06 夜想花
空き地を彩る木漏れ日に黄昏刻の気配が漂い始めた頃、すべての料理が完成した。
無水カレーとキバジカのステーキ、ダイコンサラダにホットケーキという献立である。本日は既存の献立にも新たな食材で彩りを添えていたので、誰もが瞳を輝かせていた。
さらに今回は、火酒というものも供されている。冒険者のひとりであるテクトリから、宿賃としていただいた品だ。それを受け取ったのは食後の夜半であったため、次のキャンプまで大事に取っておこうと決めていたのである。
火酒とは火をつけると燃えるぐらいアルコール度数が高い酒であり、どうやら穀物の蒸留酒であるらしい。こちらの世界ではウイスキーやウォッカなどに該当するようであるが、咲弥にとってはあまり馴染みのない品であった。
もとよりこちらは土瓶で二本分しかなかったので、『イブの誘惑』の果汁と水で割っていただくことにする。これまた咲弥にとっては馴染みの薄い、カクテルのような仕上がりだ。しかし味見をしたところ、なかなかの味わいであるようであった。
「ではでは。ユグドラシルさんとの初キャンプを祝いつつ、キバジカの捕獲お疲れ様ということで、かんぱぁい」
ドラゴンは尻尾でマグカップを、アトルとチコは両手で木彫りのコップを持ち上げる。そしてユグドラシルはひとつ合掌してから、銀の酒杯で乾杯の仕草を真似てくれた。
前足を手のように使うことのできないケルベロスたちは、それぞれ銀の深皿に注がれた火酒のカクテルをぺろぺろと楽しみ始める。一様に、魔族というのは酒類を好むようであった。
「さあ、料理のほうはユグドラシルさんのお口に合うかなぁ? 今日はちょっと刺激的な献立だし、無理があるようだったら遠慮なく言ってねぇ」
「うむ。この香りを嗅ぐ限り、忌避する心持ちにはならんがの」
笑顔でそのように答えながら、ユグドラシルは銀のスプーンをためつすがめつしている。彼女はずっと森で暮らしており、食器というものに馴染みがないようであった。
「それは、こうやって使うんだよぉ。まあ、食べやすいように使ってもらえれば十分だけどねぇ」
そんな言葉を伝えつつ、咲弥は自前のスポークですくいあげたカレーライスを口に運んだ。
とたんに、まろやかな味わいが口内に広がる。今日はもともとリンゴに似た『イブの誘惑』のすりおろしを使う予定であったので、甘くなりすぎないように辛口のルーを準備したのだが、パイナップルモドキまで使ったために想像よりもマイルドな仕上がりであった。
しかし、美味である。具材の水分だけで仕上げる無水カレーというのは、旨みが凝縮されるというのがセールスポイントであるのだ。咲弥にはまったく不満のない味わいであったし、アトルとチコも「おいしーのですー!」と快哉の声を張り上げていた。
「かれーらいすはいつもおいしーおいしーですけれど、きょうのかれーらいすがいちばんおいしーおいしーなのですー!」
「ほんとーなのですー! いろんなあじがして、しあわせいっぱいいっぱいなのですー!」
確かにこちらのカレーには、さまざまな味が存在した。そもそも咲弥はカレーに大量のトマトを使うのも初めてであったし、パイナップルモドキやカシューナッツモドキなどは言わずもがなであるのだ。普段のカレーには存在しない甘さと酸味と香ばしさが、辛いカレーにさらなる彩りを加えているようであった。
パイナップルモドキは細かく潰したし入念に煮込んだので、ほとんど形も残っていない。それでその甘みと酸味がルーの中にしっかり溶け込んでいるのだ。
いっぽうカシューナッツモドキはそのまま投入しているので、具材のひとつとしてゴロゴロと転がっている。しかしその香ばしさも、ルーの全体にふんわりと行き渡っているように感じられた。
キバジカの肩肉もほどよくやわらかに仕上げられて、牛肉と見まごう味わいである。さすが肩肉だけあって多少は筋張っていたものの、その噛みごたえも心地好い限りであった。
そして、くし切りにした『ジャック・オーの憤激』をかじると、カレーのマイルドな味わいがたちまち刺激を倍増させる。ケイは「かれー!」と文句を言いながら、それでも怒涛の勢いで平皿のカレーライスをたいらげていった。
そんな中、ユグドラシルは「……これは、絶品じゃのぉ」と、しみじみと息をついた。
「先刻も告げた通り、わしは肉を好んで食することはないのじゃが……その肉もまた、この味わいには欠かせない要因なのじゃろうな」
「うむ。おそらくはキバジカの肉のみならず、カレールーという食材に含まれている出汁の効果であろうな。肉と野菜の出汁はともに合わさることで、得難き調和を生み出すのだろうと思うぞ」
ドラゴンの言葉に、ユグドラシルは「なるほどのぉ」と目を細める。
「森とて、草木のみで出来上がっておるわけではない。種子を運ぶ虫や死したのちに土壌の滋養となる獣あっての、調和であるのじゃ。樹木の精霊を出自とするわしも、ことさら獣の肉をさける必要はなかったのかもしれんのぉ」
「ユグドラシルさんのお口にも合ったのかなぁ? だったら、あたしも嬉しいよぉ」
「うむ。このように絢爛な食事を口にしたのは、この世に生を受けて初めてのことじゃ。感謝するぞい、サクヤよ。それに、コメコ族の兄妹もな」
「とんでもないのです! ぼくたちは、サクヤさまのごしじにしたがっただけなのです!」
そのように答えながら、アトルたちも嬉しそうな笑顔である。
そして、ルウも粛然と声をあげた。
「おそらくこちらのカレーライスなる料理には、さまざまな香草が使われているのでしょう。それがユグドラシルを深く満足させると同時に、肉の滋養の得難さをも増幅させたのではないでしょうか?」
「へん! そんな理屈は、どーでもいーだろ! 美味いもんは、美味いんだよ!」
無水カレーをたいらげたケイは、ご満悦の面持ちでステーキを食んでいる。最近のケルベロスは、大好物は二人前、そうでない品は半人前ずつ食することで、三人前の料理をうまくシェアしているのだ。
魔族は心を満たすために食事をしているので栄養の偏りを考える必要はないという話であったが、三名全員にすべての品を味わってもらえるのは、咲弥にとっても大きな喜びであった。
それはともかくとして、キバジカのステーキである。
人間やコメコ族はキバジカ肉の生食をさけるべきであるという話であったので、ステーキもウェルダンで仕上げている。そしてそこに、カボスモドキを使ったドレッシングを掛けていた。
咲弥が適当に調合した自家製ドレッシングであるが、なかなか悪くない仕上がりであろう。焼いても牛肉に似た味わいであるキバジカのロースのステーキは、とても力強い味わいであった。
また、ホットケーキは出来立てを味わうためにまだ焼きあげていないが、甘味を主食にするルウにだけはすでに供している。そちらも凛々しい表情をキープしながら、ふさふさの尻尾をぱたぱたと振りつつホットケーキを食していた。
ホットケーキの生地には炒ったのちに細かく砕いたカシューナッツモドキを練り込んでおり、マンゴーモドキを使った自家製ソースを掛けている。マンゴーや西洋ナシに似た果実を牛乳で煮込んで、ほんの少量だけケーキシロップを添加したソースである。甘さそのものに不足はなかったが、果実と牛乳だけではひと味足りないように感じられたので、ケーキシロップの風味を頼った結果であった。
誰もが満足そうな面持ちであるため、咲弥も満足な心地である。
そうして咲弥がのんびり火酒のカクテルを味わっていると、急速に周囲が暗くなってきた。
「おー、いきなり夜になっちゃったねぇ。今、ランタンをつけるから――」
そうしてコンテナボックスに手をのばしかけた体勢で、咲弥は身動きを止めることになった。
暗がりの向こう側に、何か不思議なきらめきを見出したのだ。
「ふむ。そろそろ頃合いかのぉ」
もう片方のコンテナボックスに腰かけていたユグドラシルが軽やかな挙動で身を起こし、タープの外に出ていく。咲弥は無言でそれを追いかけ、他の面々もけげんそうに追従した。
「わあ、おはながきれーきれーなのですー!」
そのように声をあげたのは、チコである。
きっとチコは、咲弥よりも夜目がきくのだろう。咲弥には、咄嗟にそれが花だと認識することはできなかった。
空き地を取り囲む樹林に、白いきらめきが散っている。
まるで以前に見た『星の花』のような壮麗さであったが――ただ異なるのは、そのきらめきがゆらめいていることである。さらに、その輝きが刻一刻と増殖しながら、光を強めていたのだった。
「ふむ。これなるは、『夜想花』であるな。夜にのみ咲く、森の花である」
咲弥の隣に立ち並んだドラゴンが、低い声でそのように告げた。
今まさに、何十何百という白い花がつぼみを広げつつあったのだ。それが木漏れ日ならぬ木漏れ月光の明かりによって、ひそやかにきらめいていたのだった。
「本来、花というのは太陽の恵みによって咲き誇るものなのじゃがな。こやつらは、月の光で目を覚ます偏屈者ということじゃ」
ゆったりとした笑いを含んだ声で、ユグドラシルはそう言った。
しかし咲弥は、目の前の美しい光景から目を離すこともかなわない。山肌の一面が星空のようにきらめいていた『星の花』に比べればスケールは小さいものの、四方を取り囲む樹林のすべてに白いきらめきが灯されているのである。さらには木漏れ月光のきらめきも相まって、日中にも引けを取らない壮麗なる情景であった。
「『星の花』は冬の終わりに咲き、『夜想花』は春の始まりに咲く。ついに季節が移り変わったという証じゃの」
と、ユグドラシルの声がまた響く。
「そうして夏には夏の花が咲き、秋には葉が色づいて地に落ちる。そのようにして、時節は巡っていくのじゃ。……それもすべては、森の正しい調和あってのことじゃがの」
「……うん。こんなに素敵な森を守ってくれて、どうもありがとう」
咲弥が無理やり視線をもぎ離してユグドラシルのほうに目を向けると、そちらにはあどけない笑顔が待ち受けていた。
「こちらこそ、うぬに感謝しておるよ。うぬがしょうもない人間であったならば、竜王も落胆して山の調和など二の次にしておったかもしれんからの」
「それはあまりに、心ない物言いであろうよ。たとえそのような事態に至っても、我がトシゾウの遺した山を粗末に扱うことなどありえん」
ドラゴンは毅然と応じてから、いくぶん慌てた様子で咲弥に向きなおってきた。
「あ、いや、サクヤは理想を超越する素晴らしき人柄であったので、そもそも我は落胆もしていないのだが……どうか誤解のなきように願いたい」
「どこに誤解の要素があるのさぁ? まあ、あたしはそんな大した人間じゃないけどねぇ」
咲弥がくすりと笑ってからドラゴンの背中に手を押し当てると、その黄金色の目にも安心したような輝きが灯された。
その向こう側では、ユグドラシルが無邪気に笑っている。それはやっぱり十歳児めいた外見に相応しい笑顔であったが――その翡翠に似た瞳にだけは、すべてを見通すような透徹した輝きがたたえられていた。
2025.3/28
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。




