72話
ソルベリア公爵家が地図上から抹消されて、五年後のことだった。
「レベッカ嬢が殺された?」
臣下からの知らせに、メルヴィンは訝しげに目を細める。
「犯人は分かっているのか?」
「はい。彼女の元家族だそうです」
元家族。没落寸前の男爵家で、レオーヌ侯爵家の養子になったレベッカに幾度も金の無心をしていた。
だが、レベッカはかつての家族に手を差し伸べなかった。結果、男爵家は首が回らなくなって潰れている。
動機としては十分だ。
「血縁者ということで、焼き菓子を差し入れたそうです。その中に毒が仕込まれていたらしく……」
「……そうか。報告ご苦労、戻っていいぞ」
「では、失礼します」
臣下が一礼して執務室を後にする。
残されたメルヴィンは、おもむろに窓へ視線を向けた。
トーマスに出会わなかったとしても、レベッカの人生は悲惨なものだったかもしれない。
だが、少なくとも家族に殺されることはなかっただろう。
トーマスにさえ出会わなければ……
(それはレオーヌ侯爵家にも言えたことか)
レベッカと同じように終身刑となったロザンナは、いつからか心が壊れていた。
衣服を脱ぎ捨て、食事を手掴みで食べるようになったらしい。その様子を見た大臣は、「まるで獣のようだった」と語っていた。
そしてある日、服を口に含み、喉を詰まらせて窒息死した。
レオーヌ男爵は、三年前に起こった戦で命を落としている。
隣国パランディアが北の帝国に攻め込まれたのが始まりだった。
パランディアを掌握した帝国は、そのままの勢いでロシャーニア王国にも攻めてきた。
この時、レオーヌ領に配属されていた兵は、何らかの規則違反で飛ばされてきた者ばかり。僅かな時間稼ぎにしかならなかった。
しかし、その隙に戦闘準備を整えたルディック領の国境防衛師団により、帝国軍は壊滅。
レオーヌ領及びパランディアからの撤退を余儀なくされた。
侵略を受けた直後、レオーヌ男爵は真っ先に逃げようとしたところを自軍の兵に殺された。
侯爵時代から評判の悪い領主だったらしい。家督を継いだ途端、妻のロザンナと共に散財して領民の生活を圧迫していた。
男爵にはその自覚があったのだろう。フィオナに経営難を悟られないように、何とか取り繕っていたそうだ。
そしてレオーヌ領の部隊には、トーマスも加わっていた。
死罪を回避したいのなら、レオーヌ領にて無期限の兵役に就くこと。
それが国王が突きつけた条件だった。
『な、何だ……それくらい、喜んでやりますよ!』
死ぬよりはましだと高を括ったのか、トーマスはあっさり頷いた。
だが、自ら毒杯を呷って死んだ執事の方がまだ幸せだったかもしれない。
それから半年後に帝国軍の侵略が始まったのだ。
付け焼き刃程度の訓練しか積んでいなかったトーマスは戦死した。想像を絶するような惨い死に様だったらしい。
その時の詳しい状況を聞いたメルヴィンは、口元を押さえながら「そうか」とだけ返した。
手のひらの下では、笑みを浮かべていた。
(ずっと、ずっと、あの日を待ち望んでいた)
トーマスが死罪になりかけた時、メルヴィンは彼の助命を求めた。
後遺症が残ったものの、自分は生きている。なのに同じ年頃の子供が死ぬのは嫌だった。
だが、すぐに自身の甘さを呪った。
あの男は何も変わろうとしなかった。
そして、奴を地獄に叩き落とすことを考えるようになった。
(…我ながら、執念深い生き物だ)
過去の罪を許した振りをして、復讐する機会を窺っていた。
『彼女』を利用することを考えたこともある。
窓の向こう、美しい花々が咲き乱れる庭園では、妻と幼子が楽しそうに微笑み合っていた。
妻譲りの銀髪と、自分と同じ濃紺の瞳を持つ愛娘。
数年後には、婚約者探しをしなければならない。
「メルヴィン?」
こちらに気づいた妻が目を丸くする。
そして柔らかな微笑を浮かべながら、小さく手を振る。
(……たまに、あの時のことを思い返す)
川へ身投げをしたフィオナを救った時のこと。
彼女は一瞬だけ目覚めると、譫言を口にした。
──わたしを、ひとりにしないで。
その言葉は、今もメルヴィンの心に深く突き刺さっている。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




