資源が有ることで 前頭
マリアナ決戦の始まりです。
かなりの部分をはしょるので、後で追加予定。
連合艦隊は迎え撃つに当たっての待機場所をテニアン島西50海里としていた。そこなら、テニアン・グアム・サイパンからの支援を受けるのに都合が良く、アメリカ艦隊への対応もテニアン島南部を通過して行けば良い。
各島や哨戒艦の電探網があり、敵の襲撃が奇襲になることも無い。
不審な電波が出されたがすぐに切れて位置は確認できなかった。艦隊は位置を30海里ほど北へずらした。
敵の動きは、一〇〇式司令部偵察機四型が苦労して探っている。最近は高高度でも安心できない。高度1万で時速650キロの高速を誇る四型が追いつかれて撃墜される事態も多い。単座の大型戦闘機ということしか分からなかったが逃げ切った搭乗員が写した写真からP-47と思われた。
その日、通常の100海里では無く危険を冒してトラック方面へ200海里進出している哨戒駆逐艦から通報があった。ここ1週間空襲が無かった。疑念はある。そして、電探に機影が映る。いつものコース。いつもの高度。いつもの速度。だが多かった。
通報を受け哨戒飛行中の一〇〇式司令部偵察機四型が急行し同航する。P-38もほぼ同等の速度性能を持つので撃墜困難としてめったに手を出してこない。追い払うのに大量の燃料を使って途中で離脱するよりも護衛を選ぶことが多かった。
そして、爆撃機の数がいつもより多いことを報告する。が、次の瞬間。高速で近づいてくる敵機がいた。
すぐに機首を翻して逃走を図るが、一〇〇式司令部偵察機はそんなに高機動出来る機体では無い。遂に動力降下までして振り切ろうとするが、敵機の方が速い。「P-47に追撃を受く」を最後に消息を絶った。
基地では騒ぎが起こっている。遂に米軍のマリアナ攻略が始まったかと。そしてP-47がここまで来るのかと。その高性能は一〇〇式司令部偵察機四型でも撃墜されると噂になっていた。航続距離の関係でマリアナまで届かないのだろうと。少し安心していたが足りなければ伸ばすのが世の常であった。
各基地からは迎撃機が次々と上がる。対爆撃機の主力は蛟竜で、他の戦闘機は蛟竜が仕事をしやすいようにP-38の相手をする。それがいつものパターンだった。
だが、その日は新型の高速戦闘機が居るということで緊張感が高かった。
「敵はP-47なのだな」
「そういう報告です。しかし新型同士になるかは分かりませんよ」
「出会わなければ、出会うようにするだけさ」
「女じゃありません」
アホな馬鹿話をしているのは海軍第二〇二空の面々だった。従来の根拠地区分では運用に困ることがあり、一〇〇番台(母艦航空隊)二〇〇番台(基地戦闘機隊)三〇〇番台(基地攻撃機隊)四〇〇番台(哨戒隊)七〇〇番台(教育隊)八〇〇番台(水上機隊)九〇〇番台(輸送隊)となった。五〇〇番台と六〇〇番台は100番台と200番台の予備である。
二〇二空はその中でも戦技向上と試験飛行を主任務としていた横須賀航空隊が母体だった。腕自慢も多い。
彼らの乗機は最新の海軍局地戦闘機 紫電。十七試陸上戦闘機として川西に発注された機体。ハ-42を装備し最大速度350ノットを誇る。海軍最速機だった。一一型が主力だが排気タービン装備の高高度戦闘機として二二型が30機参加している。
二二型は、試験的に排気タービンを搭載し高度1万でも350ノットを絞り出した。
他にもマリアナ諸島で手ぐすね引いている戦闘機部隊は多い。以前から配備されている部隊は日常の延長だったが、決戦を予想して新たに配備された部隊の意気は高い。
ただ、中には意気上がらない部隊もいる。テニアン島に配備された陸軍飛行第244戦隊がそれだ。
装備機は飛燕二型。本来はその高速と大航続距離を活かして樺太からニコラエフスク、あるいは東北・北海道からウラジオストクへの爆撃隊護衛任務や単独での航空撃滅戦が予定されていた。洋上飛行のための推測航法も習熟させられた。
それがこんな南に来たのは国際情勢の変化からだった。仮想的ソ連がドイツ(ヨーロッパ)との戦争に集中し、沿海州方面で軍事的脅威が著しく低下した。渡洋爆撃や航空撃滅戦に発展する可能性が低く、せっかく洋上航法が出来るのだからといって、マリアナに派遣されてしまった。
(日本海なら機位を見失っても東に飛べば日本だ。ここでは島と機位を見失えば360度全周海。陸は無い。なるべく島から離れないようにしよう。第一ここは暑い)
しかし、世間は無情であった。
「海軍と共同でテニアン島100海里手前で迎撃を行う事となった。先導は海軍機が行う。帰路も海軍機が誘導してくれる。海上ということで不安はあるだろうが、奮闘を期待する。以上」
244戦隊は二〇二空他と飛んでいる。他は陸軍の疾風部隊と海軍の雷電部隊だ。噂だと二〇二空の腕前は明野教導隊と同じだという。
総数200機あまりの編隊は彩雲2機に先導されて迎撃空域へと向う。
敵集団からごま粒以下の点が飛び散った。散開したのだろう。
迎撃戦闘が始まった。
次回更新 11月25日 05:00
戦闘シーンが中途半端ですが想像の翼でお願いします。くどく長くなるので途中で止めました。外伝的に付け足す予定です。
次回、いきなり上陸戦。海戦もくどく長くなるので外伝的に付け足す予定です。
日曜日終了です。外伝はその後不定期の予定です。予定は未定ともいうのが世の常。
十七試陸上戦闘機
強風と紫雲が開発中止となった見返りとして17年2月、川西に発注された。発動機はハ-42が指定された。
強風は発注済み素材で製作された5機が、採用した新技術の試験用機体として様々なデータの取得に役立った。そのデータは紫電にも活かされていた。
実用化年度は19年夏以降とされたものの、戦局からして早い方が良いだろうという会社側判断で発動機直径がほぼ同じ強風を土台に完全新設計としないことで早期の完成を目指した。しかし、陸上戦闘機として使い勝手を追求していくと中翼配置はプロペラ直径と主脚の問題に突き当たり低翼配置となった。
胴体も強風譲りの発動機に合わせての丸断面と紡錘形が低翼配置と相性が悪く、模型による風洞試験では強風よりも巨大なフィレットが必要となる。フィレットを小さくするために結局胴体はほぼ新設計となった。それでも完全新設計よりは開発は早い。
主翼は20ミリ機銃4丁装備を指示されたので平面形を活かす形で再設計。
初飛行は異例に早い18年10月。制式化は19年2月。
紫電一一型 (J3K1)
全長 10.5メートル
全幅 12メートル
全高 4メートル
自重 3.2トン
全備重量 4.5トン
発動機 ハ-42-33
離昇出力 2150馬力
1速公称出力 2050馬力
2速公称出力 1830馬力
最大速度 350ノット(648km/h)6000メートル
航続距離 1100海里(2000km)
増槽装備時+300海里(2550km)
武装 九九式二号五型20ミリ機関砲 翼内左右各2
爆弾 二五番1発までの各種を左右主翼下
排気タービンは日本でも実用化に成功。一〇〇式司令部偵察機四型にも搭載。歩留まりが悪く頑張っても月産800基から1000基と生産数が伸びないために各部で取り合い。一〇〇式司令部偵察機四型と彩雲と蛟竜には優先されている。この3機種で600基から700基を使う。
紫電に回ってきたわずか80基を装備したのが二二型。
排気タービン装備時に排気管の取り回しに苦労したが、それを解決したのが森脇進 という技術者だった。




