はじめてのチヂミ
歩いて行けるところに「韓国家庭料理の店」を銘打った呑み屋があった頃、たまーに「ごはんを食べに」行っていた。収益率の低い客でごめんなさい。
あまり喋らないのに気さくに見えるオモニ(韓国語で「おかあさん」を指す)がやっているお店だった。なんとなく、韓国語ができないから日本語で言うのだけれど、ゆっくり丁寧に話したくなる感じで。後から思えば酔っぱらいを相手にできるのだから、そんな心配は無用なのに。
何度目かでようやく、初めて入ったときから気になっていた「韓国ラーメン」を注文してみたら、馴染みのあるものが出てきた。
うん、家にストックしてあった韓国の即席袋麺だ、これ。約五倍の価格になって目の前に登場した。
いや具もあるし調理という手間があるから、価格に関して文句を言う気はなかったのだが。即席袋麺が出てくるとは思わなかったから。むしろ即席袋麺以外のものを期待していた自分が悪い。
現在はわたしがこの即席袋麺を口にできないため、なにやら懐かしい思い出である。家族が食べたいときだけ買ってくる。
それはさておき。
今はもうないこのお店で、楽しみにしていた料理があった。チヂミである。
自分で作れないことはないはずなのだが、お好み焼きですら焼いたそばからなくなっていく家である。何枚焼けばいいのか見当もつかない。だったらお店で食べた方がいいよね。そう結論付けていた。
のだが。
韓国料理も手放しで受け容れられない現在の身体。日本人向けにアレンジされていればなおさらである。おそらく店員さんに尋ねたところでわからないだろう。
気になっている韓国料理のお店を数軒、近くへ行く度に横目に眺めて通りすぎる。作らなければ安心して食べられない。
ある日、にらが安くて手を出した。二束組になっていた。多いわ。
そこで思った。チヂミにすれば。
いろいろサボっているため開封後時間が経っていて、使いきってしまいたい薄力粉もある。米粉でもいいのだけれどもこちらの消費を先にして。
たれは適当でいっかなと、さとう、酢、しょうゆを〇.五:一:一で混ぜておく。さとうを溶かすために事前に準備しておくのだ。きれいに混ざったら小皿へ移しておく。ここにいりごまやごま油を足しておいてもいい。
卵と水、鶏ガラスープの素を溶きほぐしたところへ片栗粉と混ぜた薄力粉をふるい入れて混ぜる。
適当な長さに切ったにら、細切りにしたにんじん、薄切りにした玉ねぎ、小さめに切った豚肉を加えてさっくりと混ぜたら、油を多めに引いたフライパンに薄くのばして焼く。
片栗粉効果でカリカリ感は出ているから、追いごま油は省略。するとパリッと仕上がるけれど、ちょっと多いのね、油が。
食べやすい大きさに切って皿に盛る、それが面倒で、そのまま皿へ一枚どーん。箸で千切りながら食べればいいよと。どうせ本場のようにシェアしないし。
結論。
やっぱり一枚だと食べ足りない。主食なのかおかずなのか、おやつなのかつまみなのか。
しかし、二枚にするとにら一袋分は一度に食べる量としてどうなのってなる。
食べ過ぎると、にんにくのもつそれと同じ成分であるアリシンによって、消化器官が傷むから。
適量って、難しい。
それだけで食事を済ますなということなのだろうけれども。




