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つまらない女だと婚約破棄されましたが、浮気男はこっちから願い下げです〜行き遅れた秀才令嬢は、天才侯爵に溺愛されるようです  作者: 雨野 雫


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43.クリスの本音(3)


 季節は晩夏から初秋に入った頃。クリスはハインズ伯爵邸を訪れていた。


 応接室に通されハインズ夫妻と軽く挨拶を交わした後、クリスはソファに座り彼らと向き合った。夫妻と会うのは、これが初めてのことだ。


 すると、クリスが口を開く前に、困惑した様子のハインズ伯爵が不安げな声を上げた。


「ロイド卿、本日はどういったご要件でしょうか……? 娘が何かご迷惑を……?」


「いえ、そういう話ではなく」


 クリスはすぐに否定したものの、夫人が深刻そうな表情で隣の夫に苦言を呈した。


「やはり大学なんて行かせないほうが良かったんですよ、あなた。すぐに辞めさせましょう?」


 そう言えば、ミラの母親は「女の幸せは結婚して子どもを生むこと」という考えの人だったか。以前ミラからそんな話を聞かされたことを思い出し、クリスは夫人を諭した。


「いいえ、彼女はとても優秀な研究員です。辞めさせるなんてとんでもない。そんなことをしたら、この国の大きな損失になってしまいます」


「そう……なのですか?」


 目を丸くして驚く夫人に、クリスは力強く頷いた。すると伯爵が嬉しそうに顔を綻ばせる。


「ミラは、立派にやっているのですね」


「はい」


 父親と兄は、ミラの研究に深い理解を示している。それはクリスにとって非常にありがたいことだった。そうでなければ、クリスがミラと出会うこともなかっただろう。


 クリスは改めて居住まいを正し、今日の本題へと移った。


「今日は、ひとつお願いがあって参りました」


「お願い、とおっしゃいますと?」


 そう尋ねるハインズ伯爵に、もう不安の色はなかった。場の雰囲気も先程より和らいでいる。が、クリスは手が冷たくなるほど緊張していた。人生の中で、これまでにないほどだ。


 ひとつ深呼吸をしてから、意を決して口を開く。


「私を、彼女の婚約者候補に入れていただきたい」


 夫妻は揃って息を飲んだ。返ってきたのは驚愕の表情と沈黙だ。クリスは構わず続けた。


「無理は承知の上です。ですがどうか、一度ご検討いただけないでしょうか」


 そう言って深々と頭を下げると、ハインズ伯爵が「か、顔を上げてください!」と慌てて声をかけてくる。


 その言葉に従いゆっくりと顔を上げると、ハインズ伯爵は依然として驚いた表情を浮かべていた。少し困惑も混じっている。


「こんな光栄な話はございません。こちらとしても、ぜひお願いしたいところでございます。ですがまた、どうして急に?」


 その疑問はもっともだ。


 今まで、挨拶はもとより一度も会ったことすらなかったのに、急に家に訪ねて来て言うことが「娘をくれ」だなんて、彼らも訝しく思って当然だろう。


 クリスは彼らの疑問を払拭するよう、正直に答えた。


「彼女に惹かれてしまった。ただそれだけの理由です」


 夫妻は再び息を飲んでいた。夫人に至っては「信じられない」と顔に書いてある。あんな研究ばかりしている娘のどこが良いのか、と。


 その反応に、クリスは内心苦笑しつつ、さらに言葉を続けた。


「来年の春までにミラさんの新しい婚約者を見つけると伺いました。それまでに彼女を振り向かせることが出来たら、彼女を私にください」


 クリスの言葉を聞いた夫人は、慌てた様子で伯爵に言い迫る。


「こんな良縁ございませんよ、あなた! すぐに婚約を結んでいただきましょう!」


「落ち着きなさい。ロイド卿の前だぞ」


 ハインズ伯爵はそう言って夫人を窘めたが、彼女はまだ何か言いたげな表情を浮かべている。


 夫人としては、「ミラが振り向いたら」なんて条件などなしに、すぐさま婚約を結ばせたいのだろう。貴族の結婚に最初から愛があることは珍しい。


 ミラの元々の婚約も、政略的なものだった。伯爵の考えも、おそらくは夫人と一致しているはずだ。


 そんなことを考えていると、案の定の言葉が伯爵から返ってきた。


「こちらとしては、ミラの気持ち如何に関わらず、婚約を結ばせていただきたいと思っております。我々貴族は、結婚してから愛を育むことが多いですから。ですがロイド卿は、それは望んでおられないのですね?」


 そんなことは望まない。それでは、望むものが手に入らない。ミラの心という、絶対に手に入れたいものが。


「はい。こちらが侯爵という立場上、彼女は私との縁談を断れない。無理やり迫るのは嫌なのです」


 クリスがそう答えると、ハインズ伯爵は納得したように何度も頷いていた。隣の夫人は不満そうな表情を浮かべていたが、何か言葉を発することはなかった。


「ちなみに、結婚となった場合、ミラは大学を辞めることになるのでしょうか?」


 伯爵にそう尋ねられ、クリスはすぐさま首を横に振った。


「いいえ、ミラさんから研究を奪うつもりはありません。当家の家業を手伝わせる気も全く。彼女には才能がある。私は彼女の才能を、決して埋もれさせたくはないのです」


 ミラを家に閉じ込めるなんて馬鹿なことは絶対にしない。彼女は研究をしているときが一番輝いている。面接で見たあの鮮烈な輝きを、失わせることなど絶対にしない。


 クリスの力強い答えに、伯爵はどこか安心したように表情を緩めていた。


「そうですか」


「仮に私と縁がなかった場合も、理解ある夫と出会ってくれたらと願っております」


「よくわかりました。来春に再びお会いできることを、心から願っております。今後とも、娘をどうか、よろしくお願いいたします」


 伯爵はそう言って、クリスの願いを笑顔で承諾してくれたのだった。


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