資源が有ることで 幕下付出二人目
装備のお話。
三段目の勘違いで描き直した部分が後を引きずるので、修正の時間稼ぎにこの話を。
1941年11月末
日本陸軍航空本部は困っていた。フィンランドから送られてきたYaKとLaGGが予想以上に高度な機体だったのだ。
鍾馗一型甲では撃墜に手間取るという報告を受けていたものの、ここまで厄介な機体だとは考えていなかった。つまり義勇軍搭乗員の腕が悪いと考えていたのだ。
信じられない厚さの防弾鋼板等、生存性を高めるための工夫。歩兵を沸いて出てくる物のように扱う国と同じだとは信じられなかった。
Yakは全金属機だがLaGGは日本では不可能な合板製木造機。ソ連の技術力が高いことを知らされる。I-16も随分進歩的な機体であったなと思い出す。格闘戦の弱さばかり目立っていたが、日本の九七戦よりも4年も前に出現しているのだ。
武装の数は少ないが20ミリモーターカノンが問題だった。高威力と機体軸線上にある事による命中率の高さ。
13ミリなら防御も出来るが20ミリは無理だと諦めた。
開発中のホ5を早く実用化しなければ攻撃力が不足する。
しかし、政府は無情だった。総力戦研究所の助言を受け
【生産性向上のため、陸海軍の兵装を統一する】
お触れが出た。1941年12月15日のことだ。
兵装統一と言っても、海軍陸戦隊は服以外は陸軍の装備そのままだし。陸軍が使う船は、少数を除き一般船舶の法令基準から逸脱していない。残るのは航空部門と対空砲部門しかなかった。
陸軍航空本部と海軍航空本部が会合を重ね、参謀本部と軍令部、さらには陸軍省と海軍省に出来たばかりの大本営まで巻き込んでの主導権争いは決着が付いたのが翌年1月10日。
そしてその結果が以下のようになった。
統一名称であるが、新型のみに取り入れ現行機種は戦時に混乱を招くとして採用されなかった。
一番問題が出る発動機は
ハ40とアツタは基本的に同一のものであり、各部寸法は支持架取り付け穴寸法まで含めて同一仕様とすること。生産は川崎と愛知で行う。部品の互換性を確保すること。
三菱社製の海軍呼称 瑞星(陸軍呼称 ハ26他)は、現行機種のみの採用とするが他に選択肢が無ければ将来設計される小型機にも可。
中島社製の海軍呼称 栄(陸軍呼称 ハ25他)は、現行機種のみの採用とするが他に選択肢が無ければ将来設計される小型機にも可。
三菱社製の海軍呼称 金星(陸軍呼称 無し)は、現行機種および瑞星・栄搭載機の出力向上用として推奨。中小型機用主力発動機とする。陸軍呼称はハ43とする。
中島社が海軍の協力で開発中の誉発動機を陸海共通の中小型機主力発動機とする。統一名称はハ45。
三菱社製の海軍呼称 火星(陸軍呼称有りも採用機無し)を中大型機主力発動機とする。同発動機の18気筒版 (陸軍呼称 ハ104)を今後の中大型機用主力発動機とする。18気筒版の統一名称をハ42とする。
発動機の選択は指定していない限りこの範囲内に納めること。
中島社製 海軍呼称 護 (陸軍呼称無し)発動機搭載機は、三菱社製 火星発動機およびその18気筒版 統一名称ハ42に変更すること。
各社の現行発動機に対する出力向上策は各社の自由とする。有効と認めれば軍は補助金や設備・技術を提供する。
開発中・生産中の機体は各種あるが以下のように整理され、現行機には防御力向上および生存性向上を求めた。
主なものとして
川西
各種試作機の整理。
強風および紫雲 開発中止。川西にはハ42搭載陸上戦闘機を十七試局戦として発注。
中島
各種試作機の整理。
十三試陸攻 開発中止。十七試大攻を発注。ハ42搭載を条件とする。
九七艦攻の防御力向上および生存性向上。
川崎
各種試作機の整理。
九九双軽に変わる双発地上攻撃機の開発。爆弾搭載量を最低1トンとする。
三菱
各種試作機の整理。
零戦の防御力向上および生存性向上。
一式陸攻の防御力向上および生存性向上。
愛知
九九艦爆の防御力向上および生存性向上。
他のメーカーにもいろいろ注文を付けた。これで助かったのは各社開発陣だろう。
海軍空技廠にも注文を付け、委託生産先の各社と共に量産時の効率追求(工数と部品点数の減少と作りやすさ)を求められた。
開発中や現用機の陸海共用化も指示された。
キ67の海軍仕様を作ること。一式陸攻の後継機とするため。余裕があれば爆弾搭載量の増量を図る。
一〇〇式司令部偵察機を陸海共用とすること。
迎撃機として優秀な鍾馗を海軍の局地戦闘機にしようとしたが、武装が貧弱の一言で無くなった。
この一連の指示は、フィンランドで得られた戦訓と、YaKとLaGGという機体を手にした影響もある。
次は主武装である航空機用機銃・機関銃・機関砲の共用化となる。
この時、航空機用の機銃・機関銃・機関砲は炸裂弾頭を常用する事を「砲」の条件とした。それ以外は機関銃とした。
まだ試作程度だった、陸軍のホ5と海軍の試製13ミリ機銃も対象となった。
多種多様な7.7ミリの機銃・機関銃はすでに相当数の配備と弾薬の備蓄・生産がされており、徐々に絞っていくこととなった。
ホ5は、海軍の九九式20ミリ機銃よりも弾頭威力が劣っており20ミリ口径の航空用機関砲は九九式に統一される事となる。九九式20ミリ機関砲高発射速度型の開発が進んでいたこともある。
ホ103は既に実戦投入がされている事と、海軍の13ミリ機銃の開発が終わっていない事から13ミリはホ103となった。ホ103の威力不足は懸念材料だったが、陸海共同で15ミリまで拡大することになった。もっとも条件が付いており、ホ103装備機に装備できる大きさにすることが条件だった。
次回更新 11月19日 05:00
次回タイトル 「幕下」
ようやくストーリーに戻ります。修正と言うよりも新規。修正は無理だった模様。
生産性の向上と兵器の計画・試作の整理は戦時として当然だと思うのですが、現状に困って逆に増やして混乱させるということを、日独ともやっています。人間の心理かな。それなりの計画が現物になってある程度の数を作ってしまうのがドイツ。計画で終わるものが多くて、現物が出来ても数にならないのが日本。イギリスもこんなでしたね。相次ぐ要求仕様書の変更に振り回される現場。




