108 とりあえず状況確認
『加賀100万石に仕える事になった』が書籍化されます。
詳細は、下記活動報告にて報告させていただきます。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/556428/blogkey/1229986/
前田家により加賀が平定される。
まずはいつもの現状確認。加賀の在庫を調べることになるのだが…。
流石『百姓の持ちたる国』だよ。加減乗算も文字の読み書きもできない国だよ。
そんな国の管理を長年継続しちゃったらどうなるか。
正直「物を蔵に収めている。スゴイ!」ってレベルだ。越前だって、一応物資は管理していたのに加賀ときたら…
そうだよな。越前は朝倉家が統治していて、その後の後任者が一揆で殺されたけど、越前一向宗になってから、織田家が取り返すまでの期間は僅か1年。あくまで前任者である大名家の管理下だったんだ。
それに比較して、百年に渡ってめちゃくちゃに管理し続けていればこんな風になるわ。
それで、どうやって加賀がやっていけたかと思ったけど。事態は簡単だった。
加賀一向一揆の基本的な戦争方法は、戦争になると各農民が武装して集まります。
食料は自腹で、足りない分は現地調達。そして現地解散。
管理者という大名(支配者層)がいないから、軍事拠点である城に物資をためる必要がないのだ。
そもそも戦争目的が、食料の強奪なんだから、米の備蓄なんてあるわけがない。
山賊との違いがわからないんだが、何か違うのか?財宝を貯め込んでいないところ?山賊のほうが上!?
そんなわけで、城とか砦の物資を確認しようとして愕然としたよ。古い旧家の蔵を『お宝鑑定』してるんじゃないんだぞ。これ、蔵じゃなくて物置だよ。広義には正しいけど、正確には間違っているレベルだよ。
この状況に、前田家家臣達も手こずっているようだ。
内政団にそれぞれに手伝わせているが、作業は難航している。
どうでもいい話だが、一番整理されているのが、加賀一向宗が最後まで篭った尾山御坊だったりするのが皮肉が効いている話である。
領地配分が二ヶ月遅れたのは、加賀と越前の領地変更に手間取ったのもあるけど、そもそもの加賀の状況整理に時間がかかったからというのもある。
そういう意味で、加賀には古参でも好戦的な…革新的な人材。越前に残ったのは保守的な人材が振り分けられている。
あの、越前に戻っていいですか?一乗谷でいいんですけど?
あ、だめですか。そうですか…
とりあえず、早急に加賀の国境線の混乱を抑える必要がある。
なぜなら、前田家が加賀を平定する一か月前。
天正七年三月
越後上杉家の内紛が終わった。
終わってしまえば、予想通り上杉景勝側の勝利である。
商人からの聞いた話を総合し、上杉景勝もまったくの戦争馬鹿でない事が分かる。
前田家の送った米で、いきなり戦いに向かうのではなく、その米を使って、景虎派の切り崩しにかかったのだ。
前にも言ったが、二年越しの戦いで、越後の備蓄はボロボロだ。そんな越後の豪族に「米をやるから味方になれ」と囁くわけだ。なんともシンプルで効果的な方法である。
だが、最後まで切り崩しだけで終わる話ではない。米で買えたのはあくまで恩であり、命ではない。最終的には上杉景虎との戦いによって、雌雄を決した。
ではでは、これから楽しい復興作業を重ねてくださいね。
二年間の無茶ぶりと一年間の内乱の後には、広大な越後の復興が待っている。
つまり、越後を復活させてまともな生産力に戻した上で、備蓄を万全にする必要がある。
そして、当然その間、外に戦争を仕掛ける余裕はないわけだ。
あの二万石を増やせれば警戒もするのだが、有効に“使って”しまっただけなら、たいした脅威になりえない。
そして、そうやって復興するまで、平和である保証はない。
警戒はしておくが、織田家に歯向かう余力は残っていないだろう。
上杉家の内紛とは違い、織田家の加賀侵攻は被害をほとんど出さずに完了している。もう一回戦えと言われても、消費した物資以外に失ったものはない。
まあ、加賀一向一揆の一揆が農民の反乱である以上、被害少なく占領できたからといって、それで解決という話ではない。民衆が持つ脅威は増えこそしていないものの減ってもいないのだ。些細なきっかけで一気に燃え上がる可能性もある。
北陸攻略を進める上で、後顧の憂いを残すことはできない以上、これらの問題は無視する事はできない。
まあ、時間の問題ではあるんだけどね。
オレができるのは時計の針を進めることだけさ。




