サンドバッグ(緑)
私の揃えた両足が、吸い込まれるようにして青汁の腹へ突き刺さる。
全力疾走かーらーの飛び蹴りは、我ながら良い感じに決まった。
木から吊り下がって蓑虫の如き青汁。
身体の中心を綺麗にとらえた蹴りは、青汁の身体を押し上げる。
十分に加算された勢いが、青汁と木を繋いだロープをぎしぎしと鳴らした。
木に直接繋がれてさえいなければ、きっと青汁の身体はあの大いなる空へ吸い込まれていったことだろう。さよならバイバイまた会う日まで、と。
私が危うげなく着地を決めると、程なくして青汁が戻ってきた。揺り戻しだ。
木に繋がれているせいで、勢いよく押し出しても振り子運動で戻ってきてしまう。
しかも。
「お、おおーう……? 目の前に星が散っているよー」
アイツ、余裕あんな。
意外なことに、青汁は若干余裕がありそうだ。
どういうことだよと思いながら、悶絶することも無く戻ってきたミノムシ野郎に疑いの目を向ける。
どうやら青汁の全身にきつく巻きつけられた荒縄……アレが防具代わりに蹴りの威力を緩和してしまったらしい。チッ。
ああ、駄目だ駄目だ。丁度良く青汁がこんな木からぶら下がっているのに、不満ばかりをあげちゃ駄目だ。良い所を考えよう、青汁がミノムシ姿なことが、私にとっては大変都合のよろしい感じになる、利点を考えるんだ。
そう、例えば……青汁が木からぶら下がっている状況なら、殴ってもさっきみたいに揺り戻しで戻ってきてくれる。
……つまり、そのまま戻ってくるので、殴った後でもまた殴れる。
いつまでも反復運動で殴り続けられるって事かな!?
青汁、殴り放題じゃん。それこそまさに……サンドバッグのように。
さっきから私、青汁の状態を『ミノムシ』と称していたけれど、アレは嘘だ。
本音を言えば……目にした瞬間から、青汁の事がサンドバッグにしか見えていない。
いやほら、似てるじゃん。サンドバッグとミノムシって。シルエットとかがさ。
殴り放題となったら、俄然腕が鳴る訳だけれども。
しかし勢い任せの最初の一発は良いけど……流石にこれ以上サンドバッグ扱いするのなら、護衛責任者の許可は取っとくべきだよね。
私は蹴りの衝撃で盛大にぶらんぶらん揺れる青汁を横目に、その護衛兼側近という名の尻拭い役たる青年……シトラス先輩へぐりっと顔を向けた。
先輩は、何故か驚きも顕わに私を見ている。
うん? 何がそんなに先輩を驚かせたのかな……?
まあいいや、とりあえずは先輩をこっち側に引き込もう。
「初めまして、先輩。私は魔法騎士コースの一年、ミシェル・グロリアスと申します」
「あ、ああ……魔法研究コースのシトラス・グリーンフローライトだ」
「先程、容疑者の自供があったようですが……この野郎が、ここ最近、私の身の回りを大変騒がせてくれちゃっていた訳なのですが」
私は、先輩をじっと見つめた。
「とりあえず、殴って良いですか? こう、腹に据えかねるので」
我ながら、これ以上になくわかりやすいお願いだと思おう。
単純明快! うん、それって良いことだよね。
だけどシトラス先輩は、より一層驚きを顕わにする。
「まさか真っ向から、王族に対して殴る意思を表明してくるなんて……」
「本当に、こう、腹に据えかねているので、まずは迷惑をかけられた分だけ……より具体的にいうなら、トラップ仕掛けられた数だけ、拳を振るわせてもらうことを希望します」
「ちょ、ちょっと待ちたまえよ!」
私の発言を耳にしたのか。
ぶっらんぶらーんと振り子運動していた青汁から、堪りかねたとばかりに声が上がる。
それは、泡を食ったという表現がぴったりの慌てた声だった。
よく見ると、微妙に顔が引き攣っている。
「シトラス! 君は、僕の護衛だね……?」
「はあ、その通りですけど」
「や、やる気のない返事だね……何はともあれ、君は護衛な訳だ。その、護衛がだよ? 護衛対象たる私への暴行を、まさか甘んじて見過ごしたりはしないだろうね!? というか先程まさに吾輩は暴行を受けた訳だけれども! なんで君は守ってくれなかったのかねー……?」
「いやだって、完全に非があるのは殿下じゃないですか。先に悪いことをした人が悪いんですよ」
「それはその通りなんだけれどもね!? 例え非があろうとも、危害を加えられるのであれば身を張って守るのが護衛では」
「そうは言われましても、国を出立する際、殿下の父君たる国王陛下に重々言い含められておりまして」
「うん? 父から?」
「ええ。私怨で殴られる場合、大体はほぼ殿下有責に違いないので、相手が拳での報復に甘んじてくれる限りは大人しく殴らせてやってくれ……と。殴って相手の気が済むなら安いものとも言っていましたね。とりあえず殺傷能力のある武器——刃物でも持ち出されない限り、殿下が悪いのが明らかだったら殿下を殴らせても良いことになっています。再起不能一歩手前までなら」
「ち、父上はなんて許可を出してるんだい!? それ初耳なんだけれども!?」
「良かったですね。殿下が留学して数年経ちますけど、今まで拳でもって反撃されるような事がなくて。まあ、相手が我が身を顧みず殴り掛かってくるほどの悪さをギリギリしていなかったって言うのもありますし、ほとんどは殿下の身分を考慮して拳を控えてくださってたんでしょうけど」
「そこな女子には殴られたけれどねぇ……!」
「拳で収めてもらえるなら安い物ですよ、殿下。国王陛下がそう仰ってました」
「魔法騎士コース所属の生徒による暴力は、殺傷能力のある攻撃には含まれないのかい!?」
「相手が刃物を持ち出さない限りは……殿下、相手はあくまで魔法騎士『候補生』です。そして一般的に、魔法騎士は魔法に特化している分、ただの騎士より純粋な物理的暴力は威力低めです」
「暴力は暴力ではないのかい……!?」
「はは、殿下が常識を語っていらっしゃる」
「今、鼻で笑いおったな!?」
生けるサンドバッグと化した体をぶらぶら揺らしながら、きぃぃっと喚く青汁。
――さて、そろそろ良いだろうか。
はっきりと明言もらった訳じゃないけど、青汁との会話の流れから言質は取った。
そう、青汁の父親公認で、青汁が悪さをした時は被害者に殴る権利を認めるってさー!
……一国の王子に対して王様がそんな権利を認めるとか、本当に生国での青汁は何をやったのか。
今までの人生、しょうもない事ばっかりやって来たんだろうなー……緑の国の国王陛下の苦労が思いやられる。これが王子とか、本当に大丈夫なのかよ。某国の詳しいお国事情は知らんが、せめて世継ぎじゃないことを祈る。これが将来国王とかいう、絶望的な未来が訪れませんよーに!
「それではなんとなく許可が下りたような気がしないでもありませんので」
「!? 許可なんぞ下りてない! 下りてないぞ!?」
「でもさっき、シトラス先輩が『拳で済むなら安いもの』って言ってましたよね」
「吾輩本人の許可ではなくシトラスからの許可か……!」
「青汁の許可は最初から求めてない」
「あおじる!? 僕の名前はアイビー・グリーンだが!?」
「知ってます。だけど青汁です。貴方は青汁。私はそう呼びます」
「な、なにゆえに……っ」
「葉緑素がたっぷり詰まっていそうだから」
「なにその理由!?」
「さーあ、殴るぞー! 具体的には、青汁先輩から仕掛けられたトラップの数だけー!」
「えー? つっても、えらい回数になるぜー?」
私が青汁のトラップ分だけ殴る、と宣言したら横からの声。
青汁トラップの記録を取っていた、フランツがメモを片手に困った顔をしていた。
どうやら私の発言を受けて、改めて青汁の罠を集計していたらしい。
「先輩ー、シトラス先輩の方ー! このミノムシ殴り倒して良いですかー? 青汁殿下の悪さの分だけー」
「……まあ、致し方ないんじゃないか? 留学する時に国許の許可は出てるし、悪いのは殿下だし」
「という訳で、正式に言質もいただいたところでー」
私は、ノリでパチンと指を鳴らした。
「へい、フランツ!」
「うん、どんなテンションだよ」
「そういう訳なんで、青汁殿下のトラップ数読み上げよろしく」
「じゃ、読み上げるけどー……ヤバいぜ? この数」
先程から不安の滲むフランツの発言に、身に覚えのある青汁が顔を思いっきり引き攣らせている。
引き攣り過ぎて、笑ってるように見えるなぁ。
青汁のその顔と、フランツの顔とを交互に見比べて、シトラス先輩もこの段になってじわじわと感じるものがあったのか、微妙な顔をしている。ちょっとだけ、許可出したことをヤバかったか?と思っていそうな顔だ。
そして、集計結果は発表された。
「そんじゃあ結論といたしましてー。
金盥六回。矢が飛んでくる事、六回。石は五回。泥団子は三回。
更衣室のロッカーから蛙が、二回。蜻蛉、一回。トノサマバッタは七回。
不気味な人形が降ってくる事、二回。何かが降ってくる系は他に雑巾が三回、松ぼっくりが二回、トマトが六回。えーと後は、あー……細々とした雑多な罠が他にも諸々、十二回。意味のわからん微妙な不発罠が、六十回?
——合計、百十五回」
フランツが読み上げ終わった、瞬間。
ヤバ気なその数に、シトラス先輩が完全に「しまった」という顔をした。
あはははは! 確かに、まともに殴り続けたら死ぬな。この回数。
だけど流石に、私だって殺人に走るつもりはない。
半殺しで勘弁してやるのもやぶさかじゃないので。
うん、そう、百十五回はきっちり殴るけれども。
殴り切っても死なないくらいには、加減してやりますとも!
……前世でアクション系のゲームとか、好きだったけれども。
ダメージ管理はあまり上手くなかったんだけどね。
まあこの世界はゲームとは違うし!
現実としてなら、前世のゲームよりは上手にダメージ調整できるはずだ。
何しろこの肌身に、実感として殴る感触や自分の攻撃威力を身体が覚えているんだから。
「――さあ、覚悟しろ! サンドバッグ(緑)!!」
そして私の、反撃(過剰)が始まる。
まず最初は、軽く助走を付けての右ストレートから……
焦ることはない。相手は拘束されて逃げられないサンドバッグ(緑)だ。
じっくり、青汁が死なない程度に頑張ろう。
正直、百十五回も殴るのは、殴る方の私も辛い。
でも罠の数だけ殴るって宣言しちゃったし、前言撤回は格好悪いもの。
自分の言葉を嘘にしない為にも、これからの時間を考えて余力を計算しながら、私は青汁のボディに拳をめり込ませた。
その日、三時間後。
時々休憩やら青汁の回復時間やらを挟みつつ……ついでに回復要員として顔を青褪めさせたオリバーが桃介を引っ張ってくる時間などを挟み込みつつ。
すっかり周囲は暗くなり、周囲には虫の声と打撃音と、悲鳴っぽい何かが響き渡る。
精霊の見える目には、周囲を飛び交う精霊の燐光が照らしていて、とても幻想的な光景が広がる。
そんな中で。
打撃に吹っ飛び、木に繋いだ荒縄によって引き戻されと繰り返す内に。
とうとう、酷使され続けた荒縄は、衝撃に耐えきれずに寿命を迎えてふつりと千切れた。
空にはすっかり優しい光の銀月と、無数の星。
紺と紫の滲む天の川に色とりどり星明り。
美しい、夜空だ。
ラスト、丁度百十五回目の拳が青汁の頬にめり込んだ瞬間。
荒縄が千切れたことによって、青汁の身体は振り子のように引き戻されることも無く。
遠く、高く。
夜空に吸い込まれるように、飛んでいった。
青汁、宇宙へ……
なお、青汁の一人称がブレブレなのは仕様です。




