26話
当初、ライラは自分が何者なのか分からなくなっていた。
慌てた様子で駆けつけた医師に、「記憶障害を起こしているようですね」と言われても、大して実感が湧かない。
「……彼女にとっては、それが幸せなのかもしれない」
青年は苦い表情をしながら、そう言っていた。
だから、何も思い出してはいけないのだと感じて、自分からは何も聞かないことを決めた。
かいがいしく自分を世話してくれるメイドたちも、そのことには一切触れようとしない。
だが、それも長くは続かなかった。
目覚めてから二週間も経つと、まず霞がかっていた意識がはっきりするようになった。
一日の大半をベッドの上で過ごしていると、様々な疑問が生まれるようになる。
そしてそれらは、失ったはずの記憶を呼び覚ました。
「……私はレオーヌ侯爵家の長女、ライラですね?」
医師に問いかけると、彼は少し迷った後に「……はい」と静かに頷いた。
「……どうして私は助かったのですか」
「メルヴィン殿下と近衛兵たちが、ライラ様を救助したと聞いております」
「殿下が……?」
「あなたが目を覚ました時、傍にいらっしゃった青年が殿下でございます」
医師の言葉に、ライラは目を見張った。
(あの方がメルヴィン王太子殿下……)
内向的な性格で、公務の時以外は王宮の中で過ごしていると聞いたことがある。
だが彼は、ほぼ毎日のように見舞いにやって来ていた。
「あの……殿下は、私に何かご用なのでしょうか?」
見舞いといっても、いつもライラの顔を一目見ただけで、すぐに帰ってしまうのだ。
メイドたちもその様子を見て、「もっと素直になればいいのに」と呆れたように笑っていた。
「そうですねぇ……私の口からはお答えすることはできません」
「そ、そんなに重要なことなのですか?」
「決してそのようなことはございません。……いえ、殿下にとっては重要かもしれませんね」
医師が穏やかに笑いながら、意味深なことを言う。
そして目をぱちくりさせるライラを残して、「それでは、本日はこれで失礼いたします」と言って帰ってしまった。
「……どういうことかしら」
ベッドの中で首を傾げていると、ドアをコンコンコンと叩く音がした。
「お姉さん、入ってもいい?」
「はい。どうぞ」
「ありがとっ! 失礼しまーす!」
明るい声とともに、キャラメルブロンドの少女が部屋に入って来た。
その後ろから、メイドが銀色のワゴンを運んでくる。
「お姉さん、まだこけい……ぶつ?があんまり食べられないんでしょ? だから、プリンを作ってみたの!」
「ありがとうございます。……リーネ王女殿下」
「うん! これなら、お姉さんも美味しく食べられると思って……え!」
自分の名前を呼ばれて、リーネが目を丸くする。
「私、自分の名前言ってないのに、何で分かったの?」
「メルヴィン殿下のことをお聞きした時に、ひょっとしたら……と思ったのです」
「そっか。えっと……もしかして、記憶も戻ってる?」
「……はい。今まで、ご迷惑をおかけしました」
「あ、謝らないでよー! 私たち、お姉さんを助けたくて助けたんだからっ!」
リーネは両手を左右に振りながら、力強く言った。
それから一拍置いて、内緒話をするように小声でライラに質問する。
「あの……ライラ様って、本当に銀色の薔薇のお姫様じゃないの?」
「……はい?」
「う、ううん。何でもなーい!」
王女殿下は、自分の頬を掻きながら恥ずかしそうに笑った。




