そして盛大に爆発する
ひょっこり首を長く伸ばして、背に乗る私を見上げるサブマリン。
危機に翔け付け、助けてくれたことには素直に感謝しよう。
「有難う、サブマリン。私と子サブマリンを救ってくれたのね。子サブはお前の子供だけど」
うふふふふふふ……!
私は微笑みながらサブマリンの頭に手を伸ばし、撫でり撫でりと二往復手を動かし。
そして。
サブマリンの頭部を掴んだ。
わかりやすく表現するなら、鷲掴みだ。
「!?」
手のひらを通して、伝わるサブマリンの驚く気配。
私は笑みの形に吊り上げた口元を崩すことなく、声のトーンをちょっぴり下げて続けて言った。
「だがそれはそれ、これはこれだ……!」
決して、決して逃さぬように、がっちりとサブマリンの頭部を握り込み。
私は拳に力を込める。
闘気を宿し、熱くなる拳。
孔雀明王様のご加護によって、鈍く光りはじめる。
「いいこと? サブマリン」
サブマリンも、どうして自分が殴られるのか知らないことには、納得できないだろう。理不尽だと思うかもしれない。それに理由もわからずに殴られては、反省だってできない。
だからよくよく言い含めて、殴られる理由を告知して差し上げる。
「私がお前に伝えたい事は三つ。
一つ、自分や身内が傷つけられそうな場合を除いて、人間に過剰な暴力を振るってはいけない。
二つ、反撃・防衛以外で何か理由があったとしても、私の許可なく人間を、それも身分ある相手を害してはいけない。
三つ、てめぇ空飛べるとか黙っていやがって許さん。
これらの理由から、今からお前に制裁を加える……!!」
私は固めた拳をぐぐっと振り上げ、的の小さなサブマリンの頭部めがけて振り下ろ——
——そうと、した。
しかし、忘れちゃいけない此処は戦場。
いつもいつも、思い通りに事を運べるとは限らないのだ。
ここ、割と最前線だし。
私達の身に、何が起きたのか?
それを詳細に説明するのは、ちょっと難しい。
だけど簡潔に、結果を口にするのは容易だ。
端的に言うと、つまり。
蟹爪が飛んできた。
蟹爪だけじゃない。
ゴ・リラ様も飛んできた。
まず先に飛んできたのは、蟹爪の方だった。
まっすぐ。爪だけ。凄い勢いで私達に迫る。
対して、私は攻撃が迫る危機感よりも、むしろ、「あの爪分離するのかよ!? 蟹爪なんていう重要な武器を失ってどうすんだあの蟹」という気持ちの方でいっぱいである。
そして、まっすぐ私とサブマリンの方へとびゅびゅんと飛んできた蟹爪を、追う形で近づいてきたのがゴ・リラ様だった。
私達を、というかむしろ『人を背に乗せたサブマリン』を目視して、ゴ・リラ様が目を剥くのがわかる。露骨にぎょっとしていた。
その間にギリギリ近くまで飛んできた蟹爪を、サブマリンがひらりと避ける。
少し距離が開いたことで、改めて会話しやすくなったんじゃないかな?
蟹爪の対処はサブマリンの回避能力に任せ、私はとりあえずゴ・リラ様にご挨拶を……
『まさか、そんな、まさか……っ! 暴虐の王が、人の子を救うなんて。あまつさえ、背に乗せるなんて!? 一体何を企んでいるのです、暴虐の王よ!』
……する段じゃなかったようだ。
何故か聖獣様は露骨に狼狽え、動揺していた。むしろ混乱していた。
余程、ゴ・リラ様の認識と現在のサブマリン(※人間を救出中)が乖離しているらしく、ゴ・リラ様的には信じ難い……むしろ受け入れ難いものとなっているようだ。
というかサブマリン、お前昔何やったの? ゴ・リラ様の中でどういうポジションに君臨してんだよ。
自分の目で見たモノを信じられないって相当アレだぞ。
しかしゴ・リラ様の精神が激しく搔き乱されようとも、現実は変わらない。
サブマリンは私を背に乗せ、空にいる。
それも現場は三つ巴の空中戦真っただ中だ。
だがここで、サブマリンの背に私がいる事で状況に変化があった。
『信じられません……信じられませんが、暴虐の王の背に人の子がいるのも事実。あまつさえ、人の子に従うなど夢でも見ているのかと自分の目を疑う光景ですが』
「あ、ようやっと現実を受け入れはじめたようで」
『暴虐の王を信じる事はできませんが』
「暴虐の王への不信の根深さよ」
『ですが、その背に人の子がいるとなれば……神々の愛し子たる人間を見守る立場として、その事実を重く受け止めねばなりません』
「ねえ、うちのサブマリン、お宅に一体何やらかしたんですか。口調が物凄く苦々し気なんですが……」
『暴虐の王よ。お互い、不本意かもしれませんが』
「不本意」
『貴方が人の子を守護するのであれば、今この時においては敵対するのは控えましょう。ここは共闘すべきと考えますが?』
動揺が二割程滲んではいるものの、まあまあ静謐な眼差しでじっと亀を見つめる聖獣様。
一方、亀の方はなんというか。
……最初から一貫して、聖獣様のことスルーしている気がするのは私だけだろうか。
そういえば攻撃も執拗に蟹狙いでしたね。
青次郎にホイッスル吹かせてからは、なんか青次郎を狙い撃ちし始めたけれども。
精霊様達はホイッスルを吹かせたせいだと言っていましたね。
そうか。私以外の誰かにホイッスルを吹かせれば、そいつを標的に攻撃しだすのか……覚えておこう。
さて、サブマリンの眼中にゴ・リラ様がいないとなれば、ゴ・リラ様さえサブマリンへの攻撃を控えたなら戦局は三つ巴なんかじゃなくなる。
サブマリンは協調性なさそうなのでゴ・リラ様に協力しないだろうけれど、ゴ・リラ様が攻撃を蟹に専念するだけで一対一対一から二対一に状況は変化するのだ。
翼をはばたかせて大空を舞う蟹は、さっき片方のハサミをサブマリンに向けて射出している。
多分、サブマリンが私に気を取られているのを好機と見て、起死回生の一撃を放ったつもりだったのだろう。
見事に避けられたが。
今、状況は亀&聖獣VS蟹。
しかも蟹は蟹爪を一つ失っている。
戦況は、私達に有利と言えた。
まあ、サブマリンもゴ・リラ様もそれぞれ私や桃介っていうお荷物を抱えているけどね! 企図せずして自主的にハンデ背負ってるとか、どうなんだ。
私は機会があれば攻撃に参加する気あるけど、蟹は物理攻撃効かんしな。実質、私は攻撃手段を持たない。なんという足手纏い! 私にできる事なんて、精々小脇に抱えた子サブマリンを火炎放射器よろしく武器代わりに蟹へ向けるくらいだよ。
そんな私より、桃介先輩の方がお荷物感強いけどね!!
何しろ桃介先輩、ゴ・リラ様の逞しい胸に抱かれてアクロバティック空中戦という状況が余程耐え難かったのか……冷静に考えると心痛凄そうだな。そのせいなのか、元々はキラキラしていた目が死んだ魚を連想する濁りっぷりだ。虚ろな眼差しを中空に彷徨わせつつ、ゴ・リラ様の腕の中で身を縮めて体操座りなんてしていらっしゃる。アレは大分キてるな……。
流石に私でも、あの姿を見れば桃介先輩の精神的疲労が案じられる。ドンマイ!
だけどお荷物がどれだけお荷物でも、抱えた事実は変わらない。
変わらない……はず、なんだけどなぁ?
ゴ・リラ様は屈強だし。
そもそも腕が三対もあるせいか、一対の腕が桃介に占領されていても、戦闘力に見劣りがない。
攻撃手段そのものも、背負った太陽のような光球から光の矢を浴びせるという方法を取っている為かあまり桃介を抱えていても影響はないようだ。ただただ、桃介が精神的に摩耗していくだけである。
サブマリンの方は、ゴ・リラ様に比べると小柄だ。
直径六十㎝の甲羅に浦島太郎よろしくミシェル嬢を乗っけて、海を縦横無尽に泳ぎ渡る海亀の如く空を飛び回る。その飛行能力に、ミシェル嬢をプラスしても先ほどまでと比べて劣化は見えない。
そして、目からビーム。
こちらも身体能力が多少鈍ろうとも、影響しない攻撃手段を持っている。
遠隔攻撃手段を有した、二体。
それと敵対する、蟹。
勝敗は決したな、と。
ミシェル嬢は無言の内にそう思った。
戦いに絶対はないし、最後まで油断は禁物だけれども。
でも今更地上に降りるには、蟹が邪魔だ。
大人しくミシェル嬢は亀の背にいるしかない。
その、大人しくというのが。
ミシェル嬢の性格を考えると難しい気がしたけれども。
蟹に対する自前の攻撃手段を持たないミシェル嬢は、両手で子サブマリンを掲げていた。
誇らしげに頭を上げて、キリッとした顔の子サブマリン。
わざわざ子亀を構えずとも、精霊様の御力を借りれば『魔法』という名の攻撃が出来るのだが。
どうやらそこには思い至っていないようである。
魔法騎士を志しているというのに、思考回路が物理に偏り過ぎではなかろうか。
蟹は、頑張った。
理不尽の権化のような、圧倒的な存在は確かにこの世に存在する。
聖獣と、その聖獣をして『暴虐の王』と呼ばれるようなモノを相手に、善戦したといって良いだろう。
片方の蟹爪を失いながらも、蟹の心はまだ負けてはいなかった。
口から泡を飛ばしながら、聖獣に肉薄する蟹。
亀も決して無視できるような相手ではなかったが、二対一という戦局の変化に、的を片方に絞るべきだと判断したのか。蟹の行動はそもそも当初の標的であった聖獣に集中して攻撃するように変化していった。
片方に絞ったとしても、御しやすい相手ではないだろう。
だけど聖獣は明らかな弱点……桃介を抱えている。
先程からの聖獣の言動から鑑みて、人間を見捨てることができないのだと気づいた。そうとしか思えない方向に、蟹は動きを鋭くしていく。
そう、蟹は露骨に桃介を狙い始めたのだ。
至近距離で、ぱちん!
蟹のハサミが、閉じる。空気を震わせ、打ち鳴らす。
間一髪のところで聖獣の掌底が蟹のボディを退けた。
だがあと一歩、そんな距離で桃介は狙われたのだ。
警戒を深め、ゴ・リラ様は懐深くに桃介を庇い直す。
自分が狙われたことがわかったのだろう。
死んだ魚そっくりになっていた桃介の目に、光が戻る。
緊張感と、恐怖を交えた光っぽい何かが。
やべぇ、そんな感情を込めて桃介の顔が引きつった。
掌底に弾かれながらも、空中の事。
ゴ・リラ様の腕力は素晴らしいものがあるが、踏み込みが足りなかったのかもしれない。
踏ん張る足場がないのは蟹も同様だが、蟹には翼があった。
ばっさばっさと地を踏みしめる足に代わり、風を掻いて衝撃を緩和する。
少々の距離を開けられながらも、蟹は果敢に聖獣へと迫る。
桃介を狙った攻撃に、わざわざゴ・リラ様は姿勢を崩しながらも防衛してきた。
やはり桃介を狙えばゴ・リラ様に隙が出来るのだ。確信を持った蟹は、足をわさわさ動かして空を飛ぶ。
やや回り込むようにして、ゴ・リラ様の周囲を横へと移動する。
しかし敵はゴ・リラ様だけではない。
蟹が桃介を標的にし始めたのは、見ていればわかった。
そう、亀や亀の背の少女にだって、それは一目瞭然。
狙いが分かれば、それを念頭に動くのも当然の事。
空中戦・亀組は自然とこう考えていた。
桃介を囮と考えて網を張ろうと。
予測さえできれば、行動を読むのも容易だ。
蟹は多分、そんなに頭が良くない。蟹だし、仕方がないかもしれないが。
蟹の注意が桃介に専念しだしたあたりから、結構疎かになっていた。
特に、亀への注意が露骨に下がっている。
必死になるのと、夢中になるのは少し違う。
蟹は、亀への注意を残しておくべきだった。
だから、待ち伏せされるのだ。
蟹の、桃介を狙った三度目の攻撃。
ゴ・リラ様の光を纏って唸りをあげる足が、蟹の正面に良い角度で吸い込まれた。
再び引き離された蟹の、その背後に。
待ち受けていたのは亀と子亀と飼い主の少女。
ミシェル嬢は蟹の背に向けて、ホームランを予告するかのように堂々と腕を掲げて。
指さしながら、ここぞと叫んだ。
「――薙ぎ払え!!」
瞬間。
亀と、亀の頭に乗った子亀の口から。
真っ赤な閃光がまっすぐ空を焼いた。
なお、あわよくば蟹ごと桃介・ゴ・リラ様を葬りかねない軌道だったので、さり気なく慌ててゴ・リラ様が退避する様が地上からは見られたという。




