最終話 そして歴史が綴られる
天正十年。羽柴秀吉と決着をつけるために、柴田勝家は織田信孝を総大将に出陣。
近江佐和山にて、加賀前田軍と激突。戦いは終始柴田軍が優勢に進むも、羽柴本隊の到着により状況は逆転。そのまま趨勢は決まり柴田軍敗走。
柴田勝家は岐阜城に籠城するが陥落。自刃した。
その後、前田家は府中を含めた越前の半分を織田家三法師に返上する。これは、前田家の力が強すぎ、秀吉から危険視されない為との見方がされている。
同時に、東北地方への睨みを利かせる役目を負い。どう転ぶかわからない上杉と、柴田勝家亡き後の甲斐信濃の動向を探る事となった。
三直豊利に関しての記述は、この時期より減る。
羽柴秀吉より、前田家からの人質が加賀へ戻った後も、三直のみは加賀前田家とのつなぎ役として姫路城、大阪城とそのまま留め置きとされた。
彼が、加賀帰参を許されたのは9年後。天正19年になってからであり、それも家督を嫡男に譲る為であった。
そのわずか二年後、文禄元年に再び大阪城に詰める事となる。
大阪城にて秀吉より
「鳳雛に100万石、又左に100万石。合わせて200万石などどうじゃ」
と声をかけられた際、
「100万石を支配するのにどれほどの人が必要かわかりますか?」
と聞き返し、言葉に詰まった秀吉に、
「そのような重責とてもとても…」
と首を左右に振ったとあるが、これは後世の創作である。
ただ、いくつかの記録に三直を取り込もうとして失敗した記述があいまいに残されている。
慶長三年。豊臣秀吉 没。
その翌年慶長四年に三直豊利は加賀へと戻るが、間もなく病を患いその人生を終えた。
病名は肺炎といわれているが、暗殺説も囁かれている。
その死に際し、前田利家は病床により葬儀に参加する事が出来ず。
ただ一文「我が生涯の吉兆」とだけ書き送り、その言葉は三直家の墓石にも刻まれる事となる。
辞世の句として、以下のものが残されている。
『いにしへ(え)の 暦さしたる その指に かわる事なき 十六夜の明』
享年47歳
その二ヵ月後
慶長四年四月。前田加賀守利家 没。
こうして、一人の転生者による歴史は終わりを告げた。終わってみれば、大して歴史が変わる事もなく、現実が歴史に綴られていく。
了
作者のシムCMです。
『加賀100万石に仕える事になった』を最後まで読んでいただきありがとうございます。
つたない歴史知識、誤認識や誤字脱字など、多くの方に指摘していただきながら、完結できた事を大変うれしく思います。
最終的に、史実ENDとなってしまい、読者の中には期待を裏切られたと思われる方もいると思いますが、ここにお詫び申し上げます。
ただ、この結末は早い段階で決めていたもので、良くも悪くも、当小説は主人公が民主主義の現代社会からの転生者で、独裁者ではなくその素質もない人間。主君である前田利家もお人よしで、下剋上の戦国武将から最も遠い人間であると設定した為です。
今後、いくつか小ネタなどを披露する予定ですが、これにて転生者三直豊利の物語は終了となります。
つたない内容ではございましたが、読者の皆様が楽しめたなら幸いです。
作者としても、多数の感想やご意見をいただき、最後まで楽しく執筆できました事を、深く深く御礼申し上げます。
2015年12月




