序盤で挫折
食べ物以外への情熱は、だいたいこんなもの。
母が「和裁以外はなんでもござれ」の人だったのもあって、種類によって手を出す出さないはあったものの手芸は身近なところにあった。
わたし、不器用なんだけど。
どれだけやったところで手縫いの目も編み目も揃うことがない。ミシンの縫い目は直線にならない。そして人より時間がかかる。高校でのレース編みの件は例外みたいなもの。
センスは壊滅的で、できたものはいびつ。
いいじゃない、下手の横好きだもの。なんとはなしに自分を慰める。
完成することなくこの世を去ったものも多い。
その筆頭はパッチワークキルト。
パッチワークはなんとかいける。文字通り「端巾のつぎはぎ」だから。
小物なら、やってる間は楽しい。大物は、よく終わりを見失う。
そしてその後のキルティングがなかったことに。
最初からやらないなら、まだいい。
キルト綿を間にはさんで裏布を当て、しつけをし、縫って……縫って……いつ終わんのこれ……縫って……、もうやだ……。
投げ出す。
そんなんばっか。
完成しなかったよ、子どもがうまれたら使おうと思った、おくるみ。
キルティング途中で挫折したね。あれどこいったんだろ。
こういうことをするから、それ用の道具を買う気になれない。欲しいんだけどね、パッチワークこて。縫い代折るのに便利だし。
奇跡的に完成したものもある。予想外に重たくなったバッグ。
持ち歩く気になれないくらい、重い。どうしてこうなった。
本体を夏の生地にしたけど、キルトなせいでやけに暑苦しい。夏に持てない夏生地。だめじゃん。
母が参加していた団体で、ベッドカバー作ってたのをみた(合作)。キルトワークをするために、代表さん宅には作業部屋があった。
作業当時の彼女たちは今のわたしと同じくらいの年齢だったはず。
――できる気がしねえ。既にけっこうなローガンが。
よくやってたよねえ、彼女たち。
夏休みの某施設イベントで、ワークショップ出展して。
母がこちらに出席していて暇だったので、わたしはなぜか七宝焼にはまってた。いくつかできた壊滅デザインのキーホルダーはどこへ消えた(捨てた覚えはないのに見つからなかった
籐細工はうっかり折ってしまっていけない。たぶん今やっても何本かは確実に折ると思う。
気力の継続という意味では、キルティング手前で終われるものしか向いてないかもしれない。コットンボールなんかはよく作った。
黒地の五角形と生成か白地(ピンク地もあったな)の六角形をあわせてサッカーボール風とか、六角形だけで繋げたボールとか。詰め物に綿かスポンジがあればできる。
そういえばあの作ったいびつなボールの群れ、いつの間にか全部消えてたんだけど誰か食べた?
布だけは買わなくなった今でもものすごい量ある。地元大手手芸洋品店(布屋と認識している)の分店みたいなところがあったのだけど(知ってる人は知ってる感じ)、そこが閉店するときに山ほど買い込んだ布がですね。
ひと巻きのとかある。ぜんぜん減らねえ。
マスクにしてみたんだけど、濡れるとその部分の色が変わるから使えない。
使い道、ないなあ……。
編み物は,スヌードなど小物とレースはなんだかんだ仕上げるけど,セーターなどの大物には手を出さない。
「レース編み」回でも書いた通り、糸を締めて編む癖があり、ゲージ(縦横十センチ角に編み目が何目、何段あるか)が取れないのだ。パーツごとにサイズが違うとか、目も当てられない。
スヌードは出来てからメビウスになってるのに気づいてみたり、閉じたところだけ目の表裏が違っていたりする。どうせ使うのは自分だけだから直さない。
上達しない所以ともいう。
刺繍の話題が出てきていないことに、お気づきだろうか。
うん、できないんだよ。創作話に出てくる「慣れないうちはよくわからないものができた」レベルが小学生から継続中で。刺繍できる人のことは拝みます、はい。
相性よろしくない義母のことも拝んでたりする(生きてる)。あれはわたしにはできないからね、すごいと思ってる。




