26、思いと旅立ち
その日、昼過ぎにひょっこり現れたアミヒといつものように、軒先でお茶を飲んでいた。
詩子に声は突然かけられた。
「ウタコ、ちょっといいかい?」
「あ、キリイさん。どうかした?」
むっつりと顔をしかめたキリイが柵の向こうにいて、長衣をバサバサ鳴らして、詩子とアミヒの前にやってきた。
「ちょっと、聞いたんだけど。あの男、シンセントは成婚の儀式をするそうじゃないか!しかも、相手は臙脂の髪の飛び切りの美人と聞いた。何やってんだ。ウタコはその話をもう、本人から聞いたのか!」
「ど、どうしたの、キリイさん。そんなに、カリカリしないで」
「ほんとに!あのバカが!」
キリイの憤る理由が分からずに詩子はおろおろしてしまう。
キリイはあのシロ豆のことを聞いて以来、時折、水場で出会った。
すれ違うだけのこともあったし、一言、二言、体調を問われるだけのこともあった。
しかし、今日はいつもと様子が異なる。
何が違うのか、詩子にははっきりとわからなかったが、いつもより上品で美しかった。手にはよく手にしている籠を持っているけれど、身に着けている衣はいつもよりずいぶんと滑らかで、やわらかそうだった。
「ウタコ、私がもっといいところへ案内しよう。ここから離れるけれど、一人で下働きをさせるようなことはない。薬草の知識をつけて、しっかりと地に足をつけた暮らしができるだろう」
「えぇ、キリイさん?どうしたの急に」
キリイの突然の申し出に、詩子は驚きをかくせない。
「ここでの生活に不慣れであるにもかかわらず、一人きりにして、下働きの扱い。しかも、成婚の儀式だと?ふざけるにもほどがある。そうとなったら、善は急げだ。ウタコ、準備して、すぐに行こう」
「なに?どうしたの」
詩子とキリイの様子をみていたアミヒが割って入る。
「ちょっと、おばさん。ウタが困ってるだろう。それに、ウタは俺と一緒に行くんだから」
「なんだと?お前は何者だ?ウタコをどこに連れていく気だ?」
キリイはアミヒをきつくにらみつける。
アミヒはキリイの剣幕にたじろぎながらも、言葉を発する。
「な、なんだよ。俺と一緒に旅に行こうって」
「ウタコ、おまえはどうしたい?私と来て、私の薬草師をしている父とその連れ合いのもとで、薬草師になる。この男と旅に行く。ここに残る。選べ、自身で決めるといい」
「え、えぇ」
詩子はキリイの突然の問いかけに、驚きを隠せない。考えることなどできなかったが、目の前のキリイは真剣そのもので、詩子の返答を求めている。
詩子はじっと自身の胸の内を覗き込むように瞳を閉じた。
詩子は今までに、自身で物事を決めたことがないことに気付く。
高校は学力と自宅からの距離で選び、ここに来たのも、ここでの生活も言われるがまま、なされるがままであった。
自分の意志を持つことも、持つ必要もなく、また、持っていては生きずらかった。自分のことでありながら、誰かの意志を考え、自分の意志を優先させられる環境にいたことがない。
そんな詩子は答えを出すことができない。
「おばさん、あんた何で、変な名前でウタを呼ぶんだ?ウタだろう?」
じっと考え込んでいる詩子の横で、アミヒは疑問を感じたことをキリイに問う。
その声に詩子自身もキリイが詩子のことをウタではなく、ウタコと呼ぶことに気が付いた。
「何を言っている、オガタウタコであろう?」
キリイはアミヒの問いかけに、何でもないことのように答えたが、その答えに詩子は驚く。
その名はこちらに来て、その名を知っている者、また、その名をはっきりと発音できた者もいないはずだ。
「え、オギャタウッテーコ?」
アミヒは詩子の名を正確に言葉にすることは出来ない。
このキリイは初めて会った時から、ウタコと呼ぶ。何の違和感も感じていないほどに発音は自然で、詩子はじっとキリイを見つめる。
その薄茶の瞳をまっすぐに見つめた時、あっと詩子は小さく声をあげ、そのまま固まってしまう。
「……キーレンさ、ま?」
あ、あ、あと詩子の思いは声にならない。
その瞳は紛れもなく、あの王城で見たその人のもので、そう思ってみれば、自分の腕をねじりあげた、青龍の宮の長、キーレンその人であった。
シンセントの少ない言葉と、街の女たちの噂話を集めれば、青龍の宮の長であるキーレンが、蒼国の新しい王となったはずだった。蒼王自らが、その王位を譲るとたくさんの人の前で宣言したと、詩子は聞いた。その話には、その場で実際に起こったことが、ずいぶんと削られていたし、追加されていた。とても、美しい話になっており、それは穏便で、簡素で優美でさえあった。
――蒼王がたくさんの臣下を集め、皆の前で宣言した。ここに集まる者たちは非常に優秀である、呪術なくしてもその価値は損なわれることがない。この蒼国は新しく生まれ変わる。親の手をいつか子供たちが離れて生きていくように、この蒼国も神の子の庇護なしに、しっかりと建っていける。だから、今、蒼王は神のもとに還ることとなったのだ。そして、すべての呪力を手にして、蒼い瞳の王は神のもとに還った――
悲鳴と瓦礫と血に染まった広間での出来事が、そのようにして民に語られている。詩子は別の日の別の出来事のように感じていた。
勢いよく門扉が開き、息を切らせて駆けてきたのは、紫紺の髪の男、シンセントその人だった。
「ウタ」
「シンセントさん、どうしたの?」
詩子はパタパタと駆け寄る。
いつもとは全く異なる帰宅時間に詩子は戸惑いを隠せない。
「い、いや、あの」
シンセントは詩子の両脇にいる、アミヒと下働きの女の姿を認め、顔をしかめる。二人きりでも言いにくいことが、誰かの前で言えるはずがない。その言葉は音にすることができず、いつになく歯切れが悪い。
「シンセント、成婚の儀式の日取りが決まったら、知らせよ。祝いの品を送ろう」
言葉を発しないシンセントにキーレンはにっこりと微笑みを浮かべて言う。
「は、は?」
「なんでも、美しい娘だそうだなぁ、臙脂の髪の」
シンセントは詩子とともにいる、女の声とその姿に、声を失い、呆然と立ち尽くす。
「キーレンさま……、なぜ、ここに…」
その言葉をこぼし、シンセントは崩れおちるように、膝をおり、その場に平伏する。
「聞いたぞ、春になったら成婚の儀式をするそうじゃないか、ウタコに下働きをさせる必要はあるまい。私がその身をもらい受けよう。このようなことをさせていいわけがない」
「え、え、何?何がどうなってるの?」
詩子は状況を把握できない。
アミヒは見世物を眺めるように、腕を組んでことの成り行きを見守った。
「面白いことになってきた」
キーレンはシンセントに畳みかけるように言葉を重ねる。
「知っていると思うが、私の父の連れ合いは、黒目黒髪、詩子の同郷の者だ。ウタコの力になれる。こちらとの習慣の違いも、言葉の違いも、ユーリなら、温かくうけとめられる。あの地で暮らしてきた彼女の遠縁と言えば、村の者も受け入れる。私の父以上に、ウタコの安息を与えられるものがいるか?シンセント、お前は何をした?ウタコに住まいを与え、仕事を与え、ここに囲って、住まわせる。それがお前の答えか?自身は連れ合いを得る。それが答えか」
「……キーレン様、私は成婚の儀式などいたしません。その約束をした者など、おりません」
シンセントは、キーレンの顔をみることなく、はっきりと言い切る。
「そうか、話をする相手を間違えている。ウタコにそのような誤解を与え、この扱い。いっこうに改善される様子がない。ウタコはわたしにとって、特別だ。ユーリの同郷であるのだ。この身のそばに置いて、かの国の話を聞かせてほしいと思っている。今の私のそばに置くことがこれほどに危険でなければ、そうしていたであろう。シンセント、お前が思う以上に、私はこの、ウタコを気にかけているのだ。わかっているとは思うが、お前たちの動向は呪力を使って、すべて見ていた。ウタコとお前がこの国ですごしてきた日々を見てきたのだ、ウタコの安寧を私は心から望んでいる」
「……」
シンセントは言葉を発することなく、じっと平伏したままだ。
キーレンは手にしていた籠を振り上げ、シンセントの頭に勢いよく叩き付ける。
「あぁ、イライラする!思いを秘めて伝わると思うな。もっと、強くあれ。心を見せて傷つくことを恐れるな!何のためにここに戻ってきた。ミミンの思惑になど、まんまと乗るな!バカが!」
「も、申し訳ございません」
「謝罪など、いらんわ!」
「ハハハ、シンセント・ランサも宮の長の前では赤子同然だ」
目の前のやりとりに、物事を察したアミヒはカラカラと笑う。
詩子は会話の内容をつかみきれないために、戸惑いを隠せない。
「なに?なんなの?」
「ウタ、すまない。下働きをさせるつもりじゃなかったんだが。……だれかを雇う気にもなれなくて」
シンセントは、籠でぶたれ、乱れた髪を手で押さえながら、立ち上がり、ゆっくりと思案するように詩子に歩み寄る。
「はぁ」
詩子は状況についていけずに、目の前に立つシンセントを見つめる。
「あ、あーーっと、え、えっと。う、」
シンセントは思うように、詩子に言葉を伝えることができない。不安げに瞳をゆらす詩子に何を、何から言えばいいのかわからなかった。
「おい!」
キーレンのイライラが高まっていく。
口ごもるシンセントに、詩子は申し訳なくなっていく。
詩子がここにいることで、ここに来る女の人が嫌な思いをするのだろうか、そして、詩子ではこの家の一切を取りまとめるには十分とは言えないだろう。ここにいることでシンセントの迷惑になる。そして、自身もシンセントと誰かとの仲の良い様子を見ていることは出来ないだろう。
「シンセントさん、いいよ。私、出ていく。困らせるつもりはなかったから、ごめんなさい。」
「え・・・」
「アミヒ、私も一緒に連れて行ってくれる?ピリカのところ」
悲しそうでありながらも、精一杯に微笑をうかべ、詩子はアミヒを振り返る。
「あぁ、行こう」
おかしそうに笑うアミヒは、わかったと大きくうなずく。
「この、バカが!!」
籠を地面に叩き付け、キーレンはシンセントをにらみつける。
「ウ、ウタ」
「シンセント、お前も一緒に行け、行けバカ!!」
キーレンの叫び声が、静かな庭に響いた。
「は?」
「金国、朱国をまわり、その民の暮らしを報告せよ。気候の変化、収穫量の変化など詳細に……と言いたいところだが、人選はサラスイに任せてある」
キーレンはまっすぐに詩子に問う。
「ウタコ、お前はどうしたい?自身で選べ。誰かの事を慮ることなく、自身の希望で選べ。それをかなえることが私にはできる。お前の強い思いがお前の強い力となる」
「私の希望?」
詩子にはやはり、答えを出すことができない。そこまで自分自身に問うたことがない、自分の思いだけで何かを決めたことがない。詩子はじっと考え込む。
「ウタコ、強くあれ。心から望み、心から求めよ」
「心から?」
「そうだ、自身に正直であれ、信じるのだ、自分を、自分の思いを、強さを。恐れてはならない。お前が周りを慮るのはなぜだ?厭われることを恐れているのか?自身で決めないことでその責を逃れているのか?何かのせいにする逃げ道を残しているのか?」
キーレンは薄茶の瞳を獰猛に光らせて、詩子を見つめる。その瞳に射しぬかれ、詩子は動くことができない。
誰かのことを思って決めることで、自身が望んでいないことだと、どこかで諦め、その結果に納得をしていた。それが逃げ道だといわれれば、その通りなのかもしれない。
自分で選び、望んだことであれば、その結果は詩子自身だけのものであり、その責任も自身だけのものだ。
本当は行きたい高校があった。しかし、その学費は高く、通学も長距離になった。そんな学校に行きたいと言葉にすることは出来なかった。また、行きたいと声にしてみることすらしなかった。
本当は母親のところに行きたくなかった。しかし、祖母はすでになく、支援してくれる親戚が喜んでいる手前、行きたくないと言葉にすることは出来なかった。やっぱり、行きたくないと声にしてみることすらしなかった。
こちらに来てからもそうだ。ピリカの死後、本当はアミヒに行かないでほしかった。サナ湖で一人残されることは不安であった。けれど、アミヒのことを思えば、言えなかった。
そして、シンセントに何者かと問わないでくれと言えなかった。異界から来たのだと言えなかった。信じてくれるはずがないと、言葉にすることすらしなかった。言葉が不自由であったことは、言い訳にしかならないだろう。伝えようとすることをしなかった。
これを逃げだと、怠惰だと、キーレンは言う。
「思いを強く持て、そして、貫け」
キーレンの言葉が重く、詩子に響く。じっと、瞳を閉じた。
「……私、私、シンセントさんとアミヒと一緒に行きたい。一緒にピリカの故郷に行きたい」
詩子の言葉にキーレンは微笑む。
「わかった」
「ウタ、一緒にいこうな」
アミヒは明るい声を上げる。
「……」
「おい、シンセント。何かあるか?ウタコの思いを聞いて、何か言うことはないのか?」
「……え、あ、はい。私には王城警備の任があり、その、いまだ負傷者が多く、その後任の官も不十分で、交代の差支えが……」
「お前の代わりなど、いくらでもいるわ。王命だ、行け。シンセント」
「……は」
シンセントは短く答え、そっと膝を折り、頭を垂れる。
その姿を見て、詩子は思う、シンセントの迷惑になったのであろうと。
自身の素直な思いだった、シンセントとの旅は穏やかで楽しかった。守られているという安心感、物珍しい異国を好奇心のままに旅する高揚感、また一緒に旅をしたかった。
しかし、シンセントには王城での任務があり、それを詩子の思いだけを優先させて、シンセントに命令を下すことのできる立場の者に訴えたことに、後悔が胸を締め付ける。
そんな様子に気が付いたキーレンはため息まじりに言う。
「ウタコ、そんな顔をするな。顔を上げろ。シンセントも愚かではあるが、さほど弱くはない。拒否する言葉を発することができる。異を唱えないことは迷惑ではないということだ。安心しろ」
「キ、キーレン様」
シンセントは気まずげに顔を伏せる。
「お前は言葉が足りなさすぎる。いや、お前たちは、だな。思いは伝えるもの、伝わるものではない。言葉を尽くせ」
キーレンは頬を緩める。
「ウタ、楽しみだね。早速準備をしよう、モラガイン山脈が通れるようになるころになったら、すぐに行こう。金国へ」
アミヒの心は早くもモラガイン山脈の向こうにあるようだ。その瞳は遠い空を見ている。
「シンセントさん、一緒に行ってくれるの?あ、あの、結婚は本当にしないの?仕事はいいの?」
「ウタ、成婚はしない、任はキーレン様がいいと言えば、問題ない」
「そっか。よかった。……私、一緒に行けるとうれしい」
詩子の微笑にシンセントは同じように微笑を返す。そんな二人をみて、キーレンが穏やかに微笑んだことをアミヒだけが見ていた。
王都の雪が消え、モラガイン山脈の雪がその白さを少なくするころに、珍しい黒髪の少年と紫紺の髪を持つ偉丈夫、薄茶の髪の小柄な青年が王都を立った。
その見送りには、やや疲れをにじませた凡庸な中年の女性が来ていたことを王都の関所の衛士だけが見ていた。
無事に完結までたどり着きました。
楽しんでいただけたでしょうか。
また、お会いできますように(*´∇`*)




