幕間:おいでませ田舎村! 転生ヒロインの奮闘
今日はバレンタインデー!
イベントにちなんでお菓子の話でも……と思ったのですが。
どうして、こうなったのでしょうね……?
空は青く、高く高く。
緑の木々と、山の上に年中白く積もる雪。
国の中央からはとても離れているから、ここの時間はゆっくりだ。
都会の人々からは忘れ去られたように、ゆったりと過ぎる毎日。
――変わらない、毎日。
変わらないはずで、だけど変わるはずだった。
そんな『毎日』が繰り返される日々。
おもな産業は農林畜産業。
特に地主のジョハンニさんが営む牧場は、拘り抜いた飼料のお陰か濃厚で美味しい乳製品を生産している。その恩恵に与っている為、村の人々の好物も乳製品由来の食べ物だ。
だから、俺が愛情もって育てている山羊たちのミルクはいまいち人気が低い。
栄養は満点なんで、乳の出が悪い奥さんなんかには赤ん坊用のミルクとして需要があるけど。
山羊たちの主な需要は、その身体を覆う良質な毛にある。
乳製品と山羊の毛織物。
それがこの村の特産品だ。
爺様から受け継いだ賢い山羊たちを連れて、俺は今日も放牧に行く。
山羊たちはまるで山の賢者のようだ。
静謐な佇まい、深く思案するような横顔が好きだ。
この山羊たちを世話して、俺はずっと生きていくんだと思っていた。
生まれ時から兄妹みたいに育ってきた、ミリエルと一緒に。
だけどなんだか近頃、ミリエルの様子がおかしい。
「おかしいわ……どうして今日も、何も起きないのかしら」
「なんでなの? イベントスチル的に、プロローグの事件が発生したのは……確かにあの黄色い花が咲いている時期だったのに」
「私、もう十五歳になっちゃったのに……どうして王子様は来ないのかしら」
ミリエル、お前どうしたんだ。
道端の、この季節にはよく見る黄色い花を屈み込んで凝視するミリエル。
珍しくもない花なのに、真顔でガン見する、ミリエル。
小声だから聞き取れないが、何か花を見ながらブツブツ言っているような……。
本当に、どうしちゃったんだ。
いつもと様子が違いすぎるぜ、ミリエル。
互いのことは誰よりもよく知っていたはずなのに、最近お前が遠くに感じるよ……。
田舎じゃ珍しい綺麗な金髪で、目なんか純粋な輝きでキラキラしていて。
こんな田舎には勿体ない美少女で。
なのにそれを鼻に掛けない気さくで親切で、優しいやつで。
村長の息子なんて、「天使のミリエルたん」って呼んでたし。
動物にも好かれてた。あの気難しい山羊たちが、ミリエルの前じゃ芸を仕込まれた犬みたいに従順だった。
ミリエルがそこにいれば、世界は平和になる。
そう信じそうになるくらい、ミリエルの周囲は柔らかくて暖かかった。
……そういう基本的な部分は変わっていないのに。
なのに、なんでだろうな。
最近、たまにお前の目が、キラキラじゃなくてギラギラしているように見えるんだ。
は、はは……っまさかな。
お前はそんなやつじゃない。
それは俺が一番良くわかっているのに、そんな風に見ちまうなんて……疲れてるのかな。
ああ、うん、そうだ。そうに違いない。俺はきっと疲れているんだ。
どうかしている。
なんでこんな、変なことを考えちまうんだ。
今だって、きっと。
花を凝視しながら独り言を呟くミリエルが、不審だと感じてしまうのだって。
俺の気にしすぎだ。そうに違いない。
そうだ、気にしすぎなんだよ。
変に距離を感じて近寄れないなんて、つまらない錯覚だ。
気にせず、いつもみたいに声をかければ良い。
変な気の回し過ぎだって、ミリエルだって笑うはずだ。
「おーい、ミリエルー」
「あ、バスク! どうしたの? そろそろ山羊さん達の放牧に行く時間でしょう? 山羊さん達がお腹をすかせちゃうわ」
「そうなんだけどなー。その、ミリエル?」
「うん? どうしたの?」
「い、いや! うん、何でもない! 何でもないんだ! お前が元気なら、それで……」
「??? 変なバスク。もじもじしちゃって、どうしたのかしら」
「良いんだ、気にしないでくれ……」
「なんだか元気がないわ。バスク、私じゃ頼りないかもしれないけど……何か気にかかることがあるなら、いつでも言って?」
「あ、ああ……そうだ。そうだよな。お前ってそういうヤツだもんな。ごめん、ミリエル」
「え? どうしちゃったの、バスク……?」
「大丈夫だ。うん、もう大丈夫。ちょっと、変な気を回しちゃってただけだ。お前がその花をなんだか妙に真剣に見つめてるからさ。何か心配事でもあるのかって、そう思ったんだ」
「あ……そうなの? ごめんね、バスク。心配をかけちゃったみたい。でも、大丈夫よ! なんでもない……うん、なんでもないから!」
「本当に、なんでもないのか? いま、なんか変な間があったろ……? やっぱり、何か心配事か」
「えっとぉ……うん、やっぱり心配事。ううん、ちょっと気になることがあるだけなの。ふふ、バスクの目は誤魔化せないね。やっぱり、ちょっとだけ相談に乗ってくれる?」
「ああ、任せろ。なんでも言ってくれ。あんまり頭は良くないけどさ、その分、真剣に考えてやるよ」
「ありがとう、それじゃあ相談させてもらうね?」
本当に困ったように、おっとりと首を傾げて。
いつもの明るいミリエルらしくない、切なそうな表情で。
俺のよく知るはずの幼馴染は、宣った。
「ねえ、バスク? この田舎全開の村にお貴族様……というか王子様みたいなやんごとなきお方が自ら来てくれるってどんな状況だと思う?」
「ミリエル……?」
「やっぱり、理由もなしに何もない所には来てくれないわよね。やっぱり、その土地ならではの売りと特産が必要よね! 何か特色がないと歯牙にもかけてもらえないものね!!」
「ミリエル……!?」
予想外も、予想外。
何を言いだすんだ、ミリエル!
俺は信じられない思いで、ミリエルの顔を見る。
彼女の顔は……真剣だ。
信じられないことに、マジで王侯貴族がこのド田舎の村まで来てくれないものかと悩んでいるらしい。
そんな……今のこの生活に、どんな不満があるって言うんだ!
お前、つい数か月前まで「おじいちゃんと、バスクと、山羊さん達がいてくれる今の毎日が本当に幸せ」って言っていただろう!? あの言葉は嘘だったのか、ミリエル!
絵本の『白馬ノ王子サマ』やらの願望は卒業したんじゃなかったのか、ミリエル!
そんな心境の変化をもたらすような何かがあっただろうか……いくら記憶を漁っても思い当るものがない。突然こんな牛や山羊しかいないような辺鄙な田舎村に王侯貴族が来てくれないかなぁなんて思うようになった、なんてそんなことがあるんだろうか。
信じられない思いから、唖然とした顔でミリエルを見つめてしまう。
「もう、バスク? ポカンとしちゃって……私の話、聞いてた?」
「え、いや、だって……え? 貴族?」
これがミリエル相手じゃなかったら……それこそ村長んとこの倅が相手とかだったら、鼻で笑って「馬鹿じゃね?」とか返すのに。
相手がミリエルだから、困惑しながらもなるべくちゃんと答えねぇとって気にさせられる。
だけど、王侯貴族だろ?
そんな突拍子もない……いい意見なんて、思い浮かぶはずもないだろ?
「え、ええと、だからして……あーー……うぅ」
なんて答えれば良いんだ。
俺、しどろもどろになっちゃうよ。
そういえば、なんでしどろもどろって言うんだろうな?
ああ、今日もお空が青いなぁ……。
「もうっバスク? 真面目に考えてくれるんじゃなかったの?」
「え、ええっと、ほら、アレだろ? 名物や特産? それって名物料理とか……?」
「え? あ……そっか、料理! ば、バスク……!」
途端に、だった。
とっても良いことを思いついたって顔で、胸の前でパチンと手を合わせるミリエル。
そのまま、居ても立っても居られない様子で、タタタッとどこかへ駆け出して行く。
それもとびっきりの笑顔で。
「バスクーぅ、ありがとー!」
な、なんなんだ?
なんなんだよ、ミリエルお前……?
訳がわからないまま見送った、三ヶ月後。
とある田舎村発祥の『なんちゃってバスク風チーズケーキ』なる菓子が話題に話題を呼んで、とうとう王都にまで噂が及んだ。
悪魔のように黒いのに、とびきり滑らかで美味だという幻のチーズケーキ。
実物を味わった者は少ないのに、伝聞の評判は高まるばかり。
生産地でしか味わえない本場の味は金と暇を唸らせる人々の興味関心を引き、美食家達の舌を疼かせた。
ついには食べてみたいと奮い立った者達を、田舎の村まで導くツアーが組まれる程。
あまりに遠く田舎過ぎて、単独で行くのは難しい。
だけどそれが集団ツアーとなれば、道行きも楽しく珍しく。
辿り着いた村では、今まで食べたことも無い珍しいお菓子や乳製品。
気候も涼しく過ごしやすく、いつしか村には富裕な観光客たちの訪れによって僅かに活気が見られるようになって。
そして村役場では、『村興し実行委員会・製品開発部長』のタスキをかけた金髪の少女が、金貨の輝きに目をギラギラ輝かせながら算盤を弾く姿が見られたという。
助手として資料を整理しながら、遠い何かを追い求めるような目で。
バスクは心の中で小さく呟いた。
――ミリエル、やっぱりお前がなんだか遠いよ。
お前……いつの間にか、地域興しと商業に目覚めてたんだな。
少女の商いも、少年の葛藤も。
王都からは遠い……とある田舎村での出来事である。
ミリエル・アーデルハイド
『乙女ゲーム』のヒロイン、15歳の可憐な少女。
何かを思い悩んだ挙句、迷走を始めた模様(笑)
どこかのハイジよろしく田舎で平凡な幸せを噛みしめ生きてきた少女。
シナリオ崩壊により田舎に取り残されているが、最近田舎の特産であるチーズ料理やお菓子製作で小金を稼ぎ始めた。地域おこし万歳と村人たちの好感度を上げている。
ちなみに苗字のアーデルハイドは『アルプスの少女』の主人公の本名から。
バスク
本名:アラバスター・ホワイト。
ヒロインのペーター的幼馴染で職業はもちろん山羊飼い。
最近様子の変わったヒロインを心配している心優しい14歳。
ヒロインとは生まれた時から兄弟のように育つが、ふわふわしたヒロインよりも大分しっかり者で、年齢は一つ下ながら自分の方が兄貴分と自認してヒロインの面倒を見ている。
本来のシナリオでは村が魔物に襲われた際、ヒロインを守って強く頭を打って昏倒。
ヒロインは村の襲撃直後にはしゃいだ赤太郎によって連行されるように王都へと連れ出された為、存知ないが、頭を本当に強く打ったのだろう……可哀想に。
意識を取り戻した直後から、「自分は邪神の生まれ変わり」「くっ……右目が疼く」「我が封じられし左腕が」云々……何かよくわからないことを口走るようになり、大分様子がおかしくなってしまったらしい。それまでのちょっと生意気だけど爽やかな少年といった人格もガラリと変わり、日光を避けようとしたりやたら自嘲気味に皮肉な笑みを浮かべたり。
村の人々も困惑しきりだったが、王宮から派遣されてきたジャンクロード・グロリアス医師(王子のやらかしによって村が大破した事により王都から寄せられた手厚い支援の一環)からの診察により、
「命を失うかもしれないという極限状態……強い精神的負荷と、頭部を強打したことが原因でしょう。一部記憶の混濁、いや、混乱が見られるようです。死の恐怖に直面したことで、精神的な防衛装置が働いたのかもしれません。即効性のある治療法は残念ながらありませんが……彼も辛いのだということを決して忘れず、根気強く接してください。時間と、皆さんの思いやりが何よりの治療法です。自分の心を守ろうとする作用だと思って、なるべく彼の話を真っ向から否定するのではなく、寄り添って温かい目で見守ってあげてください」
……との診断がされた為、村では人々から温かな(憐憫の)眼差しが注がれるようになる。
ざっくり言うと放置された。
村の襲撃イベントが消滅した事により、彼も大きく運命を変えられたといえる。
邪神
この世界では闇側の存在として最もメジャーでポピュラーな存在。
都会では大体14歳頃に密かに発症する精神的な病気の患者さん達に大人気な存在である。
ちなみに実在の存在であり、その身体はバラバラ殺人事件の如く部位ごとに別の場所へ封印されているという。
攻略対象の王子達は、それぞれ邪神が封印された土地の守り人的役割を担う家系である。




