14.困惑する元婚約者
「ああ、いたいた! ちょっと道を開けてね」
その言葉とともに人垣の一部分がさっと割れ、道ができた。そこから姿を現したのは、第二王子であり魔法師団団長、兼、特務部隊の隊長でもあるシリウスだ。
爽やかな笑顔を浮かべるシリウスは、こちらに向かって手を振りながら近づいてきた。そしてその後ろには、鬼のような顔をした兄もいる。
クリスはシリウスの姿を認めた途端、ミラの手をスッと離した。
そのことに少し驚いて見上げると、彼はやれやれという表情を浮かべてシリウスを見ていた。どうやら事の成り行きを見守ることにしたようだ。
「シ、シリウス団長!」
ジュダスが慌てて敬礼をすると、シリウスは笑顔を崩さないままこう告げた。
「ああ、敬礼なんてしなくていいよ。僕はもう君の上官じゃないからね」
「ええと……それはどういう……?」
「君は今日で魔法師団をクビってこと。明日から来なくていいから」
「……え?」
シリウスから放たれた突然のクビ宣言に、人垣がざわざわと騒ぎ出す。
事情を知らず「どういうこと?」と首を傾げる研究員に対し、魔法師団員が説明を加えていた。ほとんどの経緯を知っている魔法師団の面々からは、納得の声が漏れ出ている。
しかし当の本人は困惑し、顔を真っ青にしていた。
「シリウス団長、なぜですか!? 私が何をしたと言うのです!?」
ジュダスが必死に言い縋ると、シリウスはくすくすと笑い声を上げる。
「驚いたなあ。自覚ないの? 浮気して婚約者を捨てた挙げ句、こんな公の場で騒ぎを起こす奴なんていらないよ。魔法師団の品位が疑われてしまうからね」
「わ、私は浮気などしておりません! それはミラの……彼女の妄言で!」
ここに来て全てを他人のせいにしようとするジュダスに、ミラは怒りを通り越して呆れていた。今さらそんなことを言ったところで、信じる者など誰もいないだろうに。
ミラが小さく溜息を漏らしていると、隣から盛大な舌打ちとともに恐ろしい言葉が聞こえてくる。
「あんな低俗、さっさと燃やしてしまえばいい」
その声はとても小さく、ミラにしか聞こえていなかったのだが、耳にした言葉があまりにも物騒だったので、ミラは思わず肩をビクリと跳ね上げた。恐る恐るクリスの顔を見上げると、大層機嫌が悪そうに眉を顰めている。
そして、機嫌がすこぶる悪い人物がもう一人。兄のエイダンだ。彼はジュダスの胸ぐらを掴みながら、その額に何本もの青筋を浮かべ、今にも殴りかかろうとしていた。
「浮気をしていないだと……? 貴様、もう一度殴られたいらしいな……!!」
「ひぃっ!」
ジュダスはエイダンよりも二回りほど小柄なので、遠巻きに見ればウサギと狼に見える。ジュダスは完全に怯えきっていて、抵抗する気も起きないようだ。
その光景にシリウスはやれやれと溜息をつき、エイダンを窘めた。
「エイダン、そのくらいに。パーティーに血はふさわしくないからね。それと、ジュダス君。君の言い分を聞くつもりはないよ。今までご苦労さま。あ、衛兵の君たち、彼をつまみ出してくれる? あと、彼の連れのその女性も」
「え!? ちょっ、待ってください、団長! 団長!!」
「ちょっと、離しなさいよ! 離せって言ってるの!」
衛兵に両脇をがっしりと掴まれたジュダスとキャシーは、そのままズルズルと引きずられ会場から連れ出されていった。
シンと静まり返るホール。参加者たちの視線は当然、円の中心にいるミラとクリス、そしてシリウスたちに集まっている。
(はあ……今すぐここから走って逃げ出したい……)
ミラの胃はキリキリと悲鳴を上げており、内心冷や汗が止まらなかった。一方、隣のクリスは、我関せずといった様子で飄々と佇んでいる。どうやら彼の心臓は鋼でできているらしい。
しかし、状況はすぐに好転した。シリウスがこの場を取りなしてくれたのだ。
「皆、こちらの事情でお騒がせして申し訳ない。せっかくのパーティーだ。気を取り直して存分に楽しんでくれたまえ」
笑顔のシリウスが参加者に向かって朗々と語りかけると、皆その指示に従って散り散りになっていった。そして会場はすぐに喧騒を取り戻し、騒動前と変わらない賑やかな雰囲気になる。
(さすがはシリウス殿下……!)
ミラが心のなかで尊敬と感謝の念を抱いていると、シリウスとエイダンがこちらに近づいてきた。そして、シリウスが労わるように声をかけてくる。
「ミラ嬢、災難だったね。ここだと視線が鬱陶しいでしょう? 少し場所を移そう。エイダンはクールダウンしておいで。そんな怖い顔をしていたら、怖がって誰も近づかないよ」
上官の提案でエイダンは外の風を浴びに出ていき、ミラとクリスはシリウスに連れられ、別室で少し休憩することになった。
王族専用の休憩室に入るやいなや、クリスが眉根を寄せながらシリウスに対して不満をこぼす。
「どうせ来るならさっさと来い。最初からお前がいたら、あそこまでの騒ぎにはならなかった」
「ごめんごめん。ちょっと公務が立て込んでてさ」
シリウスはどうやら先程までパーティーには顔を出していなかったようだ。もしかしたら騒ぎを聞きつけ、慌てて駆けつけてくれたのかもしれない。
「シリウス殿下、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「いいよ。むしろ遅くなっちゃって本当にごめんね。まさか彼がパーティーに来るとは思ってなかったんだ」
それはミラも同意見だ。他の魔法師団の面々も、まさかジュダスがパーティーに参加するとは思ってもみなかったのだろう。
ジュダスが会場に現れた理由を伝えるか悩んだが、なんだかまたクリスの機嫌を損ねてしまいそうな気がして黙っておいた。
すると、渋面のクリスがシリウスに苦言を呈する。
「そもそも、あんな奴最初からクビにしておけ」
クリスは鋭い眼光を向けたが、シリウスはそれを意にも介さず、軽く肩をすくめただけだった。クリスと付き合いの長い彼にとって、こうしたやり取りはもう慣れっこなのだろう。
「悪かったって。でもまさか、クリスがミラ嬢の恋人のフリをするなんてねえ。もう少し見ていたかったなあ」
(恋人のフリ……!?)
腰に腕を回して抱き寄せてきたのも、ジュダスの問いに対して含みのある返答をしていたのも、全ては自分がミラの恋人のだと思わせるためだったらしい。しかしクリスがどうしてそんなことをしたのかは、やはりわからない。
目を眇め、からかい気味のシリウスに、クリスは顔を引き攣らせながら問い詰めた。
「お前……最初から見てたな……? 執務室から魔法で覗いてたんだろう!?」
「ハハッ、正解! 純粋にパーティーの様子が気になってね。そしたら君たちが揉めてるのが見えたから、慌てて駆けつけたってわけ。感謝してよね?」
まさに暖簾に腕押し。クリスがいくら怖い顔でキツいことを言おうが、シリウスは全て軽くあしらい受け流してしまう。
これまで口喧嘩でクリスに勝てた人物を見たことがなかったが、もしかしたらシリウスが彼に勝てうる唯一の人かもしれないと思った。
「はあ……もういい」
クリスはシリウスに言い返す気力が失せたのか、疲れたように溜息を吐き出し、休憩室の隅にある適当な椅子にドカッと座った。
その様子を見たシリウスは、ミラの目を見ながら、「困った人だよね」と言わんばかりに肩をすくめていた。ミラは何とも言えず、苦笑を返すしかない。
「じゃあ、僕はもう行くよ。二人はもう少し休んでから戻るといい。まだ好奇の目で見られるだろうからね」
公務が忙しいのか、シリウスはそう言うと、颯爽と部屋から出ていった。




