17.先生は予言者ですか?
魔法師団との懇親パーティーが終わり、二週間が経った。
この間、ミラは会う人会う人にクリスとの仲を聞かれ、その度に誤解だと答えて回っていた。正直なところ、気苦労で疲れ果ててしまっている。
片やクリスは、いつもと全く変わらない様子だ。議論で顔を突き合わせる時も、お昼を一緒に食べる時も、いつもの仏頂面。パーティーの一件が嘘のように思えてくる。
あの日から数日の間は、腰に触れられたクリスの手の温もりや耳元でささやかれた声を思い出し、思わず赤面してしまいそうになることも多々あった。
しかし変わらぬ様子のクリスを見て、自分ばかり意識しているのが馬鹿らしくなり、最近は考えるのをやめたのである。
幸い、ここ数日はクリスが多忙を極めており、あまり顔を合わせていない。
どうやらロイド侯爵領でトラブルがあり、その対応に追われているようだ。それに加えて、研究費を国へ申請するための書類作成も抱えており、彼は毎日侯爵邸と大学を往復する日々を送っている。
そんなある日の昼下がり。
ミラは大学の教育棟にある図書室で調べ物をした後、数冊の本を抱え自分の研究室に戻ろうとしていた。
一度教育棟から外に出て、大学の敷地内を歩いていた時。二週間ぶりに見る顔が、ミラを待ち構えていた。
元婚約者のジュダスである。
なんと彼は、ミラに会いにわざわざ大学までやってきたのだ。
「ミラ……!」
ジュダスはミラを見つけた途端、目を輝かせながらすぐさま駆け寄ってきた。一方のミラは、驚きのあまりその場で固まってしまう。
「ジュダス……」
彼のことだ。また「両家の取引を再開させろ」とでもお願いに来たのだろう。直感的にそう思ったが、彼は思っても見ないことを言い出した。
「ミラ、僕が間違ってた。君とやり直したいんだ」
「…………は!?」
ジュダスの言葉が理解できず、つい大声を上げてしまった。そのせいで周囲の注目を一斉に集めてしまい、ミラは心の内でしまったと激しく後悔する。
(これ以上目立つのはごめんだわ……!)
大学関係者にはパーティーでの騒動を知る者も多い。ジュダスと話しているところを見られて勝手に邪推されても困る。
「話があるなら、ちょっとこっちに」
ミラは慌ててジュダスの手を引っ張り、研究棟の裏まで連れて行った。ここなら人気もないので誰かに見られる心配もないだろう。
一息ついて気を取り直し、ジュダスの真意を確かめるべく問いかける。
「やり直すって……キャシーはどうしたのよ?」
「フラれたんだ。魔法師団をクビになるような人とは一緒になれないって」
(あれだけ私の目の前で仲睦まじそうに抱き合ってたのに、そんなあっさりと……)
婚約破棄された日のあの茶番はなんだったのだろう。ミラは何ともやるせない気持ちになり、大きく溜息をついた。
そもそも、家同士が絡む婚約をそんな簡単になかったことにするなんて、ジュダスもキャシーもやはりどうかしている。彼らの両親もだ。
言葉を失うほどの愚かさに軽い頭痛を感じたその時、ミラはふとクリスの言葉を思い出した。
『だからお前も、もし元婚約者にやり直そうと言われたら、俺をいいように使え。新しい婚約者ができたと』
(まさか先生は、こうなることを見越して……?)
もしそうだとしたら、クリスは天才というよりもはや予言者だ。
彼の予想が的中したことに驚いていると、ジュダスが遠い目をしながら勝手に語りだした。
「僕はね、ミラ。君のこと、すごく尊敬してる。でも同時に、嫉妬と劣等感を抱いてたんだ。魔法の才能にも研究の才能にも恵まれた君に」
(これも、先生が言っていた通りだわ……)
クリスは以前、ジュダスがミラの才能に嫉妬しプライドをへし折られたから、自分より劣った女を選んだのだろうと言っていた。あのときは半信半疑だったが、どうやら本当らしい。
「最初は卑しい嫉妬心を心の奥底に隠して、君のことを応援していた。でも、だんだんつらくなってしまって……君のそばで自分のプライドを保つ自信がなくて、それで……」
「それで、私に大学進学を勧めて結婚を先延ばしにした挙句、浮気を?」
「いや、それは、その……」
目を泳がせ口ごもるジュダスに、ミラは大きく溜息をついた。
本当に、どうしてこんな人と添い遂げようとしていたのだろうか。自分はつくづく男を見る目がないようだ。
「そんなこと、今さら言われても困るわよ」
「……ごめん。本当にどうかしていたよ……でも、君がいなくなってからすべてが上手くいかなくなったんだ。僕には君が必要なんだよ、ミラ」
「私にはもうあなたは必要ないわ」
言い縋ってきたジュダスを見据え、ミラはキッパリとそう言い切った。力強く厳しい言葉に彼は一瞬ひるんだが、すぐさま言い返してくる。
「そんなこと言わないでよ。ミラだって、まだ僕のことが忘れられないんでしょう? だから結婚もせずに大学で研究なんか続けているんでしょう?」
「はあ!?」
ジュダスの突飛な発言に、ミラは眉を跳ね上げた。
的外れもいいところだ。勘違いも甚だしい。
浮気した挙げ句婚約破棄しておいて、まだ好かれていると思っていることも、研究なんかと言ったことも、全てが腹立たしい。
ミラは怒りのあまり、勢いに任せてこう言った。
「私、もう新しい婚約者がいるの。だから、あなたとはやり直さない。あなたと添い遂げるなんて死んでもごめんだわ!」
口をついて出てしまったが、今さら引き下がれない。クリスもいいように使えと言っていたし、謝れば許してくれるだろう。そう信じたい。
怒鳴ったことで少し気分がスッキリしたが、一方のジュダスは顔を青くしていた。わなわなと震えながら、目を大きく見開いている。
「新しい婚約者って、パーティーの時のあの男……? やっぱりミラも浮気してたんじゃないか……!」
ジュダスが導き出した結論に、ミラは頭を抱えた。この人はどうしてこうも的はずれなことばかり言うのだろう。本当に考えが突飛すぎる。
「どうしてそうなるのよ!?」
「君も同罪じゃないか! なのにどうして僕ばっかり酷い目に遭わなきゃならないんだ!!」
ジュダスは声を荒げてそう言うと、ミラの両肩を思いっきり掴み揺さぶった。その拍子に小脇に抱えていた本がバラバラと地面に落ちる。
「痛っ……離して!」
力強く掴まれた肩は、彼の指がぎりぎりと食い込んでいる。ミラは彼の腕を掴み返し、どけようとしたが、流石に男性の力には敵わなかった。
ここは研究棟の裏。人気はない。
誰かに助けを求めたかったが、ジュダスの話を聞くために目立たない場所を選んだことが、ここに来て裏目に出てしまった。
(どうしよう……叫んだら誰か来てくれるかしら……)
恐怖心がジワジワと胸の奥底から湧いてきた時、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「女性に暴力は感心しないなあ」
ジュダスはビクリと肩を跳ね上げ、すぐにミラの肩から手を離す。
「シ、シリウス団長……!」
ミラが振り返ると、そこには爽やかな笑顔をたたえたシリウスが立っていた。しかしいつもの笑顔と異なり、目が全く笑っていない。
背筋がゾクリとするような威圧感。シリウスの怒りの矛先はジュダスだと頭ではわかっているものの、ミラは思わず居住まいを正した。
これまでにこやかな彼しか見たことがなかったが、流石は王族。威厳と風格が違う。
クリスも怖いが、それは顔だけだ。彼の仏頂面を見慣れたミラにとっては、シリウスのほうが余程恐ろしく思えた。
「だから僕はもう君の団長じゃないってば」
シリウスはそう言いながらゆっくりと近づいてくる。ジュダスはまるで怪物に出会ったかのように震えだし、一歩、また一歩と後ずさる。
「できれば魔法は使いたくないな。後処理がちょっと面倒だから」
人への攻撃魔法の行使は、やむを得ない場合を除いて禁止されている。だが彼なら、これを「やむを得ない場合」として処理することもできるのだろう。
それを理解してか、ジュダスは大声を上げながら逃げ出した。
「す、す、す、すみませんでしたあぁぁぁあ!!」
なんと逃げ足の早いことか。彼の背中はあっという間に見えなくなってしまった。
(逃げるくらいなら来ないで欲しいものだわ……)
急展開についていけず、ミラが少し呆けていると、シリウスが落ちていた本を拾って手渡してくれた。
「はい、これ。大丈夫? クリスに用があって研究棟に来てみたら、裏手からジュダス君の大声が聞こえて、まさかと思ってね。大事になる前で良かったよ」
彼の声でようやく我に返ったミラは、恐怖心が消え去ると同時に安堵の息を吐いた。本を受け取りながら、頭を下げて礼を言う。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。今から研究室に戻るところだよね? 一緒に行こうか」
「はい」
こうしてミラは、シリウスとともに研究室へと向かうのだった。




