お伽噺の主人公にはなれない
ミシェル嬢とサブマリンの出会いについて書き始めたら、予想以上に場面を使ってしまいました。
本格的な対悪魔戦は、次回に持ち越しとなります。
前世の記憶が蘇る前の幼女と亀の出会いに興味ないよ!という方はすみません。
その出合いは、十数年前に遡る。
グロリアス子爵家が王都郊外に所有する、小さな山。
普段から忙しく、子供達と接する機会の少ない当主は、偶の休暇に子供達を連れて自家の山までピクニックへと赴いた。既に成人している長子も、まだ幼い末子も全員を連れてのピクニックだ。
年齢幅のある子供達は、小さな山でそれぞれにやりたい事も異なる。
山頂付近にある開けた場所で食事を取った後、与えられた自由時間。
三女のミシェル嬢は、よちよちと歩き回りながら花を摘んでいた。
家族の目が届く範囲からは出ない事を約束に、野の花を見つけてはあちらで摘み、こちらで摘みと歩き回る。
その最中、彼女はソレを見つけてしまった。
岩場の陰に、丸く盛り上がったフォルム。
昼寝中の、亀の甲羅を。
自分の頭程もあるだろうか? それより、もっと大きいだろうか。
初めて目にするサイズ感の亀に、小さなミシェル嬢は「ほぅ……っ」と目を輝かせた。
彼女は徐に亀に近づき。
甲羅の両サイドから地面との間に手を差し入れ。
そして。
重たいだろう亀の甲羅を持ち上げて。
躊躇なく、ひっくり返した。
まるでちゃぶ台をひっくり返すかのごとく、容赦なく亀の天地を逆にした。
衝撃で目を覚ます亀。
地につかない足。回る視界、まわる世界。
おぶおぶと藻掻き、甲羅から手足も頭も出して蠢く。必死に、姿勢をもとに戻そうと。
そんな亀さんを、二秒に一回のペースでツンツンペチペチツンと突っつき回す……突っつきまくるミシェル嬢(幼)。あまりに突くので、甲羅が地面の上を滑って左回りに回転中だ。こうなるともう、更に面白くなってしまって、ミシェル嬢の突き回す指は止まらない。
その内、突っつき回す指は苛烈さを増していき、よりリズミカルになっていく。
ツンツンツン、ツンツンツン、ツンツンツンツンツンツンツン。
ツンツンツン、ツンツンツン、ツンツンツンツンツンツンツン。
ツツツツツツツツツ………………ツン!
三々七拍子だった。
突っつき回すこと、三十分。
ミシェル嬢(幼)は飽きることなく突きまくっていた。
あまりに突かれ過ぎて、甲羅が今度は右回りで高速回転している。
亀は既にぐったりしていた。
もうどうにでもしてくれという哀愁に満ちた空気を漂わせている。
そんな亀の空気など幼いミシェル嬢が察することも無く、目をキラキラわくわくさせながら亀さんを突きまくる。その姿はさながら、お伽噺に出てくる『亀を虐める子供達』のよう……ミシェル嬢はお伽噺の主人公にはなれそうもない。そして主人公から金銭を渡されたとしても、亀を手放すことはないだろう。彼女の目は、『お気に入りのテディベア』を見るものとほぼ同じだった。
生きているのか不安になるほど静寂を纏った亀さんを、さらに突き回すこと二十分。
もう一時間近く、ミシェル嬢(幼)は亀を弄び続けているだろうか。
恐るべし集中力、ただし発揮する場面を明らかに間違えている。
そんな残酷な幼女を遠くから呼ぶ声がする……。
「ミシェルー? どこにいるんだい?」
「あ、おとうちゃまー」
まるで子栗鼠のようにきゅるんと愛らしい、内気な愛娘を探して。
グロリアス子爵家のご当主自ら、娘さんをお迎えに来たようだ。
父親の姿を見て、幼女は察した。もう帰る時間が来たのだと。
「もう、いかなきゃ」
幼女の呟きを拾ったのか、右回りに回転し続ける亀さんから、ほっとした気配。
しかし、運命は亀に残酷だった。
今まで誰憚ることなく、自由な野の生活を満喫していた亀。
この一時間ばかりは何故か幼女に弄ばれ、ひっそりと目を回していた、亀。
そんな亀さんを。
「よいしょっ」
父親の呼びかけに応えて立ち上がった幼女が、何故か持ち上げた。
ミシェル嬢(幼)の、頭部程もサイズのある亀さん。
そのサイズに違わず、それなりの重みがある亀さん。
それを無造作に持ち上げる、見た目の割に腕力があったらしいミシェル嬢(幼)。
なんで? なんで持ち上げるの?
戸惑いを顕わに、ミシェル嬢を見上げる亀さん。
ミシェル嬢はもう既に決めていた。
――亀さん、持って帰るのー。と。
「かめさん、きょうからおなまえはサブマリンね!」
既に亀の運命を決めてしまっていたミシェル嬢(幼)は、勝手に亀に名付けて微笑みかけた。
もう、どうにでもして。
さっきまで亀はそんなことを思っていた。
ミシェル嬢に突き回され過ぎて、起き上がれもせず目も回るしで。
そう……亀さんは既に幼女の心ない扱いで心が折れていたのだ。
無邪気な子供の残酷さは、時として自然の摂理以上に過酷なもの。
折れてしまっていた亀の心に、ミシェル嬢のつけた名前がすーっと浸透し……亀の全身を縛った。
『契約』という、鎖で。
使い魔契約と呼ばれるものがある。
魔法を使う者達が使い魔を得る手段は、大きく三つ。
使い魔となるモノを倒し、屈服させ、従えるか。
使い魔となるモノを捕縛し、契約を強要するか。
使い魔となるモノに見込まれ、相手に望まれて契約するか。
そのいずれもに、共通する手順がある。
それは使い魔に『名付ける』事。
魔獣や幻獣との主従契約は、主人となる者が与えた『名』を使い魔が受け入れることで締結する。
幼女に突き回されて疲弊し、心の折れたところで名付けられ。
折れた心は与えられた名前に縛される。
その一連の流れは図らずも使い魔契約の手順を踏襲していた。
亀が『サブマリン』の名を受け入れた時。
その時から、彼はミシェル嬢の『使い魔』となった。
主人は、何もわかっていなかったけれども。
ついでにサブマリン自身、予想していなかったまさかの事態に愕然としていたけれど。
幼女との接近遭遇、それはまるで一種の事故にも等しく。
まさに青信号の横断歩道で大型トラックに撥ねられる並の衝撃だった。
だが、まあ、なんだ。
なってしまったものは仕方がない。
どうせ長い亀(?)生……その途上で人間の使い魔にされる事があっても良いだろう。
幼女の無邪気な残酷さに疲れ果てていた亀さんは、諦めも早かった。
サブマリンと名付けられた亀は、一つのアイテムを作る。
それは、小さな笛の形をしていた。
実際に笛ではあるのだが笛は笛でも……サブマリンの、召喚用のアイテムだ。
本来、使い魔契約を結んだ主従の間では、互いの体に召喚用の魔法陣が刻まれる。
魔法陣を通じて主人が呼びかけ、従うべき使い魔は呼び出されるのだ。
だけど幼いミシェル嬢が、そんなモノの刻み方を知っている筈もなく。
ついでに言うと召喚とかそんなシステム、理解も実践も出来る筈なく。
何故か従属側の立場であるサブマリンが、代替手段を用意することになった。
自主的に、である。
なりゆきでいきなり使い魔にされた割に、義理堅いなサブマリン。
一応はミシェル嬢にも概念的に理解しやすい手段がよかろうと、サブマリンはミシェル嬢の深層心理を覗き込む。精神の表層を抜けて、深く深く、奥深く。
辿り着いた精神の果てで、ミシェル嬢の持つ概念の中から『召喚』に近しい物を選び取り、読み取った。
――それは、何故かホイッスル的な笛を吹くと、相手が飛んでくるというモノで。
ミシェル嬢の記憶の中では、ロケットに変身する巨人が飛んでくる光景が……
なんぞこれ。
サブマリンは思った。なんぞこれ、と。
よくわからない光景を見せられた気がしながらも、コレが幼女な主人にとって理解しやすい手段ならばと疑問を伏せて笛を作る。特殊な波長の音を発する、どこにいてもサブマリンに届く笛だ。
しかし作った後で、更に不安が募った。
何が不安かというと、ミシェル嬢の幼さである。
こんな小さな女の子に召喚用のアイテムを渡しても、どこかに忘れるかどうかして失くされるのがオチのような気がしてならない。
なのでサブマリンは、ミシェル嬢にとって本当に必要と言える時が来るまで自分の方で召喚アイテムを保管することとした。いつか渡すべき時が来れば、その時こそミシェル嬢に渡そうと。
……そう、思っていたのだが、年々ミシェル嬢が予想外に逞しい方向へ進路爆走りし始めたので、何となく召喚アイテムを渡しそびれて、幾年月。
必要な時がそもそも訪れないというか、危ない局面に陥る前にミシェル嬢が己自身の拳で試練を打破してしまうので、召喚アイテムはすっかりお蔵入り状態であった。
念の為、我が子に持たせてミシェル嬢に張り付かせてはいる。
サブマリンの出番がやってきたら、召喚アイテムをミシェル嬢に渡すか使うよう申し付けて、子亀を張りつかせてはいるのだ。子亀達の中でも潜伏能力の高い数匹が、当番制で。
その間にもサブマリンの見ていないところで中々愉快なことが発生してはいるらしいと、報告だけを受け取る日々。そんな日々の終息は、ある日いきなりやって来た。
遠方から響く、聞き覚えのある笛の音。
笛を作った直後、試し吹きして以来、聞く機会のなかった笛の音。
それが鳴った。
もうあの笛が日の目見る事ないんじゃない? そう思ってすっかりまったり池でくつろぎ生活を送っていたサブマリンは、自分の魂を直撃した笛の音に口に咥えていた白鷺を取り落とした。
まさか使い魔契約を交わし十数年目にしてお呼びがかかろうとは!
驚きながらも、ちょっとわくわく張り切ってしまう。
あの困難なんぞ蹴り倒してまっすぐ進むミシェル嬢が、ピンチだというのだ。
それってどんな事態だ? 純粋に好奇心もくすぐられるというもの。
とうとう巡ってきた自分の出番への、言葉に出来ない気持ちも湧き上がる。
サブマリンは、何を置いてもミシェル嬢の下へと駆け……かけ……翔けつける事にした。
それゆけ亀さん、空高く。
そうして物語は、聖獣と悪魔が相争う戦地へと戻る。
遠く空の果て、天空を突っ切り飛来する未確認飛行物体改めサブマリン。
その姿をまず真っ先に視認したのは、ハイスペック生物に相応しい視力を有する聖獣であった。
森の聖獣ゴ・リラ……周辺の霊地を管理する守護者でもある彼の獣は、空から近づく物体の事を知っていた。何故ならその亀は、十数年前までゴ・リラ様の管理地に縄張りを広げて棲息していた亀だったからだ。そう、ゴ・リラ様の守護する霊地は、グロリアス子爵家所有の山も範囲内なのである。
姿を見なくなって十数年。
どこに行ったのか、知る事はないと思っていたが……まさか、今になって再びあの姿を目にしようとは。ゴ・リラ様は一瞬身を強張らせ、亀の姿に自然と口走っていた。
『――アレは、まさか、暴虐の王!? 消息を絶っていましたが、生きていたとは……!』
音としてではなく、頭に響くようにして聖獣の言葉は居合わせた全員に届く。
聖獣の言葉が理解できる事に、魔法学園生達は驚き目を見張る。
次いで、偉大なるゴ・リラ様が何に驚いているのかと視線を辿り……
……彼らもまた、その姿を目にすることとなる。
空を直滑降、自分達の方へと急接近してくる……正体不明の、空飛ぶ物体を。
しかしそれを見てゴ・リラ様の第一声が『暴虐の王』である。
たっぷりと警戒の滲む、焦り交じりの声であった。
……サブマリン、昔に一体何をした。
ゴ・リラ様の雰囲気は、到底、味方が来たと喜ぶようなものではない。
むしろ不良にカツアゲされている現場に、別のヤンキーが来た的な空気が滲む。
ゴ・リラ様の緊張は緩むことなく、飛行物体の接近に応じて高まっていくようだ。
その目はともすれば、油断できない抗争相手を迎え撃たんとするようで。
ここに、ゴリラとカニとカメの三つ巴が発生しようとしていた。
幼いミシェル嬢は知らなかった……
ひっくり返され、天地が逆になり、足が地につかない状況。
それが亀という性をもって生まれたサブマリンにとっては、何もできなくなる唯一の弱点であったことを……




