03 巨人の庭先
「へー! こいつがそんな、大昔の獣の骨だってのかー?」
そんな声をあげたのは、ケルベロスのケイであった。
山の見回りを終えたケルベロス、畑の世話を終えたアトルとチコ、居眠りから目覚めたユグドラシルというメンバーと合流して、洞穴の化石と対面することになったのだ。アトルとチコはぽかんとしており、ルウは鋭い検分の眼差し、ベエは陰気にうつむき、ケイは子供のようにはしゃいでいた。
「でも、大昔ってのはどれぐらいの昔なんだよ? 千年や二千年じゃ、俺たちは驚かねーぞ?」
「うーん? 恐竜が生きてた時代かぁ。ここは、陽菜ちゃんが頼りだねぇ」
「え、えーと、恐竜の時代ってすごく長いはずだけど……たしか、絶滅したのは6600万年前だよ」
「へー! 6600……万? 今、万って言ったのか?」
ケイが仰天した様子で目を剥くと、アトルとチコはわたわたしながら指を折り始めた。
「ま、まんというのは、よくわからないのです。ひゃくよりたくさんたくさんなのです?」
「百の十倍が千で、千の十倍が万だよ! それで、6600万ってのは……ま、万の6600倍ってことだ!」
自分で口にしてから、ケイは驚きを新たにしたようであった。
「ちょ、ちょっと待てよ! 魔族がこの世に生まれてから、まだ数千年しか経ってねーんだぞ? 6600万年も前にこんなデカブツがのさばってたなんて、ありえねーだろ!」
「ひ、ひなもよくわからないけど……6600万年前っていうのは恐竜が絶滅した年で、生まれたのは二億年以上前だったと思うよ?」
「おく……!」と、ケイは絶句してしまう。
アトルとチコも完全にパニックの面持ちで、意味もなく指を折り続けていた。
「そもそも我々には、恐竜という概念が存在いたしません。こちらの世界には存在しない種なのでしょうか?」
ルウの言葉に、のんびりと検分していたユグドラシルが「ほほほ」と笑った。
「わしはどこかで、竜に似た獣の骨が発見されたという騒ぎを小耳にはさんだ覚えがあるぞよ。魔族は死しても骨など残らぬので、なかなかに驚かれていたようじゃな」
「え? 魔族って、お骨が残らないのぉ?」
「うむ。魔力の消滅にともなって、亡骸も塵と化してしまうのじゃ」
それは何だか、切ない話である。
咲弥が思わずドラゴンのほうを振り返ると、優しい黄金色の眼差しが待ち受けていた。
「自然に塵と化すのも、焼いて灰に還すのも、さして違いはあるまい。感傷は、無用であるぞ」
「……うん。死んだ後にどうなったって、大切な思い出は残るもんね」
咲弥はドラゴンの温かい首を撫でることで、感傷の思いを打ち捨てた。
「しかし、二億年以上も前に生まれて6600万年前に滅んだということは、一億年以上も恐竜の時代が続いたということなのですね。それは、驚嘆に値する話です」
と、ルウは理知的なる面持ちでそのように述べたてた。
「まあ、恐竜というのはあくまで獣であり、文明を築いたわけではないのでしょうから、魔族や人間族と比較しても詮無きことであるのでしょうが……ともあれ、途方もない話であるように思います」
「あらためて考えると、そうだねぇ。こっちの世界でも、人類の発祥なんてつい最近のことなんだろうからさぁ」
咲弥が期待を込めて視線を投げかけると、陽菜は「えーと」と頭を悩ませた。
「ホ、ホモ・サピエンスの誕生は……たしか、三十万年前だったかな?」
「おー、陽菜ちゃんは優秀だねぇ。社会の授業が得意なの?」
「こ、これは授業じゃなくって、学習本で読んだんだよ。恐竜とかのお話は、みんな博覧会のパンフレットだしね」
「にゃるほど。まあ三十万年ってのもそれなりの長さだけど、一億年にはかなわないよねぇ」
恐竜の化石に思案深げな眼差しを向けたまま、ルウは「はい」とうなずいた。
「現在の文明が、一億年後にも続いているのか……そもそも、一億年後にも魔族や人間族といった種が生存しているのか……まったく想像が及びません」
「そんなもん、想像する必要もねーだろーよ。自分がくたばった後のことなんて、どうだってかまわねーや」
そんな風に応じながら、ケイも恐竜の化石に熱い眼差しを向けたままである。歴史的な講釈とは関係なく、この巨大な化石に好奇心をくすぐられているようであった。
(恐竜とか化石とかは、男の子のほうが熱中するもんなんだろうしなぁ)
咲弥がひとり納得していると、ベエが陰気な声をあげた。
「しかしこの場には、祭壇も供物も見当たらない……遺跡としては、ずいぶん不十分なのではなかろうか……?」
「うむ。そういった品々もかつては存在したようだが、何者かによって持ち去られたらしい」
ドラゴンに目を向けられると、ロキが「……ソウ」と無機的な声で答えた。
「ソチラノカセキ、シュウヘン、キンゾク、オカレテイタ、コンセキ、ノコサレテイル。タダシ、ショウサイ、フメイ」
「なるほど……普通に考えれば、遺跡荒らしが持ち去ったと考えるべきであろうな……」
「ソウ。タダシ、イズレニセヨ、ニセンネンイジョウ、ムカシノハナシ」
「うむ……それほどに古き時代の話では、何を推測しても詮無きことか……」
そう言って、ベエはすくいあげるような視線を咲弥に向けてきた。
「それで……この遺跡は、どのように扱うのであろうか……?」
「うん? いやぁ、別にどうするつもりもないよぉ。ほったらかしでも、問題ないみたいだからさぁ」
「うむ。この化石とて、山の一部であるからな。自然に任せるのが一番であろう」
それが、咲弥とドラゴンによる短い話し合いの結果であった。
化石から目をもぎ離したケイは、「だよなー」と賛同の声をあげる。
「じゃ、見物はこれぐらいにして、メシにしよーぜ! 俺様は腹が減ってるんだからよ!」
「うんうん。ただ、テントやタープは撤収しちゃったんだよねぇ。設営したらすぐにランチの準備をするから、それまで待っててくれるかなぁ?」
「なに? なんでわざわざ、場所をかえないといけねーんだよ?」
「せっかくだから、陽菜ちゃんには色んなスポットを巡ってもらいたいんだよぉ。今回は、初めての連泊だしねぇ」
なおも声をあげかけたケイは、途中で口をつぐんだ。
きっと、陽菜のことを気づかってくれたのだ。いかにも直情的なケイであるが、陽菜に対しては要所要所で思いやりの姿勢を垣間見せていた。
(なんだかんだ、ケルベロスくんはみんな優しいからなぁ)
咲弥が腕をのばしてケイの首筋のモフモフを堪能すると、「だーっ!」とわめきながら逃げていった。
「それで実は、お願いがあるんだけど……この近くで、どこかに設営させてもらえないかなぁ?」
咲弥の呼びかけに、ゴーレムはぴくんと丸っこい身体を揺らした。
「……ワガハイ、ナワバリデ?」
「うん。この一番東の峰って、黒い温泉ぐらいしかお邪魔したことがなかったからさぁ。もちろんロキくんが嫌だったら考えなおすけど、どうだろう?」
ゴーレムは丸い目で咲弥の顔を見返しながら、動かなくなってしまう。
すると、ドラゴンがゆったりと語りかけた。
「足もとが平地であれば、どこでもかまわんのだ。何も気を張る必要はないぞ」
それでもゴーレムは、フリーズしたままである。
そうして心配になった咲弥が声をあげかけたところで、ゴーレムの丸い目の奥に黄色い光がちかりと瞬いた。
「……コウホ、ケッテイ。タダシ、カドノキタイ、エンリョ、ネガウ」
「ありがとう。お礼に美味しいランチを準備するねぇ」
ゴーレムは反応に困った様子で身体をひとゆすりしてから、ドラゴンを見上げた。
「イドウ、リュウオウ、ネガエル?」
「うむ。案内をよろしく願う」
ドラゴンは巨大な姿を取り戻したのちに、身を伏せた。
その場の全員が背中に乗ると、ドラゴンは垂直に上昇する。目指すは、天井にあいた穴である。それはドラゴンの巨体でもくぐれる大きさであることが判明したため、出入り口として活用されることになったのだ。
翼をたたんだドラゴンがその穴をくぐり抜けると、いきなり世界が光に包まれる。
その眩しさに目を細めつつ、咲弥は外界の空気をたっぷり吸い込んだ。
「ふむ。さきほどの洞穴の入り口からも、さほど離れていないようであるな」
ゴーレムから何らかの情報を伝達されたらしく、ドラゴンは空中でくるりとターンを切る。そしてそのまま、山腹へと滑空していった。
こちらの峰は岩場が多いが、草木も存分に生い茂っている。やがてドラゴンが舞い降りたのは、その両方の特性が詰め込まれた場所であった。
足もとは平坦な草地で、背後には突兀たる断崖が岩肌をさらしており、逆の側は深い緑に覆われている。先刻の洞穴は、その断崖の上に位置するようだ。そして、断崖にはちろちろと石清水が滴っており、その下には小さな川の流れが形成されていた。
「おー、色んな要素が盛りだくさんのスポットだねぇ」
そして何だか、景色が落ち着いている。岩場も茂みも人の手が入っているようには思えなかったが、どこを切り取っても絵になりそうな景観であったのだ。岩盤と樹木の色合いの対比までもが、きわめて好ましいバランスで完成されているように感じられた。
「うーん。これはあたしの思い込みかもしれないけど……ロキくんのお住まいに相応しい雰囲気だなぁ」
「うむ。こちらの峰を管理しているのは、ロキであるからな。言ってみれば、こちらの峰の調和を願うロキの思いが、随所に顔を覗かせているのではないだろうか?」
「なるほどぉ。ロキくんは何十年も前から、この峰を守ってくれてたんだもんねぇ」
咲弥は足もとのゴーレムに笑いかけたが、そちらはそっぽを向いてスンとしている。ただ、横目でちらちらと咲弥のほうをうかがっているかのような気配であった。
「なんでもいいから、メシにしてくれよー! 俺は腹が減ってるって言ってるだろー!」
「ほいほい。それじゃあ、設営しちゃいますかぁ」
亜空間から引っ張り出されたキャンプギアでもって、咲弥たちはあらためて設営を開始する。
その間に小さく縮んだドラゴンが、ちょろちょと流れる小川のほうに語りかけた。
「このように小さき川でも、其方の領分なのであろう? 我々を見張るならば、姿を現したらどうだ?」
「……まったく、いちいち小うるさいやつだねェ」
と、水深一メートルもなさそうな小川から、スキュラがぬうっと姿を現した。
そうして草地にあがったならば、その身に滴る水滴がすうっと体内に吸い込まれるようにして消えていく。ただし、水晶のごとき髪と瞳は濡れたように輝いたままだ。
「先刻は、ロキが発見した恐竜の化石なるものを検分していたのだ。其方にも声をかけるべきであったであろうかな?」
「なんだい、そりゃ? あたしの縄張りの外で何が見つかろうと、あたしの知ったこっちゃないよォ」
そんなやりとりを聞きながら、咲弥たちは設営を進めていく。
そのさなか、陽菜が頬を火照らせながら咲弥に囁きかけてきた。
「ねえねえ、みんなそろっちゃったね?」
「うんうん。これは思わぬ展開だねぇ」
古き時代から魔の山で暮らしていた三大魔族が、期せずして集合したのだ。各人とはそれぞれキャンプを楽しんできた咲弥にとっても、その全員とご一緒するのはひと月半ぶり――ここに四名の冒険者を加えて、巨大ガニを調理した日以来のことであった。
ただこの三名はおたがいを忌避していない代わりに、さほど親密な間柄でもない。フレンドリーな気質であるのはユグドラシルただひとりであるため、そちらを起点にしないとなかなか会話も始まらないぐらいであるのだ。
(それでも食事を囲んだら、ぐっと距離が縮まるからなぁ)
そして本日は、こちらの陽菜も参加している。
それでどのような化学変化が生じるものか、咲弥にとっても楽しみなところであった。




