34.黒崎奇譚 不思議な級友
放課後の職員室。
ほとんどの教師は部活の指導に出払っており、ほんの数人だけが机に向かって何やら作業をしている。
「一年三組、黒崎です。担任の瀬川先生に呼ばれて来ました」
決まり通りクラスと要件を告げ、一礼してから中へ入る。
「おう、悪いな黒崎」
軽く手を上げた担任の元へと向かう。
クラス委員長として何を頼まれるのか、おおかたの予想はついている。
俺は軽く愛想笑いを浮かべた。
「大丈夫です。橘、もう一週間以上休んでますしね」
「そうなんだ。俺からも後で電話しておくが、よろしく伝えてくれ。橘のやつ、今回の定期テストも受けられるかどうか分からないから単位が心配なんだ。せめてこのクリップでとめてある分だけでも提出するように伝えて欲しい。頼んだぞ」
担任が差し出したファイルを受け取る。
大量のプリント類でぱんぱんに膨らんだそれには『橘京一宛』というメモが貼ってあった。
「分かりました」
俺はファイルをカバンにしまった。
橘京一。
高校一年にして家業を継いでいるらしいが、とにかく忙しそうだ。
学校公認とはいえ、遅刻も早退も多い上、ほとんどの学校行事は欠席……。
橘と同じ中学だった奴の話では、修学旅行すら不参加だったらしい。
二学期になってからさらに忙しくなったのか、先週は一度も登校しなかった。
そして、これは性格の問題なのだが……とにかく大人しい。
橘が自分から誰かに話しかけるのを見たことがない。
登校していても休み時間は一人で本を読み、昼食も一人で食べている。
当然、友人らしい友人もいない。
入学当初、橘の見た目が良いと騒いでいた女子達もすぐに話題にしなくなった。
いじめの対象にすらならないほど、橘は影が薄かった。
今まで何度も橘宛のプリント類を預かり、届けに行っている。
俺がクラス委員長ということもあるが、クラスで一番家が近いというのが理由だった。
今日の塾は八時からだから時間にも余裕がある。
クラス委員長の『仕事』と割り切ってさっさと届けてしまおう。
「失礼しました」
俺はきちんと頭を下げて職員室を後にした。
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登下校でいつも使っているバスを途中下車し、橘の家へと向かう。
橘の家……いや、屋敷は驚くほど大きい。
京都市内の一等地に、こんな大きな屋敷があるとは……いったい、橘の家業は何なんだろう。
「学校のプリントです。単位が心配なので、クリップでとめてある分だけでも提出するようにと、お伝え下さい」
玄関先で対応してくれた白い着物姿の中年男性にファイルごと差し出す。
どう見ても橘の父親には見えないが、詮索はしない。
「京一様でしたら今お部屋にいらっしゃいますので、どうぞ直接お渡しになって下さい」
……京一「様」、だと?
聞き捨てならない敬称に驚いたが、俺は顔色を変えることなく頭を下げて靴を脱いだ。
今まではずっと、対応に出てきた人にプリントを預けていたため、屋敷内へあがるのは今回が初めてだ。
手入れの行き届いた日本庭園を眺めつつ、長い廊下を男性についていく。
今どき、京都でも庭に鹿威しがある家なんて珍しい。
橘の部屋は屋敷の中でも一番奥の方だった。
「京一様、お客様です」
部屋の前に着くと、男性は軽くノックをして声をかけた。
中で人が動く気配がしてドアが開き、橘が顔を出す。
「えっ? 黒崎くん?」
「プリントを持ってきた」
ファイルを差し出すと、橘は少し戸惑うように受け取った。
橘の部屋は、とてもじゃないが男子高校生のものとは思えなかった。
一言でいえば殺風景。
テレビやパソコンなどはなく、本棚が一つだけ。
机も、よくある勉強机ではなく時代劇にでも出てきそうな文机風の簡易なものだ。
とてもじゃないが、ここで寛げるとは思えない。
文机には本が一冊置いてあった。
さきほどまで読んでいたのだろうか、表紙にチラリと視線を投げる。
革表紙に十字架の刻印……聖書、だろうか。
そちら方面の信者には見えないが……、まぁ信仰は自由だ。
「ありがとう……え、っと……時間、大丈夫だったら……」
遠慮がちに、ごにょごにょと言いよどむ橘の横で、男性が愛想よく微笑んだ。
「お茶をお持ちしますので、ごゆっくりしていって下さい」
促され、俺は橘の部屋に入った。
男性がお辞儀をして下がっていく。
橘は押し入れから座布団を出し、俺にすすめた。
「どうぞ……」
座布団に腰を下ろし、改めて橘を見る。
さっきの男性と同じ、白い着物姿だ。
「家ではずっとそんな恰好なのか?」
「あ、さっきまで修練の時間だったから……変だよね」
橘は困ったように小さく笑う。
修練???
特殊な職種の家業なのか、それともお稽古事か何か……。
橘はファイルからプリントを取り出し、パラパラめくって確認する。
「そのクリップでとめてある分だけでも、ちゃんと提出しろってさ」
「これ? そっか、分かった」
プリントの一番上は『進路希望調査書』だ。
橘はそれに目を落とし、少し考え込んでしまった。
「橘はもう家業継いでるんだろ? 大学名とかその辺は白紙のままで大丈夫だと思う」
「…………僕、できれば大学行って勉強したいことがあるんだけど……今のままじゃ二年に上がれるかも分からないし、やっぱり難しいかな……」
橘は少し寂しそうに笑った。
「失礼します」
二つの湯呑と茶菓子を盆にのせ、先ほどの男性が戻って来た。
「ありがとうございます」
礼を言いつつ部屋の入口へ向かい、盆ごと受け取る。
男性は会釈して下がっていった。
俺は座布団に座り直し、湯呑を口に運ぶ。
「行きたい大学があるなら書けばいいんじゃないか? あくまで『希望調査書』なんだし」
「そうかな……うん、そうだね」
橘は何度か瞬きし、プリントをファイルにしまった。
「橘の家業って、何なんだ?」
ただの雑談としての質問だったが、橘はビクッと大きく体を強張らせた。
「橘……?」
「あ、……あー……えーっと、……陰陽師、なんだ」
「…――は?」
言いにくそうな様子から、もしかしたら裏稼業のようなものかと思ったが……橘が口にした単語は予想の斜め上をいくものだった。
「っぷ、マジかよ……っ……、中二病は中学で卒業しとけよな」
俺は思わず吹き出した。
正直に言うには憚られる仕事なのだろうが、よりによって『陰陽師』とは!
橘も俺に合わせるように笑う。
「先生が心配してたけど、今度の定期テストは受けられそうか?」
「分からない。行くつもりにはしてるけど、お仕事が入ったら無理だから。でも、僕……特に数学が苦手で、テスト受けてもまともに点数取れないし課題提出にしてもらった方がいいかなって……」
橘がまた小さく笑う。
さっきから笑ってばっかりだな、こいつ……全然楽しくなさそうだけど。
うちの高校に入れたってことは、中学ではそれなりに成績上位だったはず。
きちんと登校して授業を受けていれば数学で躓くことなんてないと思うが……。
「数学か。テスト用に要点だけまとめた俺のノート、コピーしといてやるよ。それだけ頭に入れとけば平均点くらいはとれる」
「え? いいの?」
「あぁ、今度学校来た時に渡せるようにしておく」
「ありがとう」
俺は茶菓子に手を付けることなく立ち上がった。
「それじゃ、帰る」
「え、もう?」
橘が玄関まで見送りについて来る。
俺は靴を履き、言うべきかほんの少し迷ってから口を開いた。
「お前、楽しくもないのに笑うの……やめた方がいい」
「え……? あ、……ごめん」
橘は俯いてしまった。
やっぱり言わなければ良かったと後悔したが、特にフォローする気にもなれず、俺は橘の屋敷を後にした。
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橘が次に学校に来たのは二日後だった。
相変わらず、教室の隅っこの机で休み時間も静かに過ごしている。
別れ際の余計なひと言のせいでちょっと気まずく、話しかけるタイミングが掴めないまま放課後になってしまった。ノートのコピーはしてあるのだが……。
「どうして、そんなこと!」
教室に橘の声が響いた。
教科書をカバンにしまっていた俺の手がとまる。
振り返ると、橘が女子のグループと何やら揉めているようだ。
橘があんな声を出すのは初めてじゃないか?
教室中が何事かと注目する中、女子達が大笑いしだした。
「何マジになってるの? 大丈夫だって。私達けっこうやってるけど、別に何ともないし~」
見れば、女子達が囲んでいる机の上には紙が拡げられている。
なんだ、ただの「こっくりさん」じゃないか……珍しくもない。
確かに低俗な遊びだとは思うが、好きにさせておけばいい。
わざわざ、やめさせる必要もないだろう。
しかし橘は頑なに首を振った。
「日が良くありません。せめて、今週中はやめておいた方が……」
「はぁ? なに言ってんの?」
女子たちは馬鹿にしたように笑う。
険悪な空気になってしまう前に、俺はクラス委員長として動いた。
近づいて声をかける。
「もういいだろう、橘」
「……黒崎くん」
「ただの遊びだろ?」
「こっくりさんは降霊術だから、遊びなんかでやるもんじゃ……っ、……」
「今まで何回もやってて大丈夫なんだし、好きにさせてやれよ。それに何かあったとしても、橘には関係ないだろ」
橘は黙り込んでしまった。
そんな橘を無視して、女子達は占いを始めてしまう。
さらに気まずくなってしまった。
俺は自分の机に戻り、カバンを手にする。
ノートのコピーを渡すタイミングを失ったまま、俺は橘の方を見ることなく教室を出た。




