吹かれる笛の音
私は、子サブマリンに託されたホイッスルに口を付けた。
……が、生臭い匂いがして、思わず口から離した。
か、亀臭ぇっ!
吹き込み口に口をつけた瞬間、鼻に突き刺さる水苔と、湿った土と、あとなんかよくわからんナニかの臭い。
たぶん今、私、盛大なしかめっ面をご披露してる……!
可愛いペットの亀さんを小脇に抱えるのは平気だけど、流石に亀の臭いが鼻にダイレクトアタックかまして来る状況は辛いものがある。
ホイッスルの効果を検証する為には、まずはとにかく吹いてみるのが第一歩。でも、物凄く吹きたくない……! また口を付けることに、抵抗感が増し増しだ。むしろ口を付けずに鳴らす方法を頭の片隅が考え出したぞ? 鞴とかどうでしょう。現実的な問題を挙げるなら、この場の誰も鞴なんぞ持ってなさそうなことが事が難点だね。
私が小脇に子サブマリン、片手にホイッスルという装備で首を捻ってうんうん言っていると、得体の知れないような視線が注がれてきた。誰からって?
青次郎からだ。
元はつんでれ?とかいう属性の陰険野郎だったらしいが、私にすっきり思いっきり殴り飛ばされて以来、私に対して萎縮しているというかなんというか。うん、私を前にすると初対面の時の様子はなんだったんだ?って感じで目を逸らしまくってそわそわ青い顔して縮こまっていたんだがなぁ。しかしどうやら非日常全開の今この場、ゴ・リラ様とサブマリン激似の亀と、翼を生やしっぱなしで空飛ぶ蟹という異形の三体による怪獣大決戦が繰り広げられる空の下。場の空気に呑まれたのか、やけっぱちになったのか……最近の萎縮ぶりを忘れたように、青次郎は顔を引き攣らせながらも呆れたような顔を私に向けてきた。
「何をやっているんだ、貴様は」
「見てわかりませんの?」
「見て……俺の目には、左小脇にやたら禍々しい柄の亀を抱え、右手を覗き込みながら唸っているように見えるんだが……本当に、何をやってるんだ。今この状況でやる事か? 怪しい儀式なら他所でやれ」
「怪しい儀式とな」
心外だ。
私はただ、この場に子サブマリンが居合わせた不思議とホイッスルの謎を解明しようとしただけなのにー! そんな物言い酷いわ、乙女心(笑)が傷つくじゃないか。……自分で言っておいてなんだけど、私に果たして乙女心なるモノが備わってるんだろうか? 今まで十五年の人生で、特にそれっぽい物を意識した記憶がないんだが。というか乙女心とは一体、如何なるモノや……?
まあ、良い。
青次郎がどんな勘違いをしようが青次郎の勝手ではあるんだろう。だけど何も考えずに遊んでいるように見られるのは不本意なので、私は青次郎にもよく見えるよう、右手に握っていたホイッスルを掲げる。すると、青次郎だけでなくオリバーやエドガー、黄三郎なんかも私の掲げるホイッスルへと注目する。お前ら……実は、お前らも暇だろ? 暇、持て余しちゃってるんだろ? 聖獣(小)が張ってる結界の外に出てダイオウグソクムシを蹴散らすか、空の怪獣大決戦を見学することくらいしか、今はすることないもんな。
「ミシェル? それは一体なんなんだ」
「私の目にはホイッスルに見えるのですけれど、オリバーには何に見えますの?」
「いや、俺の目にもホイッスルに見えるけれども」
「実はこのホイッスル、私が小脇に抱える亀……当家のペットが一匹、この子サブマリン十二号が持っていたモノですの」
「それ以前に子サブマリン? 十二号? 前からちょっと思ってたんだが、ミシェルのネーミングセンスってちょっと独特じゃないか?」
「待ってくださいまし、オリバー。ミシェル、十二号って言いましたわよ? 貴女の御屋敷、一体何匹の亀がいますの……?」
「数は、うちの家族の誰も把握してないと思いますけれど」
「どんだけお前の家、亀だらけなんだ……」
「家丸ごと亀尽くしのように言わないでくださいます!? 亀尽くしなのは庭池だけですわ!」
「池だけにしても最低で十二匹以上いるんだろ!?」
「グロリアス子爵家、亀塗れ疑惑」
私の小脇に抱えている子サブマリンが、さっきからちょいちょい会話に自分達を指す単語が出てきていることを聞きつけてか、首をひょこひょこ動かしては私や他の野郎の顔を見比べていく。
……今更だけどうちの亀、地味に賢くない?
「それで、このホイッスルなんですけれども」
「ホイッスルか……なんだかやけに、その、なんというかごつい、装飾性の高い笛だな?」
「禍々しいね」
「ナイジェル君……! 俺が濁したのに、そんなズバッと!」
「構いませんわよ、気を使いすぎですわ。オリバー……わたくしもなんとなく思っていましたの。そう、禍々しいな、と……」
「ははははは……はっきり言ってくださいましたわね、この正直者どもめ。そんな貴方たちに追加情報を投下してやろう。実はさっき、あの空飛ぶ亀が来る直前に、子サブマリンがこのホイッスルを吹いて、だね?」
「は?」
「タイミング的に……このホイッスルの音であの空飛ぶ亀が呼ばれたように、思えなくもない、かな~……?って感じだった」
「おい!」
なんとなく会話する内に、空気が弛緩しつつあったんだが。
私が申告するや否や、野郎共はぎょっとした顔で私の顔を凝視してくる。ちょ、真顔止めろ。
いきなり空気をガラリと変えて、危険物でも前にしたような顔でホイッスルをガン見する学友達。
私の発言が予想を超えたのか、さっきよりももっと顔を引き攣らせ、血の気が引いたのか心なしか肌をより青白くする青次郎。
黄三郎も、なんか表情を作るのに失敗したような顔をしている。
なんてこった。この場で平然としてるのはナイジェル君くらいじゃないか!
なお、師父は結界の外でダイオウグソクムシ蹂躙中の為、除外する。
「そんな感じで、色々と怪しいこのホイッスル……検証の為、吹く必要あるんじゃないかなって」
「止めろ」
「それは今すぐ、効果を確かめるべきですわね」
困ったなぁとホイッスルを掲げて言えば、なんか場の意見が二つに割れた。
見なかったことにして封印すべきという、青次郎と黄三郎。
どんな効果があるのかもわからないまま保持するのは怖いから、一先ず効果を確かめろというオリバーとエドガー。
ナイジェル君はどっちでも良いそうなので、中立だ。
さて、きれいに意見が割れてしまったぞ?
じゃあこの笛、どうしよう?
この時は、本当にどうすべきかなぁって悩んでいたんだけど。
ホイッスルを掲げて考えていると、わざとらしい溜息と共に厭味ったらしい声が聞こえてきた。
「お前という奴は、本当に一体何なんだ。前から暴力的で、言動がおかしく、得体が知れないと思ってはいたが……この上、更に、あの凶悪な亀を呼び出したかもしれない、だと? 冗談も大概にしろ。一瞬信じかけたが……空を焼くあの亀が、お前に関わりあるかもしれない、などと。虚偽の申告は己の立場を危うくするだけだぞ」
こうしよう。
なんか、とても。
ええ、とてもとてもとても。
無性に、とても。
青次郎の野郎がなんか、神経を逆撫でするように、むかつく言葉を投げつけてきたものだから。
苛立ちと衝動のまま、私はつい……手に握っていたホイッスルを、青次郎の口に突っ込んだ。
青次郎が、目を白黒させて体を強張らせる。
だけど硬直している時間は、長くない。
硬直が解けた合図は、青次郎の口から発せられた。
「……何だこの臭いはっ!!」
ハンカチで鼻を強く抑え、涙目で訴えかけてくる。
だが、ホイッスルを口に突っ込ませた形で、私の手が青次郎の顔を掴んでいる。その為、青次郎は更に涙目だ。何しろ悪臭の原因を口から外せないんだからな。
何の心構えもなく、亀臭さのダイレクトアタックを受けてしまったのだから、さぞ驚いたことだろう。
特に青次郎なんて、潔癖な王子様生活を送っていたら亀の匂いなんぞ、そうそう知る機会とかはなかっただろう。
何はともあれ、青次郎はホイッスルを口に突っ込まれた状態で叫んだ。
そのお陰で、ホイッスルからか細く音が発せられる。
瞬間。
私達の周囲は、濃度の高い殺気に包みこまれた。
殺気の発生源は、そう……頭上。遥かな空の上という奴で。
見なくても、わかる。
サブマリン激似の亀から、この場に向けて殺気が放たれているのが。
この場っていうか、正確には青次郎宛にな?
一体、何故——!?
答えは、私の肩のあたりから発せられた。
『あー! さぶまりんちゃん、おこってるー』
『おこってる、なのー!』
『ふむ……キレの良い殺気であるな』
肩のあたりっていうか、その辺にいた、精霊様達から。
というか聞き捨てならない点がひとつ。
……マゼンタ様、無邪気に仰せですけれども!
空のあの亀、サブマリンで確定、ですか……!?
『なあなあ、さぶまりんちゃん、どうして怒ってるんだろー?』
『なのー? わからない、のー!』
『ふっそなたらにはわからぬか』
『知ってるのー? シアンー』
『なに、簡単な事よ。空のサブマリンは、己の召喚用の術具として笛を作成した。笛を使用する資格を有するは、サブマリンの血を引く縁者か主であるミシェルのみ。だというに、あの青びょうたんめが、資格を持たぬ身で笛を吹いたんじゃからの』
『あおじろう、めってするー?』
『あおじろー、めっする、のー?』
いや、滅したら駄目だろ。すぐ隣にいる私まで被害に遭うし、それ。
どうやら私が無理にホイッスルを吹かせた事が、殺気の原因らしい。
わ、わー? サブマリン、久しぶりー? その鋭い目、止めようぜー?
空の上にいるサブマリンに、地上から声が届く筈もなく。
サブマリンの視線は、青次郎に固定されたまま。
そしてサブマリンの目に、怪しい光が輝いた。




