ピーナッツバターとジェリーのサンドイッチ
本来は秋に書くべきよね、こういうのは。
子どもの頃に読んだ小説(濫読のせいで覚えていない)に出てきた、ピーナッツバターとジェリーのサンドイッチに長いこと憧れていた。
当時のわたしからみたらお姉さんな登場人物が、ダイエットを謳いながらピーナッツバターとジェリーをたっぷり塗ったサンドイッチにかぶりついているのである。
今にして思えば謎の描写であるが、ピーナッツバターもジェリーも見たことがなかった当時は「そういうもの」としてインプットされてしまった。
そもそもジェリーがわからない。当時の自分が知っているジャムとは違うということだけは認識した。かといって、説明できないものを買ってくれとも言えない。
ピーナッツバターも、当時はあまり一般的ではなかった。ピーナッツクリームの方が主流だったかな。それでは違うのだ。
こうして、憧れは憧れのまま消えた。
……はずだった。
生きていると余計な知識が増えてしまうもので。
とある年に、りんごのジェリーの作り方を知ってしまった。
用意するものは、紅玉りんご、水、クリスタルシュガー(氷砂糖)。
道具は鍋と濾せるものと容器とへら、そして出来上がったジェリーを入れる瓶。
紅玉りんごを同量(多くてもよい)の水でひたすら煮る、りんごがぐずぐずに崩れるまで。
煮えたらひたすら濾す。決して搾ってはいけない。自然に落ちるに任せるまま一昼夜、水滴が落ちなくなるまでおく。
濾した液を鍋に移し、半量くらいになるまで煮詰め、最初に量ったりんごと同量のクリスタルシュガーを加える。好みの固さになるまで煮詰め、瓶に詰める。
これだけなのだが、まあ時間のかかること。
あと砂糖がりんごと同量だと味がほぼ飴である。わたしは半量で作っているが、それでも甘い。かといって、減らしすぎるとペクチンが仕事をしてくれなくなるので減らしすぎも良くない。結果、半量で妥協している感じになる。
本当はもう少し減らせそうではあるけれど、ちゃんと砂糖を入れた方が日保ちもするしね。
何度かの試行錯誤の結果、最初にすることが変わった。
皮をむき、芯を取り、これらはお茶パックへ詰めて鍋底へ入れ、適度にカットした実を詰めて水を注ぐ。ヘタとおしりの部分だけは捨てる。
ジェリーを作るのに必要なのは、水に溶け出した皮の色と実のエキス、そして種から抽出したペクチンのみ。
実がもったいないと思ったものの、丸ごと煮たときは残った実を濾すのがそれはもう大変で、途中で投げ出したくなったのだ。
だったら最初から分けてしまえばいいのでは。
こうして実も余裕で食べられるようになったのであった。
液を濾すのは、晒(製パン時に使う布巾用)をざっくり縫って袋にし、そこに入れて吊るした。ざるが一昼夜埋まっていると不便だから。
濾した液はりんごが酸化した色をしていて、きれいなものではない。それが、砂糖を入れてからしばらくすると、美しいガーネットに変わるのだ。
あれが見たくて作る(食え
とうとう作ってしまった、ジェリーを。小説の中のジェリーはぶどうで、これはりんごだけど。これはもう、やるしかないのではないか。ピーナッツバターとジェリーのサンドイッチ。
運が悪いというかなんというか、ピーナッツバターがあったのだ。その頃はピーナッツバターでクッキー焼いてたから。
魔が差すって、こういうことなのだろうな。
ピーナッツバターとジェリーをたっぷり塗ったサンドイッチ。
ひと口食べて、出た言葉は。
「飲み物。」
甘い。くどい。飲み物がないと食べられない。
別々ならなんともないけれど、合体したらなんじゃこりゃとなった。お好きな方には申し訳ない。
なんだろう、ス○ッカーズを彷彿とさせる。わたしは苦手なのだ、あれ。
ホームステイ先のママが持たせてくれたランチにも入っていたけれど、欠食児童後輩たちに食べてもらったくらい。
結論は「たっぷり塗ってはイケナイ」であった。
ダイエットを謳いながら食べてたよな、小説の中のお姉さん……。
嘘でしょ?
といいながら、たまに薄塗りにしたものを作って食べている。




