学生んときの思い出 苦手科目の履修
誤字報告をありがとうございます…感謝しかないです。
たまに人から聞く話に「とっくに卒業しているのに、大学で単位がとれない(卒業できない)夢を見る」というものがある。
そのときどきによって科目が違うようなのだが、わたしは常に同一科目である。
しかもその科目は、他の人とは違って必修科目ではなかったりする。
その科目とは、数学。
中学のときに学級崩壊しかかっていたクラス(これは当時の担任の先生には非がないと、今でも思っている)にいて、運の悪いことにその年の数学の教科担任が生徒に舐められまくるタイプの人で授業が半分以上崩壊し。
さらに運の悪いことにこの先生の教え方とわたしの相性がよろしくなかった。学習塾に通わせてもらっていたけれど、同じクラスの問題児が塾のクラスにもいた。
数学の成績は駄々下がり、進級後の授業で立て直しきれず。
そんな状態で進学した結果、とても消極的な選択方法で文系へ進む。
高校ではたまたま三年間同じ先生が教科担任で、間抜けな解釈をした結果「計算は合っているのに解答が間違っている」答案用紙を生成してゲンコツをもらったりなどしたものの、この先生にはずいぶん助けてもらったと感謝している。
できないなりに数学が嫌いにならずにすんだのは、この先生と部活の顧問の先生のおかげだからだ。顧問のほうは理系の数学担当だったから受け持ってもらったことはないが、顧問特権で定期考査前は試験範囲の練習問題を部員に提示してくださっていた。
そのプリントが全然わからんときは部内の数学の得意な人を手当たり次第につかまえまくって質問をしまくり、鬱陶しがられていたが。
だってもう〇点取りたくないじゃん? これは公式を覚え間違えてすべてが間違った数ⅠA。ゲンコツをもらった数ⅠBは計算は合っていたから部分点がもらえて十五点だった。あのときはさすがに泣いた。
どちらも既に故人なのだが、亡くなる数年前にイベント会場で片方の先生に偶然お会いして、当時のお礼を言えたのはよかったのかもしれない。もう片方の先生はその立場上、必ずいたのだが。この人は関わった生徒をすべて覚えているという驚異の脳内データベースをもっていた。
そんな調子ではあったのだが、大学に進学後。
今はどうかわからないが当時は単一学部単一学科内で三つのコースに別れる仕様だったため、自分の進みたい方向へむけた履修モデルを眺めていたら、がっつり「数学」が載っていた。うん、そんな気はしていた。
高校のカリキュラムでは本当に偏ったものしか学んでいないから、どうなることかと思いながらも数学を履修してみることにしたところ。
うん、さっぱりわからん。
わからないから質問をしにいけば、高校のときから言われ続けている「これはこういうものとして覚える」を繰り返される。どうしてそうなるのかが知りたいのに。
今ならわかる。「そこがどうしてそうなるのかを知ろうとする」のは数学者の領域で、わたしには絶対に理解できないことであると。
難しく考えすぎだと言われても納得できなかった当時、わからないなりに勉強していたつもりだったけれど。
期末試験、さっぱり解けない。
当然のことながら、再試験を受けるのだが。
再試験に向けてテキストや講義で扱った問題をおさらいしたのに、やっぱり解けない。
声を出さないように唸っていたわたしの横に立った先生は、ポンと肩に手を置いて言った。
「もうあと半年、頑張ってみようか」
「……むりです……」
しぼり出すような声に小さく苦笑して、先生は去っていった。
わたしが再履修しなかったのは言うまでもない。
あの感触、未だに数年に一度の割合で夢に出てくるんだが。
普段から夢を見たことすら覚えていない睡眠時間を過ごしているのに、妙にハッキリした夢を見ることはある。
最たるものがこの出来事だったりする。いい加減忘れたい。




