40話
「は……?」
前妻の名前を出されて、トーマスの頭の中は真っ白になった。
しかしすぐに愛想笑いを浮かべながら、首を横に振る。
「ラ、ライラが? あのお嬢様に、そんなことをできるわけじゃないか!」
その言葉に、使用人たちは眉を顰める。
「ご存じないのですか? あの方は将来ご主人様の助けになれるようにと、政治学や経済学を学んでおいででした。そして、執事一人で執務をこなす様子を見兼ねて、手伝われていたのですよ」
「そんなの僕は知らないよ! 何も聞いていない!」
「ご主人様の自尊心を傷つけないために、黙っているようにとライラ様から口止めされておりました」
「~~~~っ!」
次々と明かされていく事実に、トーマスは歯噛みをする。
ライラの言葉は正しい。顔が綺麗なだけと思っていた少女が、自分の尻拭いをしていたと知り、苛立ちが込み上げていた。
「ですから、ライラ様がお亡くなりになって、執事の負担が増えたのですよ」
「う……」
「執務といい、レベッカ様のことといい……あなたはライラ様に甘やかされていたのです」
「うるさいなぁっ! 僕は公爵だ、この家の主だぞ! 生意気な口を利くと、クビにするよ!」
「構いませんよ」
苦し紛れの脅し文句だったが、彼らが怯む様子はなかった。
それどころか、主とその婚約者に冷ややかな視線を向けている。
「貯金もそれなりにありますからね。他の領地にでも移ろうかと、皆で話し合っておりました」
「私はルディック領に参ります。あそこは職業支援制度が充実していますからね」
「僕は、ボーラ領へ移ろうかと思います。ワインの名産地らしいですし」
「うううう……っ!」
これからの予定を嬉々として語る使用人たちに、トーマスは冷や汗を掻く。
彼らの態度は腹立たしいが、一気に辞められたら困るのはこちらだ。
「わ、分かったよ、やればいいんだろ! これからは、僕とレベッカで頑張るよ!」
「はぁ!? 何で私もしなくちゃいけないのー!?」
レベッカはぎょっと目を見開き、不満そうな声を上げた。
「君は僕の奥さんなんだから、そのくらいやってもらわなきゃ困るよ!」
「嫌! 私、働きたくないもん!」
「そんなことを言うと……婚約破棄にしちゃうよ? いいの?」
囁くような声で脅されて、レベッカは息を詰まらせた。
トーマスは所詮、メルヴィンを手に入れるまでの繋ぎ。
だが、今ここで捨てられたら、その野望を果たせなくなる。
「わ……分かったわ! 私……トーマス様のために頑張るっ!」
「君なら、そう言ってくれると思ったよ!」
こうして真面目に仕事をする気になったトーマスと、それに付き合わされる羽目になったレベッカ。
しかしこれが、ソルベリア領に大きな混乱をもたらすことになるのだった。




