がこんな話に。
魔法学園に置いて、「体が資本」を掲げる魔法騎士コース。
その特性上、魔法騎士コースの生徒は朝から自主的に鍛錬する者達も多い。
特に熱心な一人が、魔法騎士コース唯一の少女であるミシェル・グロリアス嬢だ。
彼女は今日も朝早くから、魔法騎士コースの訓練場にやってくる。ご苦労な事である。
「今日は……ど・れ・に、しようかなー」
そんな訓練場の、端っこ。
疲れた体を休めるのにちょうど良さそうな木陰を作る、大きな木が何本か。
近くにベンチも置かれていて、みんなの愛用する休息スペースがそこにある。
しかし春からこちら、景色に無視するのが難しい変化がある。
大きな木からぶら下がる、色鮮やかな……ミノムシに似たシルエットの、物体。
そこそこの大きさと重量感があるそれを、製作者たるミシェル嬢はこう呼んでいる。
サンドバッグ、と。
間を開けて吊るされていったソレは、四つがぶら下がったところで制作が止まっている。
青・黄・桃・緑の四つがあるのに赤がないのは、代用するまでもなく『赤』の色を背負う野郎はお手軽に殴れる距離にいる為だろうか。それとも『赤』は試合というの名の殴る機会が頻繁に訪れる為なのか。
「よし、これにしよう」
ミシェル嬢は四つの内、桃色のサンドバッグに手を当てた。
そう言って、懐から紙きれを取り出す。
綺麗に伸ばして、サンドバッグに貼り付けたソレは……どこかで見たような美少年のご尊顔が描かれていた。
鼻歌交じりに、位置を確かめて。
「っ」
短い呼気を漏らし、続いて響く打撃音。
殴る、殴る、殴る——息もつかせぬ、連続攻撃がサンドバッグを襲う!
見られたら、確実に見咎められそうな光景だ。特に、サンドバッグに貼り付けられた肖像画が。
これが、ミシェル嬢の朝の日課。
訓練場に他の誰かがやってくるまでの間、こっそりと自作の肖像画をサンドバッグに貼って殴り続ける。誰かが来たら肖像画をはがし、代わりに違う絵を貼る。
桃色のサンドバッグに代用で貼るのは、ピンクのポメラニアンの絵だった。ご丁寧に、総合コースの制服を着せられた、吠え猛る小型犬の絵。
人によっては愛らしくも見える絵に、殴るミシェル嬢を咎めるかもしれない。
しかしミシェル嬢に、愛らしい絵を殴る事への躊躇いはなかった。
何故ならその絵は、そもそもミシェル嬢が殴る為に描いたモノなので。
ミシェル嬢に、自身の描いた絵への愛着はなかった。
これが他人の描いた絵であれば、流石に愛らしい小型犬の絵を殴ったりはしないと信じたい。
なお、余談だが。
青いサンドバッグには青いラクダ、黄色いサンドバッグには黄色いヒヨコ、緑のサンドバッグには某緑の王子様の絵を貼り付けて殴るのが定番である。……緑だけ動物の絵で代用せず、そのまま本人の肖像画を殴っているが、緑に限っては見咎める人がほぼいないのでそのままで構わないと判断した模様。
朝の訓練に参加する者達が、次第に増えていく。
自主練なので、やってくる時間は人によってまちまちだ。
朝からサンドバッグを殴って、気持ちよく汗を流すミシェル嬢。
そんな彼女の姿を、食い入るように見る少年がいたことに、彼女はまだ気付いていなかった。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
昼。
学内チャリティの準備が始まって以来、長めに設定された昼休憩の時間も、皆早々に昼食を済ませて準備に宛てていた。何しろクラスの闇の支配者:ナイジェル君が仕切っている出し物だ。個人の意欲のあるなしに関わらず、手を抜いた時の被害を想像して皆がせっせと計画表に遅れの出ないよう準備を進めていた。このクラスに、ナイジェル君を相手取って敵に回ろうなどと考える猛者はどうやらいないらしい。羊ばっかりか、根性なしどもめ。
少々長めとはいっても、やはり休憩時間。生徒達に出来ることは限られる。
大道具や衣装等の作成は、道具を準備するだけでも時間がかかる。
自然と、昼休憩の時間は小道具や物販コーナーに配置するグッズの作成が中心となっていた。
もちろん、グッズも生徒の手で作成困難なものはナイジェル君の伝手で外注となるが、生徒の手でも作成できるものはなるべく手作成されている。生徒が手掛けた方が保護者受けがいいという打算もあった。加えて「役者のあの人が作成に関わっているかも……☆」という可能性を匂わせる事で、購入を促す意味もあったが。
というか役者の人気を販売促進に大いに利用する気なので、一部のグッズには役者にサインを入れさせたりといった小細工が行われている。
「ミシェルー、この刺繍どうよ?」
「おぉ……ついにレース刺繍まで習得しましたの? 見事なハンカチですわね。そのへんの令嬢の手仕事より見事なり」
「フランツ、お前やべぇな。手先器用なのは知ってたけどよ……売り物じゃん、もうこれ」
「いや、売るんだろ? 近所の洋装店でショーウィンドウに飾られてたのを参考にしたんだけど」
「見よう見まねで作りましたの、これ? え、フランツって物づくりにかけては、実は天才ですわね?」
「売るんだろうけど……でもこれ、一枚作るのにどれだけ時間かかる? 一枚ごとに時間をかけるより、ハンカチの端っこにワンポイントとか入れる程度にして枚数稼いだ方が良いんじゃね?」
「えー、折角作り方習得したっつうのに」
「だったらハンカチの四方全てじゃなくって、一角だけ。それも端っこだけ刺繍したらどうですの?」
「おお、それだったら製作時間もぐっと抑えられそうだな」
「ところでミシェル、お前それ何やってんの? 木彫り?」
「……木彫りだな。なんだ? ミシェル、それも物販コーナーに置くの? 木彫りとかそれこそ時間かかりそうじゃん」
「ふっふー! これは木彫りは木彫りでも、ただの木彫りじゃありませんわ。一つ作ってしまえば、グッズ制作の時間も短縮できる品ですの。丁度、一つ出来上がりましたわ」
「えー? つっても小さい板じゃん。なんか彫ってあるけど……」
「まあ、見てて御覧なさい」
そう言ってミシェル嬢は、徐に木彫りへとインクを付け始める。
何し始めたんだと、目を剥く周囲。気にせずミシェル嬢は、板と紙を重ねる。
裏側から圧迫した後、紙を剝がすとそこには——『葵の御紋』が。
「木版画か! なるほど、確かに大量生産向きじゃん。これでグッズにワンポイント入れていく訳だな?」
「版画というか、スタンプですわね。一色刷り用と、三色刷り用をご用意いたしました。布用のインクも用意したけど、布小物は洗濯すると色落ちするかもしれないから、どれに入れるかの選別と注意書きが必要ですわね」
「日常的に多用するようなハンカチとかじゃなくって、壁にかけて使う小さなタペストリーとかならイケるんじゃね?」
「逆に紙製品なら作り放題ですわ。お手軽に栞とか大量生産致しますわよ。葵の御紋をはじめとしたワンポイント図形に、役者のデフォルメした横顔の図案とか作ってみた。なお、本人達の承諾はまだ取っていない」
「いや、取ってやれよ承諾。って、めちゃくちゃ本人ってわかる絵だな! やっぱ承諾必要だろ!」
「あ、なあミシェル。それ刺繍の下書きとしても使えるんじゃね?」
「ああ、なるほど? ハンカチに押して、その上から刺繍すると……確かに刺繍で覆ってしまえば色落ちの心配はない、のかしら?」
「しかしコレ、下絵もミシェルがしたのか? 絵、上手いよな。お前。使いどころ間違ってるけど」
「あら? どこで間違っていると言うんですの?」
「いや……朝のサンドバッグとか、さ。お前の絵がめちゃくちゃ上手いから、凄い微妙な気持ちになるんだよ……」
「まあ! 誉め言葉だけ受け取っておきますわね? どこで使うかは私の勝手だし」
実際に、ミシェル嬢は記憶力がいい。そして目もいい。自分の記憶だよりで絵を描いたとしても、その完成度が高くなるのは必然に近かった。
一緒にグッズ制作を進めながら、車座になって雑談していた。徐ろに、その中の一人……クレバリーが、ミシェル嬢の両手を取ってぎゅっと握りしめた。熱情の溢れる強い瞳が、ミシェル嬢へと真剣な色を帯びて向けられる。なんだなんだと、クラスメイトの視線が集まる。
「ミシェル……ずっと、お前に言いたかったことがある」
「苦情だったら窓口を通してくださらない?」
「そうじゃない。お前の画力を見込んで、一つ頼みたい」
「へえ?」
ミシェル嬢は、自らの手を握るクレバリーを見た。
クラスでも名高い、助平小僧のクレバリーを。
「ミシェル、俺の持参したこの抱きまくらカバーに、裸のおねえさんを描いてくれないか……!」
瞬間、確かにクラスの空気が固まった。
助平のクレバリーは、裸のおねえさんと述べ。
そして普段の言動で忘れられがちだが、ミシェル嬢は年頃の子爵令嬢な訳で。
「真剣な顔でなんてことをー!?」
「セクハラ、セクハラですわー! ミシェル、ちょっとこちらへいらっしゃい! 変態の邪気に汚染されてしまいますわよ!」
「最低! 最低だ、こいつ!!」
ミシェル嬢の性別を思い出した、クラスメイトが紛糾した。
依頼された当のミシェル嬢は、クレバリーの指を引き剥がしながら気まずそうな顔をしている。
「春画は、ちょっと……立場·知識·心情的にアウトだし」
「春画とまでは言わない! 裸婦画レベルで良いんだ! ぶっちゃけ女の裸なら何でもいい! お願い、ミシェルさん!!」
「おい、土下座しおったぞアイツ! なりふり構ってねえ!!」
色々な意味で聞き捨てならないクレバリーの酷い言動に、クラスメイト達は騒然としている。
ミシェル嬢の絵が上手だからって、同じ十五歳の少女に面と向かって女体を描いてほしいなんて頼み込める少年は色々と間違った方向に度胸があり過ぎるようだ。
這いつくばって「女体を、女体を」とミシェル嬢に縋る視線を送る、クレバリー。
そんな姿を見ている内に、なんだか段々、ミシェル嬢がクレバリーに注ぐ視線は憐れみに近いものへとなっていた。
「クレバリー、お前、そんなに裸のおねえさんを描いてほしいの?」
「もちろんであります!!」
「えー……あー、えっと、うん。私がそのお願いを聞くメリットは?」
「お、おいミシェル! 早まるな!」
「そうですわよ、ミシェル! こんな野郎、同情しなくても良いんですのよ!」
「いや、でもねえ。クレバリー、お前の必死さに免じて、それ相応の代償を支払うって言うんならお願いを聞いてやってもよろしくてよ。ただし、金は要らん。こんなレベルのお願いで金銭を絡ませてたら、後々トラブルになりかねないし」
「え、えっと……あ! じゃあ、俺、ミシェルの負担が軽くなるように物販コーナーのグッズ制作ノルマ、二倍にするわ! あと絵を描くのに使う染料や定着剤も俺が用意するから!」
「二倍……そこまでして、女体を描いてほしいのか」
目を輝かせるクレバリーに、呆れ交じりの視線が殺到する。
ミシェル嬢は、クレバリーの提案に考慮の余地があると思ったのだろう。
ちょっと考えた後に、重々しく頷いた。
「良いだろう。材料費はクレバリー持ち、物販コーナーの制作ノルマの二倍量を納品する約束で抱き枕カバーにとびきりの『女神』を描いてやろうじゃないか」
「!! ミシェル、有難う! 恩に着る!」
「あ、あ、あ! ミシェル、お、俺も……すまん、俺も、描いてほしい!」
「トニック、お前もか!!」
十五歳の少女への要求としては、あまりに無体なアレだったが。
当のミシェル嬢が承諾した為、クラスには物凄く微妙な空気が漂っていた。
一言で言うと、『居たたまれない』というヤツである。
しかし微妙な空気になりながらも、『女体』が気になるお年頃の少年達が揃っている。
クレバリーやトニックに蔑みの視線を送りながらも——皆がミシェル嬢の画力を知っているだけに、完成品のクオリティがどんなものか気になって仕方がなかった。
一週間後。
思いのほか早く、ミシェル嬢は抱き枕カバーという名の芸術作品を完成させた。
うきうきわくわくするクレバリーとトニック。
仏のようなアルカイックスマイルで、二人に折りたたまれた抱き枕カバーを差し出すミシェル嬢。
おいおい、ここで広げるのかよ。
誰かが気まずそうに呟くが、みんな完成度が気になっている。
本心を言えば、クラスメイト達も揃った教室でこそ抱き枕カバーを広げてほしい気持ちだった。
そして、彼らの目の前に『女神』を描いた抱き枕カバーが広げられる。
「………………なにこれ」
「え、っと……素焼きの人形?」
戸惑いと、疑問に満ちた無言が教室内で渦巻いた。
一人、満足げに頷くのは制作者たるミシェル嬢。
彼女はえっへんと胸を張って言い放った。
「なかなか写実的に、良く描けたと思うよ。『縄文のビーナス』」
それは、ミシェル嬢が前世で……社会科の資料集で目にした、日本の国宝。
裸の女を模ったものとされる、平たく言えば『土偶』が、枕カバーの片面いっぱいに大きく描かれていた。
それは何とも、アカデミックで。
文明の起こり、人間社会の夜明けを感じさせる見事な逸品だった。
「騙された……!!」
「嘘は言ってない! 女の裸なら何でもいいって言ったじゃん!」
「裸は裸でも、素焼きの人形だぞ!?」
「裸の女を模った、文明発祥の証ともいえるとある島国の宝だよ! そんじょそこらの素焼きの人形と一緒にしてもらっては困りますなぁ!」
「う、ううぅ……!! やっぱり詐欺だー!!」
ぎゃいぎゃいと抱き枕カバーを受け取りながらも騒ぐ、クレバリー。
その、横で。
クラスを代表するむっつり助平・トニック少年がぽつりと呟いた。
「俺、これでもイイかも」
「「「マジかよ!?」」」
クラス全員の「マジかコイツ」という驚愕の視線。
計り知れないものを内包するトニック少年への戦慄で、抱き枕カバー騒動は幕を閉じた。
トニック:むっつり
クレバリー:助平




