63話
若き主にかける言葉が見つからず、執事は沈痛の表情で俯いた。
(やはり先代は間違っておられたのだ……何もかもが……)
きつく瞼を閉ざし、あの事件の夜を思い返す。
煌びやかな装飾がされた会場。
そこに集まったやんごとなき人々。
当時からソルベリア公爵家に仕えていた執事も、公爵一家に同行していた。
この日、社交界デビューを果たしたトーマスの世話係として。
「へぇ~、これが夜会かぁ」
「トーマス様、あまり動き回らないでください」
「うるさいよ。僕に命令しないでくれる?」
トーマスは執事を見上げると、鼻を鳴らしながらそう言った。
「こら、やめなさいトーマス」
「そうよ。皆があなたを見ているんだから」
憎まれ口を叩く息子を、やんわりと咎める公爵夫妻。
しかし、その口元には穏やかな笑みを浮かべている。
わんぱく盛りな子供のわがまま程度に捉えているのだろう。
執事は内心冷や汗を掻きながら、周囲に目を配
る。
「彼がソルベリア公爵子息か」
「教養よりも、傲慢さを先に学ばれたようですわね」
「あの歳になるまで、社交場に姿を見せなかったのも頷けるよ」
高位貴族たちのトーマスへの評価は冷ややかだった。
ソルベリア公爵家は、ロシャーニア王国でも有数の資産家。
以前はパーティーの場に出れば、向こうから声をかけられることが多かった。
しかし、今では敬遠されつつある。
公爵夫妻は長いこと、子宝に恵まれなかった。そしてようやく生まれたのがトーマスだ。
待望の第一子で、しかも男児。ソルベリア公爵家は大いに喜び、トーマスを大事に育てていった。
だが、今にして思えば度を超えていた。
公爵は、トーマスに最低限の教育しか施さなかった。トーマスが駄々を捏ねるからだ。
公爵夫人も息子を厳しく躾けようとする教育係を咎めた。
要するに、甘やかしすぎたのである。
その結果、トーマスは傍若無人な子供に成長した。
おまけに幼いながらに、異性への興味が強い。
ソルベリア家主催の食事会に親交の深い貴族が集まった際は、容姿の優れた令嬢にばかり声をかけていた。
逆に平凡な顔立ちの令嬢が挨拶をしてくると、無視をする。
そのあからさまな態度は、客たちの不興を買った。
流石にまずいと思ったのか、ソルベリア公爵は我が子の非礼を詫びた。
「息子はよくも悪くも素直な性格なのだ」と、弁解しながら。
高位貴族や王族の子は、幼い頃から礼儀作法を学ぶことが義務づけられている。いや、礼節を重んじる家であれば、下位貴族でも学ばせる。
五歳にでもなれば、一通りのマナーを身につけているのが当たり前だ。
だが、トーマスは六歳になっても身についていなかった。
何より、他者を気遣う心が致命的に欠けている。
食事会の一件以来、一部の高位貴族はソルベリア公爵家と積極的に関わることをやめた。
トーマスの祖父に当たる先々代公爵は、孫がまともになるまで社交場に出すことを禁じた。
だが公爵夫妻は、先々代公爵が病気で他界すると、トーマスを夜会へ連れてきた。
「いつまでも屋敷に閉じ込めておくのは可哀想だ。それにトーマスも、このようなところでは問題など起こさないさ」
「先代公爵様は、少し神経質な方でしたものね」
堅実な領地経営ぶりと、穏和な人柄で慕われてきた公爵夫妻。
苦笑気味に語る二人に、執事は胃痛を感じて腹を擦った。
「あれ? 父上、あの女の子すごく可愛いですね!」
と、トーマスが一人の少女を指差す。
「ああ。彼女は他国の王女殿下だ」
「大人しそうだし、結婚するならああいう子がいいなぁ」
「ははは。王女殿下も、きっとトーマスを気に入ってくださると思うぞ」
公爵としては軽い冗談のつもりだったのだろう。
「ふーん……」
「さあ、軽食でも食べようか」
だからニヤリと笑う息子を気に留めようとしなかった。




