64話
暫くすると、トーマスがいつの間にか公爵夫妻の傍からいなくなっていた。
「何のためにお前を同行させたと思っているのだ」
「も、申し訳ございません」
呆れたように溜め息をつくソルベリア公爵に、執事は頭を下げた。
そして会場内を探そうとした時、廊下のほうが騒がしいことに気づく。
「まさか……」
虫の知らせで、動悸が激しくなる。慌てて会場を飛び出すと、兵士たちが大勢集まっていた。
そして少女の泣き叫ぶ声が聞こえる。
「何かあったのですか?」
近くにいた兵士に尋ねると、彼は険しい表情で口を開いた。
「どこかの家の子息が、他国の王女に抱き着いたそうです。そして王女を助けようとしたメルヴィン殿下が、逆上した子息に階段から突き落とされたのです」
「何ですと!? 殿下はご無事なのですか!?」
「右足を骨折なさっていますが、意識ははっきりしているそうです」
「そ、そうですか……」
執事は安堵でほっと息をついた。
「王女に迫った子息は、殿下が転落した直後に逃げ出したようですね。まだ子供なので、遠くには行っていないと思いますが」
「……子供?」
執事が怪訝そうに眉を顰めている時だった。どこからか、甲高い喚き声が聞こえてきた。
「やめろ、放せ! 僕は次期ソルベリア公爵だぞ! 汚い手で触るな!」
兵士に拘束されて、無理矢理歩かされているのはトーマスだった。
執事が絶句していると、泣き腫らした顔の少女はトーマスを指差して叫んだ。
「間違いありません! 私に突然抱き着いてきたのは、あの方です!」
トーマスが一方的に気に入っていた他国の王女だ。
「何だよ、この僕が抱き締めてあげたのに! 嬉しかったって素直に言いなよ!」
自分勝手な言い分に、その場にいた者たちは唖然とする。
そんななか、ソルベリア公爵が血相を変えて駆けつけてきた。
「ト、トーマス……」
「あっ、助けてくださいよ父上! あの子と仲良くしようとしたら、変な奴に絡まれたんです! うっかり階段に突き落としちゃって、怖くなったから逃げただけなんですよ! これって正当防衛ですよね!?」
「その方はメルヴィン王太子殿下だ、バカ者!」
「えっ。王太子って……うぎゃっ!」
ソルベリア公爵は息子を思い切り殴りつけた。
「な、殴るなんて酷いです! 僕も、王太子だって分かってたら何もしませんでした!」
「そういう問題ではない! ああ、何ということだ……」
事態の深刻さを理解していない息子に、公爵は頭を抱えながらその場に座り込んだ。
その光景を眺めていた執事は、ふらふらとその場から離れていく。
(トーマス様は恐らく死罪となるだろう。よくて、修道院送りか……)
だが、トーマスはそのどちらも当てはまらなかった。
ソルベリア公爵の尽力により、夜会での事件が内密に処理されることになったのである。




