10.ずっと俺の隣にいろ
数週間後、朝。
挨拶をしに普段通り教授室に顔を出すと、クリスがいつも以上に険しい顔をしていた。
「おはようございます……って、どうしたんです? そんなに眉間にシワ寄せて」
ミラがそう問うと、クリスはこれが答えだと言わんばかりに、手に持っていた封筒を執務机に放り投げた。
それは、赤い封蝋が押された真っ白な封筒だった。封蝋にはこの国の紋章である六芒星が描かれており、王家からの手紙だということがわかる。
しかし、ミラにはその封筒に見覚えがあった。つい最近ミラも同じものを受け取ったのだ。
「魔法師団とルミナシア魔法大学の懇親パーティーの招待状じゃないですか。今年は私も行きますよ」
王家が主催するそのパーティーは、魔法使いと研究員の親睦を目的としており、毎年開催されている。
ミラは去年までは学生だったので行けなかったが、晴れて研究員となった今年は堂々と参加できるのだ。前々から行ってみたいと思っていたので、招待状を受け取ったときは正直舞い上がってしまった。
ワクワクした表情のミラに、クリスは怪訝そうな顔を向ける。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「だって! いろんな研究員や魔法使いと交流するチャンスなんですよ!」
大学の研究員と交流する機会はまだしも、魔法師団の魔法使いと交流する機会なんて滅多にない。魔法談義に花を咲かせるチャンスだと、今から楽しみで仕方ないのだ。
ミラがキラキラと目を輝かせていると、クリスは深い溜め息を吐き出した。
「そんなにいいもんじゃない」
「何かあったんですか?」
その問いに、クリスは何か嫌なことでも思い出したかのように、忌々しそうに答える。
「何年か前、ひどい目にあったんだ。毒を飲まされそうになってな」
「ええっ!? 大丈夫だったんですか!?」
王家主催のパーティーで毒とは大変な事件だ。新聞沙汰になっていてもおかしくないだろうに、ミラはその事件を知らなかった。
「ああ。一口飲んでおかしいことに気づいたから、何とかな」
「飲んじゃってるじゃないですか! お体は大丈夫なんですか?」
毒の種類によっては後遺症が残っているかもしれない。ミラが顔を青くしながらクリスの身を案じていると、彼は手をひらひらと振ってミラの懸念を否定した。
「毒と言っても人体に害があるものじゃない。飲まされそうになったのは媚薬の類だ」
「ああ……なるほど……」
ミラは瞬時に全てを理解したと同時に、心から彼に同情した。
クリスは異性から大層モテる。いくら女性の魔法使いや研究員の割合が少ないとはいえ、集まればそれなりの数になるのだ。
その女性のうちの誰かが、彼を射止めようと薬を盛ったのだろう。その女性がどうなったかは、あえて聞くまい。
「毎年、女にまとわりつかれて面倒なんだ。だが王家主催の上、シリウスが絶対に出席しろとうるさくてな。今年は仮病でも使おうかと悩んでいたところだ」
「シリウス殿下には仮病だとすぐにバレそうですけどね……」
仲の良い二人だ。シリウスにはクリスがどうにかして欠席しようとしているのが目に見えてわかるだろう。その気になれば引きずってでも連れていきそうである。
しばらく頭を悩ませていたクリスだったが、不意に何かひらめいたようにパッと顔を上げた。
「そうだ。今年はお前がいるじゃないか」
彼と目が合う。その碧眼にはこちらへの期待が多分に込められており、非常に嫌な予感がする。
「ミラ。パーティー中はずっと俺の隣にいろ」
「嫌です」
ミラは即答した。そのことにクリスは顔を顰め、わずかに傷ついた反応を見せる。
「……そんなに嫌か?」
「嫌ですよ。だってそんなの、他の女性の方々からなんと言われるか。ああ、想像するだけで怖いです」
出席者は全員貴族。その場にいる女性たちも、もちろんどこぞのご令嬢だ。そんな彼女たちから恨みは買いたくない。
「ですので、私を女避けに使わないでください」
「俺が倒れたらお前の研究を見てやれない」
「うう……それを言われると……」
クリスがいなくなるのは大変困る。とはいえ、女性たちからの怖い視線をパーティー中ずっと浴び続けるのは気が進まない。
ミラは何とか上司の命令を断る方法がないかと考えを巡らせた。
「先生って、婚約者とかいないんですか? 私を隣に連れていると、色々勘違いされますよ?」
断る理由にならないかとそんな話を振ると、クリスの表情がかすかに曇った。
「婚約者がいたらお前にそんなことは頼まん。結婚は……自分が信じていいと思う相手としかしたくないんだ。あいにく俺に寄ってくるのは、金と地位にしか興味がない女ばかりでな」
ミラはその言葉を聞いて、すぐにシリウスから聞いた話を思い出した。研究成果を持ち逃げされたクリスは、人間不信気味だという話を。
寄ってくるのは金や地位や顔に釣られる女性ばかり。そんなのクリスにしてみたら迷惑なだけだろうし、余計に人間不信に陥ってしまいそうだ。
クリスにとって、結婚しても良いと思える相手を見つけることは、想像以上に大変なことなのかもしれない。
そんな彼が、自分の隣にいてくれと、そう求めてきているのだ。これは少しくらい協力しないとという気持ちになってくる。
(せっかく頼ってくださってるんだもの。先生の信頼に応える時よね)
決心がついたミラは、任せてくれと言わんばかりに胸に手を当て、勢いよく宣言した。
「わかりました! そういうことなら、私が先生をお守りして差し上げましょう!」




