第36話 贖罪
「……で、話はシバルバーがあの格好になった理由に戻るけど、主上の翼が毟られる前に一悶着あったのよね」
スクルドがそう言ったので、リナは首を傾げる。
「一悶着、ですか?」
「ええ、一悶着よ。まぁ、分かりやすい話よ? 主上から翼を毟り取ろうと近づくあの娘の前に、シバルバーとイシュタムが立ちふさがったっていう、そういう話」
その理由はスクルドに説明されずとも、リナにも理解できる。
「……あの人を、止めようとしたんですか……」
そんなこと出来るはずないのに、と言いたげなリナの様子にスクルドはちょっと笑って、
「ふふ、あの時のシバルバーとイシュタムより貴女の方があの娘のことをよくわかってるわね。そうよ、そんなこと出来るはずがないのよね。実際、二人とも瞬殺されて終了よ」
その時の様子が、リナの脳裏にはありありと想像することが出来た。
全く酷い話だが、同時に笑える。
誰もたどり着けないはずの天界に身一つでやってきて、おそらくは天界屈指の武闘派なのだろう二人の神を相手にして余裕の勝利を飾り、天上神からその翼を奪い取る。
英雄というよりは、魔神のようなその所業。
しかし何でもない様子で、堂々とやったのだろう。
村娘Aにとってこの程度のことは出来て当然なのよ、とか言いながら。
「つまり……そのときの意趣返しというか、腹立たしかったからシバルバーさんはあのような姿に……?」
リナの推測に、スクルドは頷いた。
「と、私は考えているわ。直接尋ねたわけじゃないけど、それくらいしか思いつかないのよね。イシュタムも同じような目に遭っているし、間違いないでしょう。まぁ、どうしても確証を得たいなら、貴女が下界に戻った時にあの娘に聞いてみたら? きっと何の気なしに答えてくれると思うわよ」
「スクルドお姉ちゃんはどうしてあの人に尋ねないんですか?」
答えてくれると確信しているのに聞かないのはリナには奇妙に思えた。
スクルドは言う。
「肯定されると何だか力が抜けるじゃない。わざわざ聞くのもなんかねぇ……」
と呆れたような様子で。
しかし、シバルバーからしてみればたまったものではないらしく、
「力が抜けるとは何だ! 頼むから理由を解き明かしてくれ! あの娘に尋ねて……!!」
と叫ぶ。
しかしスクルドはシバルバーに向き直り、
「そんなに気になるなら自分で本人に聞きに行けばいいじゃない。私に頼むことなんてないわ。そうでしょう?」
とつれないことを言う。
シバルバーはその答えを聞き、何かを言い返そうと力を体に込めたが、しかしその直後、がっくりと肩を落として消え入りそうな声で言った。
「……聞きに行こうとしたことがないと思うのか」
「あら? あるの? 初耳」
「あるに決まってるだろう! あの娘以外に理由は考えられんのだ! どうしても、話を聞かねばならんと思って……なんでもあの娘の住んでいる村に向かったのだ……が」
「が?」
「なぜか毎回、巨大な竜の皇が俺を叩き落としにやってくるのだ……毎回戦って……だが、何度やっても勝てない……」
戦神の台詞にしては情けないにもほどがあった。
だからこそ、これをシバルバーは今までスクルドに言えなかったのかもしれない。
スクルドは、
「竜の皇? 皇竜のことね……あのあたりに住処があったかしら。確かにあの辺は妙に竜の気配が強いけど……」
と考え込む。
「わからん……とにかく、俺ではどうにもできないのだ。だからお前に頼むしか……」
「まぁ、分かったわ。暇なときに聞いてみましょう。それか、リナ、貴女が尋ねて、もしよければもうこんなことはやめてもらうようにお願いしてくれないかしら?」
突然話を振られたリナは驚いて、
「えっ、わ、わたしがですか!?」
と言ったが、シバルバーは、
「なるほど、その手があった! リナ、頼む! お願いだ!」
と土下座せんばかりに頼み込み始めた。
筋骨隆々の巨体がそんなことをするだけも大きな違和感と威圧感があるというのに、身に着けているものはフリフリピンクのドレスである。
阿鼻叫喚が形になったとはこのことだと思いながらも、口には出さず、リナは後ずさりつつ言う、
「で、でも……私が頼んだからって聞いてくれるとは……」
しかし、スクルドはその言葉を否定した。
「いいえ、意外と聞いてくれるんじゃないかと思うわ」
そう言って。
リナはその即答に首を傾げる。
「ど、どうしてそう思うんですか?」
「だって、あの娘、貴女のこと、気に入っているじゃない。そうじゃないなら、私に貴女を引き合わせたりしないわ。色々忘れているようだから一応言っておくけど、これでも私、亜神なのよ。それなりに、会うのが難しい存在なの。たぶん、一国の国王なんかよりもずっとね。でも、あの娘は私とあなたを引き合わせて……指導をするように頼んできた。あの娘が人に何かを頼むことそれ自体が珍しいのよ。少なくとも、私は初めてよ。そんなことされたのは。だから……たぶん、貴女は、というかあの場にいた三人はあの娘にしては相当に気に入っているということだと思うわけよ。そんなあなたのお願いなら、たぶん、聞いてくれるわ。シバルバーの格好程度のことなら、余計に」
この言い方にシバルバーは腹が立ったらしく、青筋を立てながら、
「俺の格好程度とは……」
と獰猛な表情を浮かべるが、
「ことこの問題に関して、貴方に発言権はないわ。シバルバー。いろいろ言いたいなら、自分であの娘に頼みに行くことね」
これにはシバルバーも黙らざるを得なかったらしい。
膝を抱えて背中を向けた。
それからスクルドが肩をすくめてリナに言う。
「で、どうかしら、リナ」
「……別に、構いませんけど……何の保証もできませんよ?」
「それは当然よ。神が本気で頑張ってどうにもできなかったことなのよ。別に貴女にできなくたって誰も怒らないわよ。ねぇ、シバルバー?」
「あ、ああ……」
話を振られたシバルバーの返事は震えていた。
多大なる文句がありそうだったが、しかしここで言っては唯一の希望すら断たれてしまうことをやっと認識したのだろう。
「と、言うわけで、お願いね。リナ。代わりにシバルバーは貴女を鍛える。その灰髪の力を制御できるように、ね……」
言いながら、スクルドはなるほど、という顔をしてつづけた。
「……もしかしたら、これはあの娘からの、シバルバーに対する贖罪の機会だったのかも。シバルバー、しっかりこの子を鍛えれば、あの娘は許してくれるかもしれないわよ」
そう付け加えられた言葉に、シバルバーの表情はぱっと明るくなり、
「ほ、本当か!? よし、リナ! しっかりと鍛えてやるから、努力するといいぞ!」
その様子には見た目通りのエネルギーが宿っていて、服装はともかく尊敬できそうな偉大さが感じられた。
リナはそれを見て、やっとこの人のことを師匠として見れそうだとほっと胸をなでおろしたのだった。




