暗殺者 2
愉快な道行きを、先輩達と共にすること暫し。
その指導は、思った以上に為になる事ばかりだった。
ケルベロス先輩がメインで喋って、他の先輩達から都度入る補足の一言、二言。
私が普段意識していないような事や、気付いていなかった違和感を調整するような指導内容で、思った以上に参考になる。先輩達の指導を上手く取り込むことが出来たら、私は更なる高みへステップアップできるかもしれない。
ただ、指導してもらったからと言って、それを即座に身に着けて実行できるかって言ったら別の話なんだけど。呑みこみの良さと対応能力の高さが求められている……!
偵察の仕方に関する内容だからか、それとも私の呑みこみが悪いのか。
実践しようとしているのに、今一つ、私の能力が追い付いていない気がする……
うまく先輩の指導通りに出来なくて、もどかしい。
班の中で、一番私の出来が悪い気がした。
オリバーやフランツは器用に取り込んでいるし、そもそも森育ちのマティアスは下地ができていたのか先輩達も驚くくらいに実践できていたし。
班で一番ガタイが大きくてパッと見、不器用そうに見えるエドガーでさえ何とか指導について行っているのに。
アレだな、繊細さを求められる偵察任務は、致命的に私の性に合っていない気がする……!
普段から私を助けてくれる精霊様達には何の不満もないけれども。
こんな事なら、立てる物音の音量調節が出来ちゃいそうな風の精霊様とかと仲良くなっておけば良かったかもしれない。いやほんと、マゼンタ様・シアン様・孔雀明王様には何の不満もないんだけれども。
これは細かな自分の所作やらいろいろ考える必要がありそうだ。
翻って考えると、私の動作が大雑把で考えが足りないってことだよね。
動作が大雑把とか、令嬢としてはアウト間違いなし。
先輩方の指導をモノにするには、ちょっと苦労するかもしれない。
こうして色々と考えさせられながら、私達一年生は先輩方の指導に耳を傾けつつ足を進め。
先輩方は、私達への指導に熱中し、私達の事を何かと気にしながら足を進め。
土地勘のない、初めてやって来た島の中。
更に普段から人の手はあまり入っていないのだろう、自然の状態に近い森の中。
互いに周囲というより、極めて限定的に狭い範囲の自分と、自分が影響を及ぼす事象に気を取られながら先に進む。
そうやって歩く事、暫し。
私達は、遭難していた。
いや、遭難は言い過ぎだ。うん、遭難まではまだいかない。まだ。
遭難までは行かないけど——言い訳が不可能なレベルで、道には迷っていた。
人生という道に、ではない。
物理的に、自分の現在地点を見失うという意味で、見事に道を見失っていた。
「先輩、ここ、どこっすかねぇー!?」
「地図見ろ、地図! どこまでは道あった!? どこまではちゃんと進んでたんだ!」
「地図かぁ……実は宿泊施設で配られたパンフレットの地図と同じヤツなんだよなぁ、コレ」
「それでも、島の地形や道なんかがわかれば、あるだけ充分だ」
「先輩、地図見ても現在地がわからなかったら、何の助けにも!」
「いや、地図の地形を見て現在地の概算を……周囲、森だな」
「誰か高い木のてっぺんまで行って地形確かめてー!」
「後輩にそういう危険を押し付けるのは駄目だよな。よし、俺が」
「あ、先輩。オリバーの使い魔だったら空飛べるっすよ。低速飛行ですけど」
「く……っまさか再び、あの海月に空まで連れていかれる羽目になるなんて」
「でもフランツ、オリバーの使い魔って制御できてないよね……?」
「ぶっちゃけあの海月が何を考えているのか、わかった瞬間はないな。空に運んでもらうことはできるだろうが、どこに連れていかれるかはわからない」
「駄目じゃん! それ駄目じゃん!! 最悪、オリバー君だけはぐれるヤツじゃん!」
「遭難するときはみんな一緒よ、オリバー」
「もう道に迷ってるんだよ、ミシェル」
うっかり迷子と化した、私達。合計十名の良い歳した少年少女。
一体何をやっているんだか、そう言って溜息を吐く兄の姿が一瞬、瞼の裏に浮かんだ。
ああ、呆れるカロン兄様の姿が目に浮かぶ。
まさか迷うとは誰も思っていなかった為、若干のパニックに陥っている感がなくもない。
というか道に迷うとか、誰も周辺の道とか、現在地とか確認せずに進んでいたという訳で。
先輩と言えども、やはりまだ未熟な学生の内だった模様。
うん、私達含め、初めて来た場所だって言うのに周囲の確認を怠ったお馬鹿さんの集まりと言える。
なんで誰も進む時に地図見てなかったんだよ……。
「どうするよ。完全に現在地を見失っちゃって」
「立場を変えての戦闘訓練どころか、敵の姿すらどこだよ。戦うべき相手が見当たらねーよ……」
「なんだか心なしか、どんどん森の奥深くに行ってません? 先輩方」
「言うな。何となくそんな気はしていたけれども」
「せめてもの救いは、この島に魔物や大型の肉食獣はいない事かな……」
偵察どころか、自分を見失ってしまった。(※言葉通りの意味で)
今の私達は、行くべき先さえわからない。(※言葉通りの意味で)
見通せない先行き(※物理的な意味で)への不安を誤魔化すように、自分達を鼓舞するように喋り続ける。孤独と沈黙こそが恐ろしいと、ひたすら喋っていた。偵察? 沈黙? 隠密行動? そんなもん、道を見失った私達には作戦もへったくれもねえっすよ。
だけど後にして思えば。
この会話こそが、前世で度々耳にした、フラグってヤツだったのかもしれない。
「……確かに、大型の肉食獣には遭遇しなかったな。肉食獣には」
「しっオリバー……黙って! 相手を刺激しちゃいけない」
「………………っ!!」
今、私達の目の前に立ち塞がるのは巨大な四つ足の影。
長く分厚い毛に覆われた身体を、大きく膨らませるようにして。
複雑に枝分かれし、まるで繊細な銀細工のような角を振り立て、首を低く下げて明確な警戒を見せる。
⇒ 森の王 が あらわれた!
森の王。
まさしくそう形容するのが相応しい、大きく、活力にあふれた獣であった。
枝分かれして広がる角の大きさ、見事さももちろんだが、全身を覆う被毛は野生動物とは思えない白と銀の淡い輝きに満ちている。
そんな獣に、森の中で出くわした挙句、明らかな警戒動作を向けられる魔法騎士コース生十名。
「草食ならいたね。大型の獣……っ」
「見ればわかるって。なんでちょっと嬉しそうなんだよ、マティアス!」
トナカイか、ムースか……いや、もしかしたらどちらとも違うのかもしれない。
その身体は、私くらいの大きさだったら背に三人……いや、詰めれば四人は乗せられそうだ。
そんな、見たこともない大きさの、鹿系の獣という事しかわからないイキモノ。
それが酷く荒ぶった様子で、蹄が地面を掻いている。
見た目は優美だけど、気配が闘牛!
あれか? 普段は静かな森に、魔法学園の生徒達が大挙して押し寄せたせいで、環境の変化に気が立っているのか? それともただ単に気性が荒いんですかねぇ……!
あんな大きなイキモノに暴れられでもしたら、ちょっと手に負えない。
角だって繊細に見えても枝分かれする一本一本がそれなりに太い……!
身体だって大きい分、重さもそれなりだろうし。そんな質量で暴れられたら、まさに暴力だ。
暴れてくれるな。間違っても、暴走はしてくれるなよ、と。
息を呑んで顔を引き攣らせる私達。緊張で体が固まりそうだけど、魔法騎士見習いとして棒のように立ち竦む自分なんて許容できない。意地でも、緊急時にだって即応できるよう、意識して強張りそうな身体の力を若干緩める。落ち着け、冷静になれ。視野を広げろ。
そう、視野を………………ん?
視野を広げた結果、私は見てしまった。
とってもとっても大きく立派で、信仰の対象にもなりそうな神々しい鹿さんの、後ろで。
その巨体に隠れるようにしてぴるぴるぷるぷる怯えたように震える、森の王に比べて小柄なナニか。
白というより乳白色みたいな、若干クリーム色を帯びた柔らかそうな色合いの……
………………森の王よりは小柄だけども、遠近感狂う巨体に身体の半分以上を隠しているせいで目測バグりそうだけど、どうやら私が一人乗れるくらいの大きさではありそうな、
なんか、多分アレ。
思いのほか大きいけど、多分……子鹿と呼ばれる範疇に入るだろう、幼獣。
それが潤んだ瞳でぴるぴるぷるぷる、森の王の背後に隠れている、この光景。
もしや子育て期か————!!
ああ、うん。
そりゃ気も荒くなるって物ですねー!?
ものすっごく立派な角をお持ちなので、ついつい雄かと思っていたんですけどね?
子鹿連れであるところを見るに、どうやら……推定森の王は、子育て中の雌だったようだ。
子育て期間中に、棲家を荒らすような事をして申し訳ない。
申し訳ないけど、勘弁してくださいませんかねー……!!
これがただの魔物や一般的な獣であれば、仕留めるのに何の抵抗もないんだけれども。
明らかに森の生態系に関わってきそうな、重要そうな獣が相手という事もあり。
それに何より、ぶるぶる怯える子鹿を連れた母鹿という時点で、こちらの罪悪感が煽られる。
親子鹿ともども揃って仕留めて夕飯のおかずに——とならない点に、育ちの良さがにじみ出ていた。
これがノキアあたりだったら、遠慮無用で情け容赦なく仕留めて「獲ったどー!」って叫びそうなもんだけれども。
悪者になるのを無意識に避けた私達は、なんとか鹿を宥めようとし。
けれども結局、宥めきれるはずもなく。
結局、危惧した通り、母鹿は荒れ狂うままに暴れた。
私達を排除すべき敵と見定め、角を振り立てて突っ込んでくる。
それに対して私達は、到底、対処はし切れないものと本能的に察したからか……つまりは、逃げを選んで蜘蛛の子散らすように逃走していた。固まって逃げるのではなく、母鹿の狙いを分散し惑わす意味も込めて、三々五々ばらばらに。事前に打ち合わせとかしてたっけ、とつい自問してしまうくらい見事にばらばらに走り出していた。はっはは、なんというか、マジで遭難する予兆っぽいよな。
ところが、なんとまあ……ロックオンでもされたのかよって迷いのなさで、何故か母鹿の狙いは私一点に絞られていた。
まっすぐ、私めがけて土煙を立てて向かってくる森の王。
逃走する私。
こうして、不本意ながら。
私は森の王の如き鹿系の獣と、追いかけっこをする羽目となったのだった。
流浪の老占い師イレ婆は、星の導きに従った先で小さな赤子を拾う。
この子供こそが、己の運命。
自分はこの子供を拾い、育て、自分の持てる全てを伝えねばならない。
イレ婆は己の運命を悟り、赤子を本当の我が子のように育て上げた。
自分の最期を予見したイレ婆は養い子へデンタル王国へ向かうよう告げる。
そこにこそ、彼の運命はあるのだと。
やがてイレ婆亡き後、デンタル王国には一人の少年が現れた。
養い親から占いの業と魔術を継いだという彼の名は、大魔術師オヤシラズ。
後に彼は、勇者キシリトールの無二の親友とも、裏切り者とも呼ばれる事になる。




