今年で二九年
そのとき、わたしは夕飯の支度をしていた。
夜のはずの記憶はいつの間にか勝手に夕方へと書き換えられていた。
脳の改竄機能おそるべし。
一九九四年四月二六日二〇時一六分頃、名古屋空港にて起きた中華航空機の墜落事故である。
当時住んでいたところはなんでかやたらと交通事故の多い場所で、そのときものんきに「あーあ、またこんな変な時間に(交通)事故なんか起こしやがって」と思いながら料理の仕上げをしていたのであった。
しかし、ちょっと考えてみよう。
どかーんどころでなくとんでもない衝撃音と窓ガラスもビリビリいうような空気の振動、五階にいるのにわかる揺れ。
自身も一瞬ビクッとしたのに。
……なんか、おかしくね?
窓から外を見れば、夕焼けというにもなんだか奇妙な、日の暮れた暗さの中の禍々しい赤と黄色。やけに明るい。
この辺の事故であれば来るはずである救急車の音はなく、近くに見える歩道橋上に人だかり。花火大会の日でもそこにはこんなに人いない。
盛り付けた料理を持ってテーブルまでいけば、目に留まるテレビの画面が大惨事の映像を流していた。
「え、まじかこれ」
窓から見えるあの異様な赤色の正体は、墜落後爆発炎上した機体の炎が発する光。
そのときのわたしにできたのは、その方向に向かって手を合わせることだけだった。正直にいって、テレビの映像も見ていられなかった。
十キロくらい離れたところでこの有様である。住んでいたのがもっと空港に近かったらどうなっていたか、自分でもよくわからない。それほどに動揺は激しかった。
記憶が改竄されるはずである。夜なのに、これだけ離れていても明るいんだもの。
わたしの災害や事故の映像が見ていられなくなる原点は、一九八五年に御巣鷹山で起きた日航機墜落事故である。これは当時小学生。そして今度の事故が決定打となる。
それでも朝は来るわけで、翌日の大学でもこの話題である。ぶっちゃけ参加したくはなかったが、人と一緒にいる以上避けて通れない。
が、目と耳を疑った。
「ニュースでみたからさあ、近くまで行ってきたんだよねー。○○くん誘って」
「通行規制がすごくて、近くといっても□□の辺までしか行けなかったんだけど。燃えてるのってキレーだよねえ」
わざわざ行くんだ。そんで、笑って言うことなのかな。
なんとなく、知り合った当初からそういうタイプであろうという認識はしていたが、本当に実行するとは思っていなかった。だめだ、こいつらと付き合ってたら感覚がおかしくなる。
この辺りから、学内での人間関係が崩壊していったのだった。
まあ崩壊してよかったよね、結果別方向で人生踏み外したけど。




