第12話 微炭酸 side神矢
メロンソーダ、カルピスソーダ、コーラ……
自分の分のコーヒーを淹れ終えて、俺はコールドリンクの機械の前で立ちつくす。
“炭酸”とだけ頼まれた山崎の分の飲み物をどうしようかと悩んでいたら、いつの間にか小森さんの横に成瀬がいて、一緒にフレーバーティーの効能を見て仲良さそうに話していた。
まったく口をつけていなかったグラスの中の飲み物を一気に飲み干してきたのか……
そう思うと、成瀬の必死さにちょっと苦笑してしまう。
これで本人無自覚なのだから、やってられない。
まあ、気付いてしまったら、いろんな意味で苦悩することになるだろうけど。
そんなふうに成瀬の心境を他人事のように考えて、その一方では悪戯を思いついて一人ほくそ笑む。
「小森さん」
名前を呼ぶと、こっちに振り返った小森さんの後ろで成瀬があからさまに睨んでくるから、予想通りの反応につい笑ってしまいそうになって意識して口元を引き締める。
「山崎の分、いれるのお願いできる?」
首を傾げて、微笑を浮かべて尋ねる。
「いいですけど……、何をいれたらいいですか?」
突然のお願いに、小森さんは少し訝しみながら尋ね、フレーバーティーの前から俺の側まで移動してくる。
もちろん、成瀬もその後についてくる。
「炭酸って言われたから、とりあえず炭酸系のを全部混ぜてみようと思うんだけど、どう?」
「どう、と言われましても……」
真面目な口調で尋ねた俺に、小森さんは困ったようにこちらを見上げる。
俺はふっと口元に笑みを浮かべて、茶目っ気たっぷりに言う。
「俺がやるとたぶん怒るだろうけど、小森さんなら受け取ると思うよ」
「そういう問題ですか……?」
「大丈夫、大丈夫」
困ったような眼差しで俺を見る小森さんににっこりと笑いかけ、山崎のグラスを渡した。
※ ※
ぷつぷつ気泡が上がるなんともいえない色の液体のはいったグラスを差し出したら、山崎先輩はグラスと私を二度見し、端正な顔に微笑を浮かべて受け取ってくれた。
「小森、ありがとう」
そう言いながら、視線が隣に何食わぬ顔で座っている神矢先輩に向けられて、その眼光に鋭い光が瞬いたような気がした。
いつでもふわふわの笑顔を浮かべている神矢先輩と違って、山崎先輩は普段無表情で無口だ。
それでも、磨き上げられた芸術品のような端正な顔はあまりにも綺麗で、周囲の女子の騒ぎ声がやむことはない。
今も、通路を通り過ぎる女性客や店員までも、山崎先輩に見とれてぼぉーっとしている。
部活紹介で講堂の壇上に上がっていた時に山崎先輩が笑顔を浮かべていたのは、実は神矢先輩の指示で、数分だけ笑っていろって言われたらしい。
まあでも、端正な顔立ちの山崎先輩が微笑むと眩しすぎるから、普段は無表情くらいがちょうどいいと思う。
そんでもって、神矢先輩の悪戯に気づきながら何事もなかったようにスルーしてしまうクールな性格も素敵だ。
山崎先輩みたいなお兄ちゃんがいたら頼りになっていいなぁと思う。
※ ※
「わざとだろ?」
「んー、なんのことー?」
「とぼけるなよ。神矢は、応援するつもりなんだと思ってた、成瀬の事」
赤点救済勉強会も一段落し昼食を済ませ、成瀬と小森が飲み物を取りに席を立った途端、山崎が無表情のまま、ふいに核心に迫る質問をするから、一瞬、返事に困ってしまう。
確かに成瀬の事は意識しているけど、そういうんじゃないというか……
なんと表現するべきか悩んで、俺はあいまいに苦笑する。
「成瀬が小森と一緒にいると、小森を呼んで邪魔するから少し驚いた」
「邪魔って別にそんなんじゃ……、ってか、見てたのかよ……」
山崎が言っているのが、さっき飲み物を取りに行ったときの事だと気づいて、俺はがしがしと髪をかきむしって俯く。
なんとなく見られてたことが恥ずかしい。
別に応援するつもりも、邪魔するつもりもないんだけど。
俺はただ、成瀬に売られた喧嘩を買っただけなんだけど。
まさか山崎にはそんなふうに見えていたのかと思うと、複雑な心境だ。
まあ、確かに邪魔したことになるのかもしれないけど、小森さんのことをどうこう思ってるからとかそういんじゃないんだ。
成瀬が俺のことをあからさまに敵視するから、なんとなく対抗心というか……
でも。
じゃあ、成瀬がああいう態度じゃなかったら応援するのかと聞かれると、それも微妙だ。
「あれはただ、俺がやったら山崎怒るだろうなと思ったから、小森さんにお願いしただけで」
「小森には怒らないけど、神矢がやったことには変わらないだろ?」
凍りつくような冷気を孕んだ瞳で見据えられて、俺は笑って誤魔化す。
「あっ、やっぱり怒ってた?」
「あの色に最初はなんだと思ったけど、味はそんなに不味くなかった」
「でしょ~? 俺も時々やるけど結構いけるよね~。山崎のは特に小森さんが気をつかって混ぜたから不味くはならないと思ってたよ」
「そうだとしても神矢がやらせたことには変わらないだろ」
「まあ、そうだけどさぁ~、山崎が『炭酸……』とか言うから、炭酸ならなんでもいいのかと」
「炭酸なら何でもいいっていう意味で言ったが、混ぜていいなんて意味じゃないのは分かるだろ?」
普段あまり表情を動かさない山崎が眉間に皺を寄せて俺を睨む。
「まあまあ、いいだろ~」
その視線をなんでもないことのように俺はさらっとかわして、ついでに話題もかえて。
ぷつぷつと微炭酸のように胸に湧いてくるもやもやした気持ちに気づかないふりをした。
その後、山崎は成瀬たちの事については触れてこなかったのは、さすがに本人を目の前にどうこう言うつもりはないからだろう。
山崎や他の二年とそろそろ出ようかという話をして、小森さんと成瀬にも声をかける。
通路を挟んだ向かい側の席に座る二年がテーブルの上に広げた試験問題やノートなどを片付けるのを待っていたら、すでに片づけを終えて座っている小森さん達の会話が聞こえてきた。
「小森、この後まっすぐ帰るのか?」
「特に決めてないけど」
「駅前のCDショップに行くけど、一緒に行かないか? さっき小森が聞きたいって言ってたCD、今視聴できるよ」
「えっ、ほんと?」
「ああ」
「行きたいっ」
「じゃあ、行こうぜ」
「うん」
嬉しそうに頷く小森さんの声が消えて、胸の奥がすぅーっと冷えていく。
山崎に突っ込まれた時、胸に渦巻いた気持ち。
落ち着いたはずの、どこか焦りに似た感情に駆られて、いてもたってもいられなくなる。
一年二人は無理やり参加させた勉強会だったから一年の分は二年で割り勘して、会計を済ませてファミレスの外にぞろぞろと弓道部員が出て、道端になんとなく集まっている。
まだ昼過ぎだから、これからどこか寄っていくかと個々に話し合っていた。
「……神矢も行くよな?」
どこに行くのか決まったようだが、俺はその声が耳まで届いていなくて。
成瀬と話している小森さんから目が離せない。
この場で解散という流れに、小森さんと成瀬が二年に挨拶をして二人で歩き出そうとした瞬間、俺は体が勝手に動いていた。
「小森さん」
弓道部員に背を向けて二人並んで歩き出した小森さんの名前を呼んで引きとめていた。
離れた距離で、小森さんが振り返るから、俺は一瞬、躊躇する。
引きとめておいてどうするかまで考えていなくて、反射的に行動した自分に戸惑う。
だけど、そんな動揺を感じさせないように、いつものように微笑んで。
瞬時に頭の中をフル回転で引きとめた口実を探して、俺は唇を動かす。
「アレ、返そうと思うんだけど……」
咄嗟に思いついたのはそんな言葉だったけど、その短い言葉だけで小森さんは理解したようで、もともと大きな瞳をさらに見開いて瞠目する。
「ほっ、本当ですか……!?」
「うん」
ついさっきはぐらかした俺から返すと言ったから信じられないのだろう。
俺は苦笑して頷いた。
「本当」
俺と小森さんの間には少し距離があって、ぱらぱらと人が通り過ぎる。
「小森……」
会話について来れず、怪訝そうに小森さんに呼びかけた成瀬の声に、小森さんは慌てて振り返った。
「あっ、成瀬君、ごめんね。CDショップ一緒に行けなくなっちゃった」
そう言って何度も頭を下げた小森さんは、人込みを避けながら、俺のもとに駆け寄ってきた。




