25話(回想)
森の中は澄んだ空気に満ちていて、植物や土の匂いを嗅いでいると、不思議と心が凪いでいく。
「……っ」
普段履き慣れていないヒールのせいで、両足とも靴擦れを起こして血が滲んでいた。
それを脱ぎ捨てて、再び歩き始める。
木の枝や石を何度も踏みつけてしまって、足の裏はどんどん傷だらけになっていく。
地面を踏みしめる度に鋭い痛みが走るが、いつの間にか何も感じなくなった。
そして、切り立った崖の上に辿り着いた。
下を見下ろせば、そこは川になっていた。水の流れが速く、ここからでも微かに水の音が聞こえてくる。
落下すれば、恐らく助からないだろう。
「……さようなら」
自分が死ねば、ソルベリア公爵家にもレオーヌ侯爵家にも迷惑がかかる。
そう分かっていながら、ライラは崖から身を投げ出した。
そこから先のことは、何も覚えていない。
だが何故か冷たい川の中ではなく、色とりどりの花が咲き乱れる花畑で佇んでいた。
(天国かしら?)
暖かくて、花の香りに包まれた優しくて綺麗な世界。
ころんと寝転がって、瞼を閉じる。
もう誰にも縛られない。誰にも苦しめられない。
ずっと、ここにいたい。
そう思っていたのに。
「え?」
ライラは瞼を開くと、急いで起き上がった。
今、誰かに頭を撫でられた気がしたのだ。
どれだけ辺りを見渡しても、ライラ以外は誰もいない。
けれど、恐怖や嫌悪感は不思議と感じなかった。
それどころか。
「待って……私を置いていかないで……っ」
顔も名前も知らない誰かに会いたくて、駆け出す。
どこまでも走って、あてもなく探し続ける。
きっと、向こうも自分が会いに来るのを待っているはずだから。何故か、そんな確信があった。
やがて辺り一面が白い光に覆われて、ライラもその中に包み込まれていった。
……随分と長い夢を見ていた気がする。
ライラは、ゆっくりと瞼を開いた。
(……ここはどこ?)
見慣れぬ天井が広がっている。頭がぼんやりとしていて、手足にもろくに力が入らない。
(だれ……?)
誰かが、ライラの頭を優しく撫でている。
顔が見たくて、どうにか首を動かそうとしていると、はっと息を呑む音が聞こえた。
そして青い髪の青年が、大きく目を見開きながらライラの顔を覗き込む。
「俺の声が聞こえるなら、瞬きを二回してくれ」
ぱち、ぱち。言われた通りにすると、彼の表情が和らいでいく。しかしすぐに、真剣な顔つきになる。
「君は、自分のことを──」
「えっ!? お姉さん、目を覚ましたの!?」
と、幼い声が青年の言葉を遮る。
パタパタと足音が聞こえた後、キャラメルブロンドの少女が青年を押し退けて、ライラに顔を近づけてきた。
「わぁ~! とっても綺麗なおめめ……!」
若葉色の瞳を煌めかせて、じっと見つめてくる少女。
(ああ、そうだ)
ライラは瞬きを繰り返しながら、夢の内容を思い返す。
(わたし、このひとたちにあいたかったんだ……)
長い眠りから、ようやく目を覚ましたライラ。
あの日から、既に半年以上が過ぎていた。




