97.事故
子供の霊の記憶は、想像以上にあやふやだった。
俺と万里は何度も同じ道を行き来し、いったん引き返したり全くの逆方向に行ってみたりと、ずいぶん長く歩き回った。
いつもは飽きやすく、すぐに「疲れた」と駄々をこねる万里だが、今日に限っては辛抱強く何度も霊の言葉に耳を傾け、歩き続ける。
何とかして母親に会わせてやりたいという万里の気持ちに、チクリと俺の胸が痛んだ。
「ここみたい……」
足を止めた万里が見つめる先には、小さな一軒家があった。
「え……ここ? 間違いないのか?」
一目見て分かる。空き家だ。
表札には「三井」とある。
子供の霊の名字だろうか……。
古ぼけた外観は大きな地震でも来たら倒壊してしまいそうなほど頼りない。
軒下には蜘蛛の巣が張っている。
隣近所と違って、この一軒だけが異様な雰囲気を纏っていた。
「入ってみる」
玄関ドアへと近づく万里の腕を、俺は慌てて掴んだ。
「待てって! いくら空き家とはいえ勝手に入るのはマズい」
「え~っ!?」
俺たちが揉めているように見えたのだろう、通りかかった中年男性に声をかけられた。
「どうかしましたか?」
「あ……」
見れば、スーツ姿の会社員ぽいオジサンだ。帰宅途中だろう。
喧嘩や揉め事じゃないのをアピールすべく、俺は万里の手をパッと放してオジサンに笑顔を向けた。
「うるさくして、すみません! ご近所の方ですか?」
オジサンは俺と万里を見比べてから、すぐ隣の家を指さした。
「うちは隣です。その家だったら、もうずっと空き家ですよ」
「えっと……どこかに引っ越されたんですかね?」
俺の問いに、一瞬でオジサンの顔が曇る。
聞いちゃマズいような事でもあったのか……?
「一年前の事故の後、引っ越しされました」
「事故……?」
俺は聞き返したが、オジサンはあまり詳しく話したくないのだろう、軽く頭を下げて隣の家へと入っていってしまった。
もう少し詳しく聞きたかったんだが……。
万里が俺の服の裾をくいっと引き、「どうするの?」とでも言いたげに見上げて来る。
「調べてみるか……」
もし報道されたような事故なら、ネットで調べれば出て来るはずだ。俺はスマホを取り出して一年前、地名、名前の「三井」……それから、もしかしたらその事故で子供が亡くなってるかも……思いつく単語をいくつか入れて検索してみる。
「あった」
万里がスマホを覗き込んで来たので、見やすいように少し傾けてやる。
スマホの画面には、昨年の事故の記事が表示されていた。
「三井悠くんって男の子が亡くなってる、五歳だったのか……。えーっと……あ! さっきの公園……あそこの駐車場にお母さんが車を停めてて、悠くんは車内で熱中症になったらしい……」
たまにニュースで見かける事故だ。
ほんの少しだけと思って親が車から離れてしまい、車内がすごい高温になって中の子供が亡くなってしまう。
悠くん、熱くて苦しかっただろうな……。
「万里、その子供の霊って『悠くん』って名前か……確認できるか?」
「聞いてみる」
万里はくるっと後ろを向いてしゃがみ込み、何やらボソボソと話しだした。
その間に、俺は他にも情報がないか検索を続けてみる。
母子家庭だったようだ。
寝てしまった悠くんを車内に残して、母親はパチンコ……。最初は買い物だと言ってたが、後からパチンコをしていたと分かったらしい……それも、三時間っ!?
「都築……?」
万里が立ち上がる。
スマホの画面を見られないよう、俺は反射的にポケットに突っ込んだ。
誤魔化すように万里に問いかける。
「名前は? 悠くんで間違いなかったか?」
「うん、……忘れてたみたいだけど、この家を見て少しずつ思い出してきたみたい」
「そっか……」
万里の黒く大きな瞳が不思議そうに見上げてくる。
このまま母親を探して、その姿を見せたら……悠くんは辛いことを思い出したりしないだろうか。本当にこのまま進んでしまっていいのか?
俺は複雑な気分で万里に何と言ったものかと考える。
「都築……引っ越し先、分かった?」
「いや、ネットでそこまで調べるのは無理だ」
諦めようか……と、俺が言葉にするより早く万里が玄関ドアへと近づいた。
万里がドアノブに手をかけると同時に、ガチャッと鍵の開く音がした。能力者に鍵が意味ないのは分かってるが、こういうのは罪悪感が大きい。しかも今回は全くの他人の家だ。
「万里、やっぱり勝手に入るのはマズいって……」
「悠くんがいいって言ってるもん」
「そ、れは……」
元住人に許可を貰ってることになるのか? いや、でも――……。
俺が言葉に詰まっているうちに、万里はドアを開けて中へと入って行く。
後ろめたい気持ちに蓋をして、俺は万里に続いた。
再びスマホを取り出し、ライトを点けて家の中を照らす。
空き家になって一年とは思えないほど、家の中もずいぶん荒れていた。
埃っぽさとカビ臭さと、何かが腐ったような臭いに俺は眉を寄せる。万里は靴も脱がずに玄関を上がり、奥へと向かっていく。
その足取りは迷いなく、まるで何度も来たことがある家のようだ。
「万里?」
「悠くんが、こっちって言ってる」
案内してくれてるのか……。
万里が廊下の手前のドアを開く。
スマホのライトで照らすと、そこは小さなダイニングキッチンだった。
何かが腐ったような臭いが一気に強くなる。
お菓子やパンの袋、カップ麺の容器などのゴミが散らかっている。引っ越しの時に掃除もしなかったのか? 『立つ鳥跡を濁さず』って言うじゃないか。
万里が隣の和室へと足を踏み入れた。
こちらもゴミが散らかっているが、日用品や家具類はない。
「引っ越し先の手がかり、見つかりそうにないな……」
俺が声をかけると、万里は何やら少し考え、ポケットから小さな水筒を取り出した。保温タイプのステンレスミニボトルだ。それに入っているのは、もちろんお茶じゃない。
「万里、管狐で何するんだ?」
水筒の蓋をキュッと開きながら、万里はこちらを見ることなく答える。
「しばらくここに住んでたなら、『存在の痕跡』は残ってる……それを頼りに、今いる場所を探させる」
「はい???」
初めて聞く単語だ。『存在の痕跡』だと???
能力者たちの口から未知の単語が飛び出すのには慣れっこだが、それにしても便利というか何というか……。
万里は何やら呪文のようなものを唱え、口の開いた水筒を掲げた。
俺には見えないが、管狐たちが飛び出してきているのだろうか……。
ちょっと擽ったそうに万里が首を竦めると、黒髪がくるんと揺れた。
「みんな、お願い……悠くんの『お母さん』を探して――……」
人の臭いを辿って行方を捜す警察犬みたいな感じかな……。
万里は瞑想するように目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。集中している様子の万里を邪魔しないよう、俺はそっと離れて廊下へ出る。他の部屋も見て回ってみよう。
スマホのライトを頼りに、家の奥へと進む。
洗面所と風呂があるようだ。水が腐ったような臭いに顔をしかめる。
いつも店の掃除を任されている俺としては、ガーッと大掃除してしまいたい衝動に駆られてしまう。
落ち着け、俺! 他人の空き家を大掃除なんかしたら、本当におかしな奴だぞ。
廊下へ戻り、二階への階段を上る。
二階には部屋が二つ並んでいた。
一つめの扉を開ける。がらんと何もない空間――……。
二つ目の扉を開ける。
「……う、わ……、……」
思わず声が出た。
そこは、子供部屋と呼ぶには……あまりに酷かった。




