120 挑発
『三升拝借』
石動山を語る上で、外すことのない制度である。
石動山は寺院と言うより霊山であり修行場だ。そこにいるのは悟りを開くために修行をする僧たちだが、彼等とて生きるためには食べる必要がある。
その為に、石動山では各家から三升の米(智識米というらしい)を貰い受ける制度があり、この制度が越前、加賀、能登、越中、越後と北陸全土に及んでいるのだ。北陸の民が持つ宗教に対する尊敬の念と言うのは深い。
その志は敬服する。
志はな。
生きるか死ぬかの戦国時代において、この制度がまともに機能していない。そりゃそうだ、人間の善意によって成り立っている制度なんだから。
問題は、悪い方に機能している点だ。
つまり、こう解釈するわけだ。
「三升米をもらう。邪魔するならぶちのめす」
どう見ても強盗である。
なので、こうしよう。
もう、お前ら強盗でいいよな。
豊かになった越前加賀の情報は北陸一帯に広まっている。
そうなると、湧いてくるのが野盗の類だ。浪人に流民に暴徒。混沌とした戦国時代において、豊かな土地から奪おうとする輩には事欠かない。
戦国時代において、領民から奪う盗賊への対処は一つである。
そして、そんな盗賊の一つが、とんでもない大罪をする。
現代風に言えば経歴詐称。
つまり、修行僧でもないのに僧を名乗り、三升どころか金品を奪おうとしたのだ。
もちろん、この相手が僧でないことは一乗谷真乗寺に確認してもらい斬首としている。その後、確認の為に死体を石動山に送る。
越前から加賀能登と移動するわけだから、さすがに腐る。疫病も怖いので荼毘(火葬)に伏しておく。状況と人相風体を記した書状を添えての移動だ。
もちろん、大々的にこんな悪党がいたと告知しながら進む。信心篤い北陸からすれば、大悪党である。案の定、石動山でも、修行僧を語る悪党と罵倒され、遺灰は散々な目にあったらしい。
これで一件落着すればいいのだが、そうは問屋が卸さない。
元々、他人の物を奪おうとする奴らである、節操なんて持っているわけがない。
第二第三の経歴詐称者が現れる。
手口が周知された為に、模倣犯が現れる。オレオレ詐欺みたいなものだ。
これに対して苦言を呈したのが前田家だ。野盗や不埒者を捕えるのは構わないが、それを態々石動山にお伺いを立てる手間と経費が馬鹿にならない。実際ほとんどの件で石動山と関係ない事はわかりきっているのだ。
で、真言宗。お前ら、何とかしろ。
もちろん、小言を言って問題を押し付けるだけではない。きちんと解決方法も提示する。
つまり、石動山が鑑札を出して修行僧であるという事を証明すればよい。その鑑札を持ってない奴は修行僧じゃないので、騙り者として処分する。
これで、騙り者は坊主の真似をして米を奪う事が出来なくなる。正確には、強盗を働いても修行僧だと騙れなくなる。鑑札を持っていなければ、こっちの真言宗にお伺いを立てる必要もなく処罰して落着だ。
めでたし。めでたし。
…いや、本当にこれで終わりよ。めでたし、めでたしだよ。
問題はないよね。
さて、話を変えよう。
どうでもいい話なんだけどさ。
『三升拝借』
これって、三升入手してよいという事だ。
つまり、四升以上奪ったら犯罪という事だ。
きちんとした管理体制が出来ていないと『だれが』『いつ』『どうやって』拝借したかを管理する事はできない。事実、鑑札を発行する前から二度三度と拝借されているのが常態化している。
三升拝借を悪用している以上、それを掣肘する権利が司法にはあるわけだ。
なんせほら、強奪しているという事と事実上同じ事だからね。
そして、鑑札と言う看板を背負って罪を犯したら、当然その累は、看板にだって及ぶわけだ。連座はこの時代では当たり前の事だもん。もちろん、原因がすべて看板にあるとは言わないよ。でも、全く責任がないともいえないよね。
もちろん、捕まえたといっても信心深い北陸で、いきなり坊主を極刑なんて非道はしない。罪一等を減じ、晒しで、石動山まで護送だな。石動山で処罰してください。
当然、石動山は移送するのに経費が掛かるのは知っているよね。当然、その費用を請求したりしないけどさ、小言くらい言ってもいいよね。
あんたら、強盗集団じゃないんでしょ?
うちは、治安を守る織田家なんですが、おたくのお坊さんの良識のなさで、ちょっと面倒な事になっているんですけど、どういう教育をしているのですか?
大々的に罪状を告知して能登まで送っているのにも意味がある。
『これが悪いことだ』
と、被害者も認識できることだ。信心深いが故に「なあなあ」で済ませてしまっているが、それは済まない事なのだと認識させる。
多く与える事は善行だ。だが、多く奪うのは悪行なんだ。
鑑札がないのに米を奪うことは悪い事である。
なにせ、米を無法に強奪することは悪いことだからだ。
鑑札があったとしても、規定量以上奪うことは悪いことである。
米を無法に強奪することは悪いことだからだ。
誰もが理解できる公平な内容だな。
当然、それを認識した民衆が被害を訴えれば、民衆の統治者は、その不埒者を罰する。
当たり前のことだな。
罰せられ晒された坊主がどれだけ織田家を恨もうと、問責され続けて悪僧の巣窟と罵倒された石動山がどれだけ悪印象を持とうと、民衆と大義はこちらにあるのだ。
要するにだ。
真理を悟る前に、道理を学べ。




