14、獣人たちとの暮らし
獣人の隠れ里での暮らしは、清定館での暮らしよりさらに、厳しかった。
その一番の理由は気候の厳しさだ。
朝の空気は張り詰めたように、ピンとしており、肌を刺すような冷たさだ。吐く息は白く、日差しを浴びて、煌めく。
詩子はアミヒとともに、レイのところで住まわせてもらうこととなった。
レイに妻も子供もおらず、身の回りの世話は、親のない子供たちが入れ替わりでしていた。早く結婚するように周りから言われているんだけどねと、笑っていたけれど、レイの瞳はどこかに少し悲しみをにじませていた。
その様子を、アミヒは聞いていたに違いないけれど、何も言わなかった。
アミヒとレイは、つもる話もあるようで、詩子は先に床には入る。
戸の隙間から光が漏れ、小さな声が聞こえていた。その声が聞こえなくなるより先に詩子は眠った。
外が明るくなるころには、自然と目が覚め、慣れない場所でも何となく、朝の仕事をこなせるまでに、こちらの生活になじんでいた詩子は、身支度を済ませると、水を汲み、火を起こす用意をしていた。
通いの子供がひょっこりと現れた。
「おはようございます」
その子は深い紫の髪の、蒼い瞳をした子だった。走っていたのだろう、息を切らし、頬を赤く染めている。
足をそろえ、両手を重ねて、胸に当て、にっこりと微笑み、とても可愛らしい。
詩子はその姿に一瞬見とれてしまい、返事をするのが、遅くなってしまった。
女の子は、しょんぼりと、形のいい眉を下げる。
「あ、お、おはようございます」
慌てて詩子が返事をすると、女の子はぱぁっと笑う。
「ねぇ、名前を教えて。私はリオルル」
「名前はウタ。女の子だよ」
少し心配になって、詩子は女の子であることを話した。
「え、そうなの?ごめんなさい。私、てっきり……」
リオルルは大きく目を見開いたあと、申し訳なさそうに目を伏せ、眉尻をさげる。
「いい、髪が短い。服は男の子。男の子って思う。みんなそう。私、十七歳。言葉、勉強中」
「え、十七歳なの?全然、見えないね。私は十三よ」
リオルルは詩子の瞳をじっと覗き込む。
「きれいな黒い瞳ね。私、初めて見たわ。黒っぽい瞳の人はいるけれど。そこまで真っ黒の人っていないもの。ウタさんって……」
「ウタでいい。私もリオルルでいい?」
「ええ、いいわ。……ウタは髪を整えて、女の子の服を着れば、きれいになるわ。あとで来てよ、みんなもきっと喜ぶわ。昨日、みんなの噂になっていたもの。アミヒが一緒の人は誰なんだって。男の子だから、誰かの結婚相手に連れてきたんじゃないかって!」
「えぇ!それ、違う。私、アミヒに助けられた」
「そっか。ウタのこと、男の子だって思ってたから。てっきり、そうだと思っちゃった。アミヒは時々、子供を連れてくることがあるけど、ウタみたいに大きな子が来たのは初めてだったから、どんな理由があるんだろうねって話してたんだよ」
「リオルルは?ここにずっといる?」
「え?私?私はね、生まれてすぐ、親に捨てられたの。それをアルセイが拾って連れてきてくれたの。時々そうして、アルセイも子供を連れてくることがあるの、レイも小さなころに連れてこられたんだって」
詩子はこんなに美しい瞳をした赤ちゃんを手放した人がいることが不思議だった。見ているだけで引き付けられるほど、美しい蒼。
詩子はその瞳をじっと見つめていた。
「さぁ、おしゃべりはそれくらいにしないと、レイに叱られてしまうよ」
アミヒがいつの間にか来ていた。
詩子もリオルルも跳びあがって、驚き、小さく叫んだ。
「あぁ、驚いた。もう、アミヒは、驚かせないでよ」
リオルルは小さな口を尖らせている。
「リオルルも大きくなったよね、すっかりおねぇさんだね」
「そうよ。わたしも十三になったの。働き者のいい子なんだから、素敵な人を紹介してね」
腕を組み、おどけるようにアミヒに笑いかける。詩子は不思議でならない。まだ十三才だというリオルルはまだまだ、結婚するには早いように思う。
「ねぇ、リオルルは好きな人、いないの?結婚は好きな人がいい、違う?」
詩子にとって、結婚の相手は紹介してもらうのではなく、自分で好ましいと思う人としたいと思う。こちらでの常識とは異なるのだろうか。
「え、」
リオルルの表情は、驚きに固まる。大きく息をはいた、アミヒがその問いに答える。
「ウタ、そうだね。大抵は結婚の相手は自分で選ぶ、互いに想い合う者同士が約束をして、家族や長に了承を得る。でもね、この里に住むたくさんの獣人の中に、ほんの少しだけ、人がいる。それは様々な理由があるんだけど。リオルルも人だ。そして、獣人と人は結婚しない。認められていない。……それは、子を成せないから」
「え、子を成せない?」
詩子は意味を掴み兼ねた。しかし、聞き返すことがはばかれるほどに、アミヒの表情に苦痛がにじんでいる。
「そうだ。だから、リオルルのように、人はこの里の中では結婚しない。外に出て、結婚することがほとんどだ。もしくは、ここに相手を連れてくることになる」
「そうなんだ。」
「ウタ、だから、リオルルはいい人を紹介してほしいと俺に言うんだよ」
「リオルル、ごめん。私、知らないこと、多い」
「いいのよ。ウタはどこから来たの?当たり前のこともしらないのね。とても遠い所なのかしら、世界はとても広いもの、しらないことがあってもおかしくなんかないわよね。それに獣人か人かどうかなんてわからないもの。わかるのはアルセイくらいよ。気にしないで。でも、アルセイはすぐにわかるのよ、不思議」
リオルルはニコニコと微笑み、朝の支度をする。
アミヒはどこか悲しそうな瞳をしながら、微笑みを浮かべていた。
詩子は何も知らないことを思う。この世界の当たり前のことが分からないことが詩子を不安にさせる。
教えてくれると言った、老師がふわりと浮かぶ、そして、紫紺の髪をしたシンセントに『大丈夫だ』そう言って、頭を撫でて、ほしい。
その手の暖かさが今となってはつらく感じた。
そのヤギは白く柔らかそうな毛をしており、丸い目が可愛らしく穏やかそうだった。また、小柄な品種であるようだ。
他のヤギは大きく、足も首のあたりもがっしりとしており、みるからに丈夫そうだった。詩子は噛まれてしまいそうで、近づくことが出来ず、少し離れたところから、ヤギたちを見ていた。
「このヤギは、ティンティアナという品種なんだよ。」
ヤギを見ていた詩子に声をかけたのは、アルセイだった。突然のことに詩子は驚き、ひっと声をあげて飛び上がった。
「すまない、驚かせてしまったな」
「大丈夫」
詩子はひどく驚いてしまったことが、恥ずかしかった。アルセイは穏やかに微笑み、愛おしそうにヤギを撫でる。
「ヤギたちが怖いか?」
「うん。でも、かわいい。このヤギとあっちのヤギとは違う?」
「あぁ、そうだ。あのヤギはこの地域に昔から住む品種、ロコというんだ。この山の厳しい気候にも耐える丈夫なヤツだ。たくさんの荷を運び、乳も出るし、肉も美味い。……ウタといったか、ここではない世界から来たと、アミヒは言っていたが、本当はどうなんだ?朱国や金国から来たのか?何か事情があるのだろうが、俺に話してみないか?」
それが真でなければよかったけれど、それが、全てで事実であった。詩子は黙ってわらうしかなかった。
「本当にここじゃない世界から来た」
「……そうか」
アルセイが困ったように笑うことが悲しかった。
「何か力になれることもあるかもしれない。また、話したいことがあるなら、いつでも言うといい。待っているから。この里にいない時は、麓の小屋にいる。そちらが本来の住処なんだが、行ったり来たりしている」
「ありがとう」
詩子は胸に右手を当てて、精一杯微笑む。
「それは、サンエッタの民の挨拶だな。感謝の意を表す。サンエッタの民は感謝を言葉にしないから、感謝の言葉を贈られた者には、一族で礼を尽くすそうだぞ。それは、アミヒと……ピリカという人から教えてもらったのか?」
「そう。ピリカとてもいい人。優しい、よく笑う。よく働く。でも…」
「死んでしまったか」
「うん」
ピリカの最後の姿がまぶたに浮かぶ。落ちくぼんだ瞳、こけた頬、何もしてあげられなかった後悔が詩子を飲み込んでいく。
その淵から引き上げられるように、可愛らしい足音ともに、息を切らせた女の子がやってきた。
「アルセイ!」
「どうした?」
アルセイはその子の目線まで、腰をおり、頭を撫でる。
「マナンの実をもらいに来たの」
「あぁ、すまない。寄り道をしてしまったな。これを煎じて飲ませてくれ。すっきりして、吐き気が治るはずだよ」
懐から、紙に包まれた薬草を女の子も手渡し、うっかり寄り道をしてしまったと微笑む。女の子はその薬草を胸に抱いて、「ありがとう」と言い残し、足早に去っていく。その実を煎じてあげたい家族がいるのだろう。家で薬草が届くのを待っていられないほどに、吐き気が強かったのだろうか。
詩子も吐き気の強い、ピリカに飲ませてあげたかったと思った。
「マナンの実?吐き気が治る?」
もうピリカはいないけれど、聞かずにはいられなかった。
「吐き気を抑える働きがある。胸のスッとする匂いで飲みやすい。まぁ、悪阻の薬だ」
「ピリカは吐き気あった。吐いてしまうこともあった。薬、ほしかった。薬あれば、良くなったかな」
詩子には薬を買うお金もない、薬があるかもしれないということもわからなかった。しかし、アミヒは知っていたはずだ、なら、アミヒがピリカに薬を飲ませていたのだろうか。あんなにピリカを大切にしていたアミヒが、何もしなかったはずはない。
「ピリカはどんな風だった?」
薬草師としての興味であろうか、アルセイは詩子にピリカの様子を尋ねる。
「朝、起きてこなくなった。食事、しなくなった。顔色悪い。吐き気があった。時々、吐いてた。少しづつ、弱っていった」
「そうか。腹は下していたか?熱は?」
「下してない。熱はない、体は冷たい。手や足、とても冷たかった」
温めたくても、温められないピリカの手足。囲炉裏で温めた石を布でくるみ、ピリカの足元にそっと置いていたアミヒ。本当は自分が温めてあげたかったに違いない。
詩子が寝た後に、アミヒがこっそりピリカと床をともにしていたことに詩子は気づいていた。それはピリカの体調が悪くなる前からのことで、日中の二人の様子があまりにも甘いときは、詩子は、夜そっと小屋を抜け出していた。二人の生活の邪魔でしかないことはわかっていたが、ほかに行くところもなく、優しくしてくれる二人に頼るしかなかった。
「……月のものはどうだったかわかるか?」
ヤギの背を撫でながら、アルセイは顎をさすり、何か考えているようであった。男の人からのその問いに詩子は戸惑ったけれど、薬草師は、この世界で医師のような役割だろうと、解釈し、記憶をたどる。
「えっ…、たぶんなかった」
「……」
アルセイの問いを合わせていくと、行きつく答えは一つだった。
「赤ちゃん?ピリカに赤ちゃん?」
二人に子供ができていたのだろうか。そう言われれば、その通りだと感じる。しかし、アルセイの表情は険しく、ヤギの背から手を離し、顎をさすっていた手は、額に当てられている。
「いや、わからない。おそらく、ちがうだろう。アミヒは獣人だ。アミヒ以外の者はいなかったのだろう?なら、違う」
「なぜ?」
詩子の問いに、アルセイは驚きを隠せない。しかし、ため息をつき、何も知らないんだったなと言いながら、詩子を見つめていう。
「ウタ、ピリカは人だ。そう、聞いている。人と獣人は子を成せない。それが理だ」
「子を成せない、理」
人であるピリカと獣人であるアミヒには、子供は生まれない。それは『理』である。
アミヒが同じことを言っていたことを思い出す。その時のアミヒがあまりにも苦痛をにじませていたために聞き返すことができなかった。
「そうだ。だから、獣人と人との結婚は認められていない、神はなぜ、このようなことをなさるのだろうか。獣人を民とお認めにならないのだろう。そう思わないか?異界から来たというウタよ」
アルセイは、何も知らないという詩子を皮肉るように言う。詩子はその言葉に胸が痛むが、それ以上にこの世界のことを知りたかった。
「アミヒが少し、話聞かせてくれた。よくは知らない。獣人と呼ばれる人のこと。どうして民と認められていない?」
「呪力だ、呪力はわかるか?」
詩子は大きくうなずく。
「呪力は貴賤を問わない。親が呪力を持っていても、その子が持っているとも限らない。ただ、その力を持って生まれるかどうかだ。この世界の始まりの物語は聞いたか?」
「神様の子供たちの、力を砕き、その民に与えた?」
かつて老師から学んだことを繰り返す、アルセイは大きくうなずき、ゆっくりと語る。
「そうだ、その民に、力を与えられた民に、獣人は含まれない。獣人は呪力を持たない」
「そうなの?」
「そうだ。それが、この国の民として、獣人が認められない一番の理由だ。そして、獣人と人は、子を成せないんだ。だから、この国の民は、人だけなんだ」
詩子はただ、悲しかった。
獣人と人との違いが、生まれながらにして異なる環境がただ、悲しかった。
民として認められていない獣人は課税の義務を持たない。獣人ということで、人より低賃金で働かされ、時には賃金をもらえないこともある。獣人ということで雇ってもらえないことも多い。民の多くは、獣人であることに気が付いても、それを問いただすことは少ない。しかし、何かのトラブルが生じた際に、一番に疑われるのは獣人であるという。店の金銭が足りない時、誰かの手荷物がなくなった時、普段は獣人ということを気にすることなく、接している者でも、手のひらを反す。
獣人を毛嫌いする人がいることも事実。そのような人に獣人は近寄ることはない。民の中には獣人に寛容な人たちもいる。
今までよくしてくれていた人たちに、疑われることが、本当につらいのだと、アルセイは語る。
――詩子ちゃんはかいわそうね
そう言って、優しくしてくれる人たちの手をすんなりと受け取れなかったことを詩子は思い出す。どこかにさげすみを含んだ、優しさが詩子は苦手だった。
ひどく歪な笑みを浮かべていたことに、詩子は気づかなかった。
獣人の里での暮らしは厳しくも穏やかに過ぎていくのだった。




