学園の罠
麗らかな、昼下り。
窓辺には初夏の訪れを告げる濃紫の花が飾られ、白翅の蝶がふわりふわりと飛んでいる。
花の香に誘われて、ひらり。
ゆっくりと近づく花の影には、しかし……葉の緑に融け込むようにして隠れる、大きな蜘蛛が牙を研いでいた。
「もう夏も間近ですわねー」
「間近ですわねえ」
窓から差し込む陽光の眩しさに目を細めながら、私達はサロンでふたりきりのお茶会をしていた。
お相手はアカヤシオ王国の公爵令嬢、コーラル様。
桃介の親戚にしてお目付け役という苦行を課せられた才女。そして、先だって私に桃介の性根を殴って叩き直してくれと、昭和のテレビ扱いっぽい依頼をしてくれたお姉様である。
依頼の方は結局、桃介の回復力とメンタルが強すぎて殴ったくらいじゃどうにもならんという残念な結果に終わったが。
思えば蟹と亀とゴリラの三つ巴が勃発した実習への参加も、そもそもは桃介を滝壺へ沈m……もとい、滝行を体験していただく為だったのよね。精神修養目的で。
しかし結果的には、滝行以上の成果がついてきた。
きっと、桃介的には不服だろうけど。
「わたくし、本当にミシェルさんには感謝しておりますのよ」
「そんな、勿体ないお言葉ですわ……私は何もしておりませんのに」
「いえいえ、そんな風に仰らないで。わたくし、ミシェルさんと聖獣様には本当に感謝しておりますの。だってミシェルさんが山に連れ出してくださったお陰ですもの」
二人でそんなそんなとゆる~く首を振り合う、視線の先。
窓の向こうの中庭に、桃介の姿が見えた。
多分、なんか調子のいい事……それも猫を被りまくった姿で、自分の都合の良い様に印象操作した上で悪意をまぁるく包み込んだ何かしらを、押し通そうとしたんだろうなぁ。
愛らしい顔に一所懸命です!って表情を浮かべた御令嬢が三人、一緒にいる。
そんな御令嬢方に、邪気なんてありませんって感じの微笑みで相対していた桃介だが……何かの拍子に、びくっと肩をすくめて飛び上がった。その姿は、物陰から自分を狙う猫の姿を発見してしまった子ネズミの驚き飛び跳ねる様を連想する。
その姿は小さくて、ここからは確認できない。
でも、確実にいる。
桃介の反応から、いるってわかる。
顔を引き攣らせた桃介は、御令嬢達への挨拶もそこそこに、大慌てでいずこかへ退散した。
「本当に、有難い限りですわ……山へ連れて行ってくださったミシェルさんにも、あんなに優れた使い魔を紹介してくださった聖獣様にも」
「あの存在感で、見事に桃介の新たなお目付け役と化してますからねー」
そう、桃介が肩を跳ねさせるほど、怯える存在。
それは桃介が『ボス』と呼ぶ、桃介の使い魔たる妖精……フェアリーゴッドファーザーである。
寡黙な性質らしく、桃介の素行に対して特に何かを言う訳じゃない。
だけど、舌打ちするらしい。
常に桃介の背後にいて、桃介がよろしからぬ振る舞いや言動をしようとすると、桃介にだけ聞こえる音量で舌打ちしてくるのだと……ええ、本当に何か言う訳じゃないんですのよ?
ただただ存在感たっぷりに、桃介をじろりと睨め付ける。
それはそれは陰惨なオーラを纏った、忌々し気な視線で。
目は口ほどに物を言うってヤツだ。
フェアリーゴッドファーザーは、桃介の『使い魔』の筈なんだけどな?
完全に、上下関係が逆転していた。
桃介はフェアリーゴッドファーザーに睨み付けられると、何も言えなくなって逃げ出してしまうらしい。結果、奴の悪意ある猫被りによって振り回される被害者が激減する、と。
そんな状況を見て、桃介の御目付役たるコーラル様は心の底からフェアリーゴッドファーザーに感謝を捧げていた。ついでに、桃介にフェアリーゴッドファーザーが憑くきっかけとなった私とゴ・リラ様にも。
肩の荷が下りた——露骨にそんな安堵の表情で、コーラル様は大変美味しそうに飲み干した。
大変、晴れやかで華やかに微笑っていらっしゃる。
私もコーラル様に微笑み返し、紅茶を飲みほした。私にとっても、美味い茶である。
「本当にソルフェリノの事はずっと心配でしたけれど……これで安心ですわ。わたくしもようやっと、本格的に自分の良縁を探すことができますもの」
「まあ、コーラル様がご自身でお探しに?」
「ええ。今まではソルフェリノの矯正が叶わなければ、面倒を避ける為にわたくしが婚約者にされてしまう可能性がありましたもの。実家と王家もそれを見越して、やんわりとわたくしの縁談を遠ざけておりましたわ。冗談じゃありません。一生ソルフェリノの御目付役など御免ですわ。ですので、王家と実家の目の届かぬ他国にいる間に、自分で良縁を見つけるつもりですの。他国の、有力家のご子息でしたら文句なしですわね。王家や実家が介入し難くなりますもの」
強かにそう言い切るコーラル様。
だけど『誰』を想像したのか……多分本人気付いていないだろうけど、うっすら頬染まってる。
恋する乙女ってのはこういう感じなんだなぁ。
しれっとした顔でコーラル様のお言葉を拝聴している私だけど、実は知っている。
今から相手探す風に言ってるコーラル様だけど、既に意中の方がいるってことを。
相手は確か……黄三郎んとこの従者じゃなかったっけ。
黄三郎にくっついて一緒に留学してきた、騎士の国の公爵令息。立場的にはコーラル様と同じで、黄三郎の御目付役ってとこなんだけど……全然お目付け役してないんだよな?
色々と暴挙のオンパレードだった私のところに抗議にすら来ていない時点で、黄三郎の放置っぷりがめっちゃ露骨。
黄三郎を蔑ろにしているとか、そんな訳じゃないらしい。体育会系の騎士の国出身だけあって、肉体言語とか割と寛容ってのもあるんだろうけど……どうやら他国に来たついでに、外交の補助やら顔繋ぎやらと貴族としてのお仕事をどさっと押し付けられているらしく。それらを果たす為、社交に出ずっぱりで黄三郎は結果的に放置という有様になっているらしい。社交の場で黄三郎が御令嬢侍らせまくっていても放置だったので、単に放任主義なだけかもしれんが。
コーラル様はそんな放任主義な公爵令息がお好きなんだ。
どこで得た情報かって?
そりゃもちろん——前世でプレイした『乙女ゲーム』で、だ。
より正確に言うなら、ゲームの持ち主だった『お姉ちゃん』からの情報だけど。
コーラル様は友情エンドのあるサブ攻略キャラだったので、当然の如く個別ストーリーがあった。
そこで、コーラル様の恋愛エピソードが出てくるそうな。
なんかね、件の公爵令息とは実は両片思い?っていうの? なんか、そういうヤツらしい。
ゲームでは公爵令息に想いを寄せるコーラル様を、ヒロインが応援するそうだが……
思いが空回った挙句、コーラル様は自爆する。
なんか公爵令息に失恋したと思い込んで、自棄酒ならぬ自棄茶会をヒロインと二人で開催するっていうのがコーラル様の友情エンドだそうだ。
ちなみに失恋したと思い込んでいるだけで、実際には告白すらしていないという……ドンマイ、相手の公爵令息。なお、令息がコーラル様を好きだっていう情報は黄三郎ルートのサブイベントでちょろっと出てくる黄三郎と令息の会話から明らかになるらしい。
しかも令息は令息で、コーラル様がいつも桃介と一緒にいる(※お目付け役だから)事から、コーラル様と桃介が事実上の婚約関係にあるって思い込んでんだよな。マジ、ドンマイ公爵令息。
私はその事実を知っていて、敢えて何もしないがな!!
だって他人様の恋愛沙汰って、他人が口出しするだけややこしくなって拗れるって、前世で近所に住んでた佐竹のおばさんも言ってたし! あとぶっちゃけ恋愛の機微とか、私には難解すぎるしな!
そういう訳なので、コーラル様には自力で頑張っていただきたい所存だ。
……まあ、コーラル様にはお世話になってるし?
頑張る為の機会を提供するくらいは、協力しても良いけどさ。
今だったら、そうだなぁ……
そうだ、秋の初め頃に、文化祭的なイベントがあったよな?
正確には似て非なるイベントだけど、『乙女ゲーム』じゃ文化祭的な感じに描写されてたはず。
あの雰囲気なら、仲を深めるきっかけづくりに作為的なイベントぶっこんでも違和感ないんじゃね?
コーラル様の想いを寄せる相手なんぞ、本来なら知る筈のない私。
そんな私に、これから婚活頑張ると宣言したも同然のコーラル様。
この状況なら、私がちょっとした提案しても問題ないだろ。
「ねえ、コーラル様。これから良縁を探されるとのことですけれど……そこで、提案なのですけれど。秋に行われる予定の行事で、このような企画はいかがですか?」
「え?」
「より縁探しに特化した集団お見合いとか、どう思われます?」
「……え?」
私は実際に、番組を見たことないけど。
でも、存在は知っている。
ついでにいうと、一回見てみたいなって思ってたんだよね……
「お願いします」と叫んで手を差し出し、直角に腰を折る野郎とか。
そこに「ちょっと待ったー!」なんて言いながら割り込んでくる野郎とか、さ。
あくまでも自分が体験するのではなく、現場を野次馬したい根性である。コーラル様をそそのかしたら、見られる気がするんだけど、どうだろう?
ゲームじゃ、コーラル様は売約済みだと勘違いして、最初から諦めてた公爵令息。
騎士の国の貴族らしい義理堅さで、他人の女に気をやるなど在るまじきこととか言って、さ。コーラル様を見ていないで済むよう学園外……社交や外交に無理矢理目をやって自主的に働きすぎてた、公爵令息。
でも奴がコーラル様から目を背けてたのは、コーラル様が売約済みだと思ったから。
だったらさ?
イベントに乗じて……それも大勢に開かれた、参戦自由なイベントで、声高々とコーラル様が「婚約者募集中!」と叫んだら、どうなるだろう?
私は、そこが見たい。
和気藹々と、秋の計画を立てながら。
私達はお茶会の終わりを迎え、立ち上がる。
それでもお喋りしたりなくて、ふたり話しながら歩いた。
そうして、事件は。
今まさにサロンを出ようかというタイミングで起きた。
より正確に言うなら、扉に手をかけた時だ。
ノブを回そうとして、妙な気配を感じた。
加えて、ノブを握る手には、微かな違和感。
私は咄嗟に、ドアを思いっきり開け放つ。
同時にコーラル様を庇いながら、一歩飛び退いた。
そんな私達の足元に、落ちてきたのである。
……赤銅色に輝く、金盥が。
何故、天井から金盥が……?
くぅわんくぅわんと音を立てて床の上を空転するそれを、私とコーラル様は無言で見下ろしていた。




