カーライルの追想
騎士を志したのは、高尚な理想とか、胸満ちる憧れとか、そんな大した理由があったわけじゃなかった。
ただ三歳年下の妹が、駄々をこねて泣いたから。
それがきっかけ。
そんな些細なことが。
それが今、ほぼほぼ毎日殴られてふっ飛ばされてと言った、ちょっと前なら考えられなかった日常を送ることになる、発端の一事だった。
ちょっと我儘で甘えたでおマセさん。
それがちょっと前の妹の姿だ。
今は淑女教育が進んでツンと澄ましているが。
身分を抜きにすれば、まあまあ普通の女の子なんじゃないか? 多分。
そもそもが王女というだけで可愛がられまくっているのに、六代ぶりに生まれた女の子とあってほうぼうからチヤホヤされていた。そうだよ、うちは男系なんだよ。もう端から女の子は生まれないだろうと思っていた両親祖父母を筆頭にこれでもかと可愛がっていた。まあ、王女という身分上、締めるべきとこは締めてきっちり教育もされていたが。
そんな風に育てられたものだから、自分の身分はわきまえつつも、甘えていいと判断した相手……身内には物凄い甘えっ子になった。駄目だといえば引き下がるけれど、我儘なときは本当に我を通してくる。全然折れようとしない。
ある程度の分別が身についた今でそんな感じだからな。分別が付く前の幼い時は、本当にすごかった。
王宮育ちの私はお行儀の良い、礼儀の身についた相手としか接したことのなかったから、自分が三年前はどうだったかなど思い出すこともなく唖然としたものだ。
自分で地面に転がって、手足を振り回して駄々をこねる子供なんて、それまで見たことなかったんだ。
何事かと思った。
なのに周囲の大人は困った顔はしながらも、どこか微笑ましそうにあらあらまあまあとか言ってるし。
あの年頃ならアレが普通と聞かされて、更に唖然とした。何なら数年前は私もああだったと聞かされて、もっと更に唖然とした。全然覚えてない……。
なお、妹が駄々をこねた原因は、朝食のオムレツにチーズが入っていたから。
そんな理由で地面を転がれるのか……自分がなくした真の意味での『幼心』というヤツを見せつけられて呆然とした、七歳の春。
その後もお気に入りの人形を猫に取られたと言っては泣き、とっておきのドレスが小さくなって着られなくなったと言っては泣き、大好きだった侍女がいなくなった(※寿退職)と言っては泣いた。
毎日、全力で泣いて喚いて笑って踊って。
小さな子供の体力は、無尽蔵。どうなってんだ、アレ。三つ年上の私より体力ないか? そうかと思えば、急にことんと前触れなく意識を落として眠り始めるし……どうなってるんだ、アレ。
私には私で教育係がいるし、毎日の日程は決まっている。
妹には妹の教育係がおり、そちらもそちらで私とは別の日程が組まれている。
だから一般家庭の兄妹に比べれば、一緒にいる時間は少ないと思う。両親の意向によって毎日必ず朝食は家族全員で、となっているので顔自体は毎日合わせていたけれども。関わる予定がない時は、本当に接触のない日だってある。
だがそれでも、その言動が記憶に残るくらい、小さな子供ってイキモノは凄まじかった……数年前は私もこんな風だったとか、嘘だろう? 本気で、全然、記憶にない……。
三年という歳の差が間に挟まり、私にとって妹はよくわからない珍獣みたいな。こう、なんか、そんな感じのイキモノだった。懐いてくれてはいるようで、一緒に遊ぶ時間がある時にはとても嬉しそうに後をついて来るので、そういう時には可愛いと思う。しかし、一度駄々をこね始めると意思の疎通困難な動物を相手にしているような気分になるんだ。
正直に言おう。
偶に面倒臭いなって、実は思っていた。
そんな妹の最高に面倒臭かった場面が、私の将来の進路へ全力で影響してくることになるとか。
一体誰が予想できたって言うんだ。
事の起こりは、妹が五歳の時。
何の前触れもなく唐突に、「自分だけの騎士様がほしい」とかなんとか騒ぎ出した。
お得意の、身を投げ出してジタバタ。王女としては最高にみっともない場面だ。
タイミングが良いのか、悪いのか。
それはちょうど、私が妹の面倒を見に来た時だった。
マズい時に来たな、と思った。
一瞬、方向転換して引き返そうかとも思った。
だけど妹を懸命に宥めていた乳母や侍女たちが私に気付いて、見るからにほっとした顔をする。
断言しよう、アレは面倒事を押し付けるに最適な相手を見つけた安堵の顔だった。
逃げるに逃げられなくなった私は、乳母たちに代わって妹を宥めながら話を聞いてやる羽目に。
そうして、聞きだしたことには。
前述したとおり、自分の騎士が欲しいの云々。
私は言った。
お前にも護衛の騎士はつけられているじゃないか、と。
しかし妹はギャン泣きしながら主張する。
あの人たちはお仕事でしょ!——と。
何を当たり前のことを言うのかと思った。騎士達は、誰かを守る事がお仕事だ。
よくよく聞いてみると、利害関係の介在しない、真心でもって特定の個人に忠誠を捧げるタイプの騎士様がほしいとのこと。そうか、騎士に心と忠誠心を捧げてほしいのか。妹個人への。兄さん、お前には十年ちょっと早いと思うよ。
今度は一体、どんな物語に影響されたのかと妹の部屋を見回してみると、ベッドの上に放置された本を発見。
【タイトル:伯爵夫人と騎士の密やかな誓願】
何を読んでいるんだ、何を。
兄さん、お前には十年ちょっと早いと思うよ。マジで。
当時はなんだかちょっと大人向けの本っぽいな? としか思ってなかったけれども、今思い返すとアレ、子供に読ますにはよろしくない類の本じゃないのか? いや、中身に何が書いてあるのかは知らないが。
機会があったら、どんな本だったのか今度確認しておこう。五歳の子供に読めたんだ。きっと難しい内容じゃないさ。きっと。
当時は中身を確認する必要が……? とは思わなかったけれども、明らかに何かしら物語の影響を強く受けたらしい、妹。当時五歳。
そんな妹の癇癪に近い駄々こねっぷりに辟易しつつ、宥めるしかない私。当時八歳。
五歳の女児にお仕事抜きで真顔で本気の忠誠誓う騎士なんて現れる筈ないだろ。いたらそいつは高確率で変態だ。お前は変態に忠誠を誓われて嬉しいのか――?と。
八歳時点で思いつく言葉を尽くして妹を宥めた、その結果。
結局は何故か代替え案として、素敵な淑女になった妹へ、真心こめた忠誠を誓う真・騎士様が現れるまでの間、私が仮の騎士として妹を守るから当座は兄さんで我慢しろ、という話になった。なってしまった。なんでそうなった。
いや、原因はわかっている。
私が宥めている間にも、ちょこちょこ横から合の手よろしく口を挟んで、微妙に妹の思考回路を変な方向に誘導してくれちゃった侍女が原因だ。アレが故意だったのなら、妹操作術の手腕が見事過ぎる。何しろ結局は妹を代替え案で納得させて、泣き止ませたんだから。
でもなんで、私を巻き添えにした?
当座の仮騎士なんて、そこはそれこそ本職の近衛でいいだろ……。
騎士のおじさん達よりお兄様が良いって言われて、悪い気はしなかったけれども。
王女様(五歳の女児)におじさん呼ばわりされて、王女付きの近衛たちが膝ついて項垂れてたけれども。
妹を誘導した侍女は侍女で、「ふおおぉぉぉ! 幼い王女様をお守りする幼い騎士王子様(兄属性)とか! 滾る!!」とかなんとか妙な興奮の仕方してたんだが。妹の乳母やが直視してはなりませんって言うから目を逸らしたけど、あの侍女のアレは何だったのか……。今でもよくわからない。
一応の納得を示した妹だったけれども。
一過性の欲しがりに思えた「自分だけの騎士様が欲しい」は、思ったより結構尾を引いた。
すぐに飽きて忘れるだろうと、むしろ忘れてくれと思った私の願いも虚しく、なんか二年くらい騎士様ネタは続いた。当然、私はその二年の間、妹の騎士役として付き合う羽目になった。付き合わないと高確率でギャン泣きするので、仕方なしに付き合った。
妹の騎士様になる為、努力してるぞ~というパフォーマンスも必要だった。
じゃないと妹が「騎士様になってくれるんじゃないの!?」ってギャン泣きした。
その内、妹の騎士様になる為に兄さん頑張ってるんだ☆というお題目を掲げて武術鍛錬をしていれば、その間は妹から逃げられることに気付いた。
何しろ「お前の為に鍛錬してるんだよ?」という事になっている。
そして鍛錬中は、当然ながら妹の相手は免除だ。何しろ身体を動かすし、訓練用の模造品とはいえ武器を持っている。危なくて妹を近づかせられるわけがないし、それこそ周囲の大人が妹を止める。
妹には「兄さん、お前の為に頑張ってるのに」といえば、渋々ながらも妹は私を訓練に送り出すしかない。
元々、体力づくりや護身の為に、ある程度の訓練はカリキュラムに組み込まれていた。
だけどそれはあくまで護身術レベル。
何しろこの国は『魔法の国』という異名を冠している。
当然ながら物理的な武力より、魔法重視だ。
なので私の予定も魔法重視……だったんだけど。
最初は妹の相手から逃げる為だった。
でも鍛錬を重ねている内に、ふと気づく。
あれ? 私、魔法よりこっちの方が性に合ってないか?——と。
単純に、身体を動かすことが性に合っていた。
加えて私はあまり頭が良くないというか……勉強が得意ではなくて。
私はのめり込むように、増やしてもらった鍛錬の時間に向き合った。
最初は建前としての時間だったのに、妹が厭きるのを待たずに鍛錬の時間をどんどん増やしていった。
もう妹は関係なしに、私は本気で騎士になる夢を持つようになっていた。
そのうち妹は騎士様どうこう言うこともなくなったが、私は騎士って案外自分に向いてる気がして大分その気になっていた。
騎士王といえば黄の国だけど、魔法の国の騎士王っていうのも中々……
我が国は魔法重視な分、一般的な騎士より魔法騎士が求められている。私も騎士を目指すなら、なるべきは魔法騎士だろう。
魔法騎士……イイ。
将来、王族としての勤めを果たすのは勿論として、時勢が私の背中を押した。
折しも時代は邪神復活目前。
年単位で誤差は出るだろうが、もう数年のうちに荒ぶる神が復活するだろうと目されていた。
本来であれば、王子がわざわざ本職ばりに戦える必要はない。それこそ護身レベルで及第点だ。
だが邪神が復活すれば、他でもない王族たる私が矢面に立って戦うこととなる。
戦力をつけるのは急務。
それは私一人に対しても該当する。
王子としてに教育とは別に、強さを磨くことが公然と認められている。
本来なら実践魔法コースに入るよう勧められただろう。
しかし私は、魔法学園の魔法騎士コースに入学することを決めた。その前提で準備も進めた。
そうして、私は魔法騎士コースに入学した。
……入学しちゃったんだよなぁ。
い、いや、べつにっ
そう、別に! 後悔はしてない。
後悔してない、んだけど……今になって「やらかしちゃったなあ」と思ってしまう、この気持ちは何……?
魔法騎士コースへの入学が決まったとき、家族はそれぞれ祝いの品をくれた。
その中で、妹からは少し不器用に刺繍の施された剣帯を贈られた。刺繍は、どう見ても素人の手仕事だった。妹からは言及するなというオーラを感じる……。
妹の侍女に確認すれば、やっぱりというかなんというか、妹が刺したものだった。慣れない剣帯への刺繍はハンカチ等への刺繍とは少々勝手が異なるとかで、刺繍の先生につきっきりで指導してもらいながらの作業だったと。
「姫様、渾身の一作ですわ。可愛らしい犬でしょう?」
「犬……? いや、鳥じゃ? 赤いし」
「殿下は赤犬という言葉を御存知ではない?」
「いや、赤犬って色が赤いって意味じゃ……やっぱり鳥だろ? だって赤い動物って他にあまりいないだろ」
「薔薇の花よ」
私と侍女が顔を向ければ、そこには妹の姿。
額に青筋を浮かべて、大切にするよう念押しをされた。
大切にしよう。
これは大切にしないと、久々に妹が癇癪を起こしそうだ。
十歳を過ぎてから言動が大分大人しくなった妹だけど、本質は多分変わっていない。猫被りは大分上手くなったけどな。
私は、神妙な顔を作って剣帯を巻いた。妹はそれを見て満足そうに頷いていた。
「おにぃさまのバカバカバカバカバカぁー! だいっきらい!!」
脳天を突き刺すような妹の怒声に鼓膜をぶん殴られたような衝撃。
久々にそれを喰らったと錯覚して、私は飛び起きた。
上半身を起こして、混乱する。
「あ、あれ……? 起きた、って事は私は今まで寝ていたのか……?」
「あ、おはよー殿下ー。なんか魘されてたっすよ」
「お、おはよう……? うん? なんでフランツが此処に」
「ははは。殿下、気を失う前後の記憶ちゃんとある? 頭大丈夫?」
「最後の言葉に悪意を感じる! う、前後の記憶……なんだか長い夢を、魔法学校に入学するまでの長い半生を夢に見ていたような」
「それ、走馬灯じゃ……?」
「やめてくれ、縁起でもない」
起き抜けで、意識がしっかりしていないことに気付く。
ぼんやりする頭を抑えながら自分がどこにいるのかと目をやれば、身体を横たえていた場所は……思いっきり露天だな? 柔らかそうな草地。だけど何故かそこには人が密集していて、何があったのか草地は荒れていた。
頭が一際、ふらりとして。
思わず、もう一度後ろに倒れるようにして寝そべる。
すると私の頭を迎え入れる枕の感sy……首痛っ!!
え、なに? 枕とは思えない高さに感触! 特に厚みがあり過ぎて首痛い! 何事!!
寝そべった体勢から首を仰け反るように視線を後ろへ流し……そこにはあったのは地獄絵図。
「エドガー、何をして、いるんだ?」
「枕役かしら?」
なんで、寄りにも寄って、何で……!
なんで学年一の筋肉野郎に膝枕されてるんだ、私ー!!?
「なにこの地獄絵図!」
「あんまりな感想ですわね。でも、気持ちはわかり過ぎるくらいわかりますわ。逆の立場なら私も嫌だし」
「出番がないっていうか、およびじゃないっていうかー? お役立ち場面も来そうにないし、手持無沙汰だったから俺とエドガーで赤太郎殿下の様子見守ってたっす」
「何故、そこで膝枕!」
「地面に直接寝かせるのは憚られて?」
「枕がないと寝にくいかと……」
「分厚い筋肉膝枕の方が寝にくいんだが!? もっとこう、マントを丸めるとか他に枕の用意はできただろう!?」
「看病の時は膝枕が鉄板だって聞いたから」
「誰に!?」
「「トニック」」
「あいつかー!! あのむっつり助平に何を吹き込まれてるんだ! お前らも、もっとシチュエーションとか時と場合とか吟味して!?」
クラスで一番のむっつり野郎と名高いトニック。
そういえばアイツ、前に理想のシチュエーション(看病編)で、肉感的な看護師さんからの膝枕とか戯言ほざいていたな……。看護師は普通、患者を膝枕しないと思うんだが、アイツの頭はどうなってるんだ。
というか、私は本当に何故エドガーから膝枕をくらう羽目に……これは一種の精神攻撃では?
私はどうやら気絶していたらしい。
だが気絶するような何が……?
気絶する前後の記憶がはっきりしないまま、周囲の状況に何かヒントはないかと周囲を見回す。
そうしてやっと、私は気付いた。
周囲の喧騒、非日常を強く感じさせる騒動に。
「なにこの地獄絵図」
そこには、エドガーの膝枕とは別の意味で地獄が広がっていた。
大樹の枝のような二本の角を振り乱して猛り狂い、周囲を取り巻く実践魔法コースの生徒を蹴散らしながら暴れる大きな鹿。
その背に乗った状態で、鹿の首に両腕を巻き付けて締め上げようとするヒューゴ。
同じく鹿の背で、ヒューゴの背中にしがみ付いているミシェル。
大きな馬で並走しながら、鹿を牽制するハインリッヒ。
鹿の周囲を飛び回りながら、何か大声で強く訴えかけるアドラス。
鹿の後ろ脚に蹴り上げられて、飛んでいくディース……。あ、結界を張っているから怪我は心配ないな?
う……っ あの鹿を見ていたら何故か頭痛が!
なんだか思い出してはいけないナニかを思い出しそうで、私は頭を振って意識を切り替えた。
それにしても……この大騒動の近くにいながら、見るまで気付かないとか。
……私、大丈夫か?
赤太郎&妹姫の兄妹仲
赤太郎がシスコンというより、むしろ妹姫の方がややブラコン気味。
そして赤太郎はその事に気付いていない……。
【貴婦人と騎士の密やかな誓願】
少女から老女まで、幅広い年代の淑女から根強い人気を誇る(一応は)全年齢向け恋愛小説。女性の理想の騎士様像と憧れをこれでもかと詰め込んだ一作。
内容としては、夫に顧みられない年若い伯爵夫人と、それを見守る青年騎士の物語。不倫では、とお思いの方もいらっしゃるだろうが、ジャンル的には純愛という事になっている。
なお、全編通して精神性の繋がりを重視するプラトニック志向。ヒーローとヒロインはひたすら見つめ合うことはあっても、手すら繋がない徹底ぶり。
最後はヒロインの幸せだけをひたすら願っていたヒーローが、ヒロインの夫を悪漢から命がけで守って落命。愛した女の夫に看取られながら、彼女の幸せを守れたと満足して亡くなるという謎の最期を遂げる。




