13、清定館のシンセント
まだあたりは暗く、東の空が少し白みだし、広がる雲が少しづつ、色を変えていく。
シンセントは寝台をぬけだし、身支度を整える。
寝衣から、きなれた衣に袖を通す、ツキリと左の肩が痛み、シンセントは顔をしかめる。
アリアロレスのヤフィルタから受けた傷は、思いの外、長く痛む。
日常の生活動作には困らないが、ふとした拍子に痛みが体を抜けていくのだった。
その感覚になれることはない。
愛用の太刀を手に、幼少のころから、欠かさずに行っている毎朝の鍛錬に向かう。
それはウタが現れる前からも、ウタがいなくなってからも、続けていることだ。急にやめてしまうことは出来ず、習慣であり、しないことには落ち着かない。
薄く明るくなっていく空を背に、シンセントは大きく息を吐き、型をゆっくりと丁寧にさらっていく。
吐く息は白く、額から汗が流れおちる。
手になじんだ、太刀がいつもより重く感じる。体はまだ、本調子とはいかない。
いつも、ウタの気配を感じて、気が散ってしまうが、ウタが行ってしまってからは、ウタの気配がしないことに、気が散ってしまう。
――あの少年はどこに行ってしまったのだろう。
――一体、何者だったのだろう。
いつまでたっても、いくら考えてもわからない。
何者かと問うたときに、見せた表情が、いつも脳裏に焼き付き、浮かんでくる。大きく見開かれた闇夜のような瞳に、あふれて流れ、頬を伝った涙。それは、月の光を受けて、きらきらと輝いていた。
型の途中であったが、シンセントの気はすっかり散じてしまい、もはや集中することができなかった。鍛錬を中断し、シンセントは部屋に戻る。
井戸の前で、鍛錬を中断したシンセントをじっと見つめていたマーナンが足を止めた。
「シンセントさん、何をしているんですか。ほんとに。」
マーナンが、太刀を手にぼんやりとしているシンセントに、ため息交じりに言う。
「なにか?」
「いやね、最近のあなたの様子は見ていて、もどかしくて仕方ありません。差し出がましいことだし、本人が自覚していないのに、周りが言うことじゃありませんから、みんな黙っていますけど。食事はまともに取れない。鍛錬も身が入らない。ぼんやりして、ため息ばかり。私にはあなたの心の中がしっかり見えていますけど、シンセントさんには見えていないんでしょうね」
「……」
マーナンは、肩をすくめて、行ってしまう。
どういう意味だと、問うことは出来なかった。
シンセントにも正直なところ、少し自覚はある。
しかし、この気持ちに名前を付けてしまっては、戻っては来れない気がする。成人の男性が年端のいかない少年を好む。そのような性質の人たちがいることに嫌悪もなければ、興味もない。しかし、自分がそうだと、認めることは難しかった。
黒い鳥の尾のような髪が、ピョンと跳ね、振り向くと、黒い大きな瞳でじっと見つめてくる。小さな口を大きく開けて、カッザを頬張っていた。おいしいとにっこりと笑った時、思わず手をのばし撫でた、そのときのウタの髪が、思いの外、柔らかく指に絡んだ。あかぎれができている手は小さく、触れるのを一瞬、ためらった。
くるくるとよく働き、慣れない様子ではあったが、根気よく取り組む。物を知らない様子に、マーナンも驚いていたが、不平不満をこぼすことはなく、途中で放り出すこともない。そんなウタを好ましく感じていたのは、自分だけではないとは思っているが、自分は思っていた以上に、ウタのことを好ましく思っているようだ。
――今、どこで何をしているのだろうか
あの、ウタを連れ去った男は獣人のようだった。あの身のこなしは、呪術師でなければ、獣人でしかない。呪術の香りはしなかった。すると、獣人で間違いないだろう。
ならばなぜ、ウタは獣人と知り合いだったのだろう。
獣人を『いい人』というのだろう。
シンセントは清定館を旅立つことができない。
王都にもどることも、ウタを追いかけることもできずにいた。
冷たい風が吹き付け、遠くに見える山脈の尾根の雪はどんどんその量を増やし、寒さの厳しい冬はもうすぐそこまで来ている。
ウタがここを出てから、もう何日もたち、季節は巡っている。
街道が雪で埋まれば、シンセントも身動きは取れない。
王都に戻るにしても、旅を続けるにしても、ウタを追うにしても、早く決めねばならなかった。
「シンセント殿、何を迷っておられるのじゃ」
中庭でぼんやりとしていたシンセントに老師はため息交じりに声をかける。
「老師……」
「ウタが、獣人とともに行ってしまって、置いていかれた子供のように、途方に暮れているようにみえるぞ」
「決して、そのようなことは」
「何を迷っておる?何を決めあぐねておるのじゃ?」
「老師、ウタは、ウタは何者だったのでしょう?」
「シンセント殿……」
「もう、いい加減にしてちょうだい!」
いつの間にか、やってきていたマーナンは、手にしていた洗濯物の籠を小脇に抱え、シンセントをきつくにらみつける。
「マ、マーナン。落ち着かれよ」
老師の困惑をもろともせず、呆然とするシンセントにマーナンは畳みかける。
「一体、ウタが何者であることに、何の意味があるというの?ウタがウタであることに、変わりはないでしょう!異界からの来訪者でも、獣人の知り合いがいても、ウタはウタでしょう?一生懸命に働き、クルクル笑って、たくさん食べて。……確かに不思議な子だったわ。でも、あの子は、あの子はただの女の子よ。どうして、あの子が何者かわからないと、追いかけられないの!今までにたくさんの学徒を見てきたけれど、シンセントさん以上に意気地のない男はいないわ!」
小脇に抱えた籠をシンセントに投げつけ、マーナンが言い放つ。肩を怒らせ、眉を吊り上げている。
「マ、マーナン、少し落ち着かれよ。……しかし、シンセント殿、マーナンの言葉に私も同意するぞ。なぜじゃ、あんなにも、愛おしそうにウタを見つめ、ウタも、そなたのことを好ましく思っている様子であった。なぜに追わぬ?」
「……い、今、なんと?」
シンセントは散らばった衣に足を取られながら、息を荒くしたマーナンに詰め寄る。
「シンセントさんほど、意気地のない男はいない!」
「いや、いや、今、ウタを女の子と……」
「そうよ、ちゃんと髪を伸ばして、着飾れば、あの子はとてもきれいよ。顔立ちも整っているし、手入れをしていないから、髪の艶もないし、肌もかさついているけれど、少し手をかければみちがえるでしょうね。それに、あんなに食いしん坊だもの、きっと体つきもすぐに変わるわ。食べる物に困っていたのか骨と皮ばかりだけど、きちんと栄養をとれば、女らしい丸みをきっと帯びてくるでしょうね」
「……」
マーナンの語る言葉をシンセントは受け止めきれない。ウタが少年でないという事実は自分が勝手に妄想し、都合よくマーナンの口からでているのだろうか。
「え、もしかして、あなた。ウタを男の子だと思っていたの?」
シンセントの呆然とした様子にマーナンと老師は驚きを隠せない。
「なんということじゃ」
「いや、服も、髪も、女はあんなに……」
シンセントの知る女とは、やたらとキラキラした物を腰や頭につけて、ヒラヒラした服をきている。ましてやウタのように、大きな口を開けて、たくさん食べたりはしない。食べ物を細かく切り刻み、小さな口で、少しの量を食べるものだ。すくなくとも、皮のむいていない実をそのままかじったり、その辺に生えている木からむしって、直接に木の実を口に含んだりしない。
「一緒に旅をしてきたのではなくて?旅をしていればすぐにわかることでしょう?」
マーナンの問いは当然であった。旅をしていれば男女で、たくさんの不都合が生じる。
「……ただ、恥ずかしがりなのかと」
今にして思えば、ウタはシンセントの前で着替えることはなかった。用を足すときも、ずいぶんと遠くまで離れていく。体を拭くときも、シンセントの前では拭かず、こっそりと隠れてしていた。
「なんていうこと!信じられないわ。確かに背も高いけれど、学徒の女の子でも、ウタと同じくらいの子は何人もいたわ。珍しくはないでしょう?髪が短いけれど、あんなに華奢で、首も肩も細いでしょう?何?馬鹿なの?それとも、鍛えすぎて頭の中まで筋肉になっているの?」
「マ、マーナン、落ち着かれよ。シンセント殿、あの子は間違いなく、女の子であった。年は十六と言っておったな」
「じゅ、十六?私はてっきり、まだ、十三、十四くらいの男の子と……」
「はぁ、もう、本当に信じられない。老師!清定館で男の子と女の子の見分け方をきちんと教えたほうがいいのではありませんか?」
「マーナン、辛辣じゃのう。シンセント殿はあまり、女の子に関わられてはおりませんか?」
老師はシンセントが極端に女性に関わる機会が少ないままに成長したのかと考えた。多少、女らしさにかけてはいたが、パッと見ただけではわからなくても、ウタは少し関われば、女の子であることなど、すぐにわかる。
「いや、そういうわけではありません。姉もおりますし、年の近い従姉妹もおります。しかし、あのような……」
「わかったわ、シンセントさんは、裕福な家庭で育ったのでしょう?女性はみんな、おしとやかで、おとなしくて、奉公の者が何人もいるような」
マーナンはシンセントの愚行ともいえる間違いに、少々いらだっていたため、その言葉尻にとげを含んでいた。
「はぁ、そうではないとは言えません」
シンセントに返す言葉はない。実際にウタのような女の子に関わったことはない。
「シンセント殿、家名を聞かせてもらえるか?」
老師の問いにシンセントは言いよどむ。
「……ランサと申します」
「ランサ!代々、文官を何人も輩出しておる、あのランサ家か?」
「……文官の多い、ランサ家において、呪術師ではあるものの、武官とともに任に就くことの多かった私は少々、異質です。あまりランサ家とのつながりは濃くありません」
ランサ家は代々要職を歴任している。現当主も、王都にて政の中心にいるはずであった。王都で警護の任に就いているときに、見知らぬ者から声をかけられ、ランサ家とのつながりを求められた。その繰り返された苦い経験がシンセントの声を固くする。
「シンセント殿、私はもう、王都のローサではないのじゃ、そなたをどうにかして、取り入ろうなどと、思ってはおらぬ、そう、警戒せずともよいわ。ご当主はご健在か?」
「……はい。おそらく。この旅を始めて、二年が経ちます。……ランサ家には、王都には戻ってはおりませんので」
「そうか」
老師は顎を手でさすり、マーナンにお茶を入れてくれるように頼むと、マーナンはフンっと鼻を鳴らし、洗濯物をかき集め、出ていった。
老師の勧めで、椅子に腰かけたシンセントは混乱していた。ずっと少年だと思っていたウタが女であるという事実がじわりとしみこんできた。
目についた柔らかそうな頬や細い首すじ、あかぎれのあった小さな手、カッザを含んだ口もと、星の煌めく闇夜のような瞳のウタの顔が浮かび上がる。
老師の問いかけに、はっとした。
「シンセント殿?聞いておるか?しっかりされよ。王都での生活が長いということは、獣人について、どれくらい知っておる?ウタは獣人とともに去ったのであろう?」
「獣人ですか。獣と、理性も知性もない、本能のままの獣と言われております。私は実際には、会ったことも、話したことも、ありません」
「そうじゃろうな。王都には獣人はおらぬ。青龍の宮の守りの内にある、王都。そこに獣人は入らぬ。そう、言われておるからの。実際に王都に住む獣人はごくわずかなのであろう。そのために、王都の者は獣人に対する認識はずれておる。おかしいと思わぬか?ウタを連れ去ったという獣人に知性を感じなかったか?」
青龍の宮の長の呪術によって、結界の張り巡らされた王都に、獣人は入ることができない。何代前の蒼王がひどく獣人を嫌ったことが始まりとされている。王都に生まれ育ったシンセントは獣人とのかかわりはほぼない。老師の指摘にかえす言葉を見つけられなかった。
「……」
「王都にいては見えぬものが、あるのじゃ。獣人は人と何ら変わらぬ。知性も理性も持ち、喜びもする、悲しみもする。人に紛れて、暮らしておるのよ。地方に住む誰もがみんな知っておる。しかし、獣人をことさらに嫌う者たちもいるのも事実。獣人とわかれば、最悪、命を狙われてしまうからの、見て見ぬふりをするのじゃ。一目見て、獣人とわかるような者はおらぬ。いや、一目見て獣人とわかるような者は街にはおらぬ。人とうまく混じれる者が街で暮らしている。シンセント殿が獣人に会ったことがないと、言われるがの。おそらく、何人もの獣人にあっているであろうよ」
獣人と人、ともに暮らすことができるようになるといいのじゃがなぁ。老師のつぶやくような祈りは王都のローサであったころには思いもしなかったことであった。




