30.もう気にしない
結果として、ミラの研究発表は大盛況に終わった。
質問は持ち時間が終わるまで絶えることがなかった上、どれも好意的なものばかり。また、「平民でも魔法が使えるようになる」という研究内容であったため、批判的な意見も覚悟していたのだが、幸いそういった意見はひとつも出ずに終了した。
発表をやり遂げたミラは、盛大な拍手を浴びながら、演壇を降りたのだった。
その後ミラは、クリスと共に一旦ホテルへ戻り、着替えがてら休憩を取っていた。今日は学会の最終日なので、夜に懇親会が開かれるのだ。
夜まで時間を潰した後、クリスとの待ち合わせの時間になったので部屋を出ると、彼もちょうど部屋から出てきたところだった。こういう時は部屋が隣同士だと便利である。
クリスは以前パーティーで見た時と同様、前髪をかき上げていた。そのおかげで、彼の顔がよく見える。
(やっぱり先生って、本当に綺麗な顔をしてるわよね……)
「どうした?」
ミラが無言で凝視していると、クリスは訝しげに首を傾げた。流石に不思議がられたようだ。
ミラは誤魔化すように慌てて言葉を返す。
「い、いえ……! 今日は先生に叱られないよう、露出を最大限に控えたドレスにしましたよ?」
そう言ってその場でくるりと一回転してみせると、裾にかけてボリュームのあるドレスがふわりと広がった。
今日のために選んだこのドレスは、白と青を基調とした落ち着いたデザインのものだ。胸元から首、そして腕にかけて、白いレースで覆われている。
ミラは、魔法師団との懇親パーティーでクリスから「露出が多い」と言われたことをずっと気にしていた。だから今日は彼を不快にさせないよう、肌を隠せるドレスを選んだのだ。
するとクリスは、何ともバツが悪そうに頭を掻いた。
「あれは……悪い、俺の言い方が悪かった。男どもの視線がお前に集まるのが鬱陶しくてな」
(視線が鬱陶しい……? 隣にいる自分も視線にさらされるからかしら?)
首を傾げながらそんなことを考えていると、クリスが真面目な表情で告げてくる。
「ミラ、今日も俺の隣にいろ」
隣にいろというのはつまり、女避けだ。内心「ああ、またか」と思ったが、熱心な女性に薬を盛られて倒れられても困る。
ミラはやれやれというように、肩をすくめて返事をした。
「はいはい、しっかりとご令嬢たちからお守りいたしますよ」
「今回は違う。お前に変な虫がつかないようにするためだ」
「虫……?」
ミラは再び首を傾げる。
そして少し思考を巡らすと、大学の研究員になってすぐの頃、重鎮の教授であるベネットから自身の研究室に勧誘されたときのことを思い出した。確かあのときも、クリスはベネットのことを「虫」と呼んでいたのだ。
「ああ、引き抜きのご心配ですか? 大丈夫ですよ。私は他の研究室に浮気するつもりなんてありませんから」
「そうじゃな…………はぁ。まあいい」
クリスは何か言いたげだったが、言葉の代わりに大きな溜息を吐き出していた。
* * *
大学のホールで懇親会が始まると、クリスとミラはすぐに大勢の研究者たちに囲まれた。その誰もが著名な教授で、学術界の重鎮たちだ。みな他大学の教授たちなので、こうして話すのは初めてである。
「いやはや、流石はロイド先生。この度も素晴らしい研究でしたな。才能が羨ましい」
「いえ、あの研究は全て彼女の出した成果です。テーマ自体彼女の着想ですよ。私では到底思いつきませんでした」
「またまた、ご謙遜を」
そんな会話をクリスの隣で聞きながら、ミラは愛想笑いを浮かべつつ、非常に居心地の悪い思いをしていた。彼らは皆、ミラではなくクリスと話すために集まっているのだ。
研究成果を発表したのはミラだというのに、称賛の言葉は全てクリスに向けられている。彼は「自分の手柄ではない」と何度も主張していたが、皆がそれを聞くことはなかった。
ミラはクリスが話を振ってくれるたびに会話に参加していたが、その話題もすぐにクリスに戻ってしまう。
(仕方がないことだけれど……流石に少し傷つくわね……)
女性研究員がこうして軽んじられることは珍しくない。特に年配の人々は、女性が結婚もせず研究に明け暮れる事を良しとしないところがある。女性研究員の立場向上は、まだまだ道半ばのようだ。
ルミナシア魔法大学では、学生時代に修めた成績もあり、それなりに評価されている。しかし、一歩外に踏み出すとこの有り様である。
ミラは悔しさとも情けなさとも取れない感情を、小さな溜息とともに吐き出した。
(こんなところにいるより、他の研究員と話しに行きたいわね……)
そう思っていたところ、重鎮のうちの数人がクリスを無理やりどこかへ引っ張っていってしまった。そばにいろと言っておきながら、離れていくのはいつも彼の方なのだ。
ロイドが連れて行かれた後、残った教授たちはミラにこんな事を言い残して去っていった。
「自分に才能があると勘違いしてはいけないよ」
「君の研究成果はロイド先生のおかげであって、君の実力ではないのだから」
「以前ロイド先生の研究室に、成果が出たのは自分に才能があったからだと勘違いした輩がいてね。君はそうならない事を願っているよ」
そう言ってきたのは彼らだけではない。ミラに話しかけてきて、発表の感想を述べた後、別れ際に似たような言葉を放ってくる研究者が他に何人もいた。
クリスが聞いていたら激怒しそうだが、ミラは曖昧な笑顔の中に心を隠し、何も言い返さず彼らを見送った。
いや、言い返せなかったのだ。彼らの言うことが、決して間違ってはいなかったから。
クリスがリュミナイトの存在を教えてくれなかったら、恐らくミラの研究は完成しなかった。彼は「お前には才能がある」と言ってくれたが、やはり自分に才能があるとはどうしても思えない。天才クリス・ロイドとは、天と地ほどの差があるのだ。
ミラはいろんな人から「才能がない」と言われるたびに無力感が募っていき、とうとう深い溜息をついた。
(……ひどい気分だわ。帰りたくなってきた。でも、先生に一人で帰るなって言われているし……)
この大人数の中、クリスを探すのも億劫だ。
ミラは一度人混みから逃れようと、会場の隅に逃げ込んだ。そこで気配を消し、しばらく談笑する人々をぼんやり眺めていると、不意に二人のご令嬢が近寄ってきた。
ミラは二人の顔を見たことがなかった。女性研究員の顔は大体覚えているので、恐らくはまだ学生だろう。この学会は、学生も参加できるのだ。
「あの……ミラ・ハインズ先生……いま、よろしいでしょうか」
「はい。どうされましたか?」
ミラが返事をした途端、二人の顔が瞬時に明るくなった。二人共嬉しそうに瞳を輝かせ、食い気味に畳み掛けてくる。
「わたくしたち、この大学の生徒の者です」
「先生のご発表、感動いたしました!」
「わたくしも先生みたいな女性研究員を目指します!!」
「本当にかっこよかったです! 同じ女性として尊敬します!!」
希望に満ち溢れた表情の彼女たちに矢継ぎ早にそう言われ、ミラの心はジンと熱くなった。自分の背中を見て、憧れを抱いてくれる存在がいたのだ。
以前シリウスから「君には女性研究員の道標になって欲しい」と言われたが、少しは役に立てたのかもしれない。
(数ヶ月後には研究の道を離れてしまうけれど、それまでに一人でも多くの女性研究員たちに希望を与える存在になりたい……)
先程まで沈みきっていた心が、急浮上する。ここで落ち込んでいる場合ではない。「魔法補助装置」の実用化に論文の執筆。やるべきことは山積みなのだ。少しでも多くの成果を出して、彼女たちの背中を押したい。
「ありがとう。自分の歩みたい道を諦めないで、頑張ってください」
笑顔でそう伝えることができた。教授たちから言われた言葉は、もう気にしない。




