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ドラゴンと山暮らし  ~休日は異世界でキャンプライフ~  作者: EDA
第6話 水晶の泉

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03 前準備

「うひゃー……これは、なかなかの壮観だねぇ」


 ここまでの行き道には狭苦しい場所もあったが、温泉の手前はそれなりに開けていた。

 しかし、地面も壁も天井も、すべてが水晶のようなもので構成されており、何もかもが薄ぼんやりと玉虫色に発光しているのだ。異界の要素が散りばめられているこの山においても、これだけ幻想的な光景を目にしたのは――それこそ、山頂近くのスポットから『星の花』を見下ろした夜以来のことであった。


 天井は高いが、こちらにもあちこちにつららのような石が垂れ下がっている。また、足もとはそれなりに平坦であったが、ところどころに樹木のごとき石柱がそそりたって視界をさえぎっていた。

 そして、それらのすべてが七色に発光しているのである。

 ドラゴンが青白い鬼火を消し去っても、それらの輝きが消失することはなかった。


「こちらの水晶石には、光を蓄える性質があるようであるな。天井の部分から取り込んだ陽射しだけで、永続的に光が灯されるようである」


「へえ……つくづく大したもんだねぇ」


 咲弥は感服することしきりであったし、アトルとチコは水晶石に負けないぐらい瞳を輝かせている。さしものケイも悪態をつけないぐらい、それは幻想的な光景であった。


「……これで泉が煮えたっていなかったら、あたしのねぐらにしたいぐらいだったんだけどねェ」


 と、輝ける石柱の陰からスキュラの分身が現れた。

 もともと水晶のように輝くロングヘアーを有しているスキュラは、誰よりもこの場所に似つかわしい。彼女もまた、この空間の一部であるかのようであった。


「それで? あんたがたは、この煮えたった泉に浸かって、身を清めようっていうのかァい?」


「うん。その泉っていうのは……ああ、そこかぁ」


「うむ。水面も光を反射しているので、いささか判別が難しいところであるな。足もとに気をつけながら進んで、しかと確認するがいい」


 ドラゴンにうながされて、一行はさらに歩を進めることになった。

 数メートルの先では、足もとがいっそう美しくきらめいている。その場所に、湯が溜まっていたのだ。そこからわきたつ湯気が輝きをくゆらせて、この場所の美しさにさらなる華を添えていることが知れた。


 なおかつ、その湯気には甘い香りが感じられる。それほど強い香りではないが、煮込んだミルクのように甘やかな香りだ。それがいっそう、咲弥を陶然たる心地にいざなったのだった。


「これは……魔力の豊潤なこちらの山においても、ひときわ濃密な魔力が感じられます」


 ルウが驚嘆の声をあげると、ドラゴンは「うむ」とうなずいた。


「この水晶石が豊かな魔力を帯びているため、それが湯にまで溶け込んでいるようであるな。魔力を扱えぬサクヤやアトルたちには無用の長物であろうが、我々にとっては大いなる滋養となろう」


「はい。この湯に浸かるだけで、普段の倍ほどもすみやかに魔力を補給することができそうです」


 その場の美しさに見とれていた咲弥は、気を取りなおして会話に参加した。


「みんなも温泉を楽しめるなら、何よりだねぇ。でも、こんな綺麗な場所で体を洗うなんて、ちょっと恐れ多いぐらいだよぉ」


「ふん。古来より、泉ってのは身を清めるための聖域なんだよォ。水浴びするのは獣ぐらいだなんて言いたてるのは、知識が足りてない証拠だねェ」


 そうしてスキュラが咽喉で笑うと、ケイがたちまちいきりたった。


「なんでお前が、そんな話を知ってやがるんだよ! さては、盗み聞きしてやがったな!」


「あたしはあんたがたが悪さをしないように見張ってたんだから、当たり前の話だろォ?」


 昨晩の内に姿を消したスキュラも、朝方のやりとりをしっかり耳に収めていたようである。その周到さに感心しながら、咲弥は「まあまあ」とケイの頭を撫でた。


「それより、ひとつ相談があるんだよねぇ。できればあたしはシャンプーやらボディソープやらでしっかり体を洗いたいんだけど、そういうもんをお山に流すのはご法度でしょ? だから、うまいことやりくりしたいんだよねぇ」


「ふむ? やりくりとは、どのような?」


「いい感じの場所があれば、なんとか排水できると思うんだよぉ。この近くに、足もとがすり鉢状になってる場所ってないかなぁ?」


 咲弥が考案したのは、すり鉢状のもっとも低い場所に『貪欲なる虚無の顎』を設置して排水するという手法であった。キャンプの場でも排水の必要が生じた折には、さんざんあの不気味な壺のお世話になっていたのだ。


「なるほど。しばし待ってもらいたい」


 そのように告げるなり、ドラゴンは黄金色の瞳を半分だけまぶたに隠した。

 居眠りをこらえているような愛くるしい表情であるが、眼差しは真剣そのものだ。そんな状態で十五秒間ほどフリーズしてから、ドラゴンは「うむ」と首肯した。


「温泉の奥側に、うってつけの場所を発見した。湯に入る前に、術式を組み込むとしよう」


 ドラゴンは温泉の手前の開けた空間に、咲弥の愛車と台座にのせられたキャンプギアの一式を出現させた。

 咲弥は助手席に積んでおいたボストンバッグと風呂桶を引っ張り出し、ドラゴンは宝箱の中から『貪欲なる虚無の顎』を取り上げる。然るのちに、軽ワゴン車とキャンプギアは再び亜空間に封印された。


「岩場にこの品を設置するというのは困難なようなので、我が転移の術式を施そう」


 ドラゴンの尻尾の先端が、黒い壺の口の上に青白い魔法陣を描いた。

 そして次には尻尾が温泉の向こう側にまでぎゅんぎゅんとのびていったので、咲弥は思わず「うひゃあ」と声をあげてしまった。


「ドラゴンくんの尻尾って、そんなに長くのびるんだねぇ。今、あっちでも魔法陣を描いてるのぉ?」


「うむ。あちらで底に流れ落ちた湯が『貪欲なる虚無の顎』の口に流れ込むように、術式を施した。あとは使用時に説明しよう」


 そんな風に答えながら、ドラゴンは咲弥が抱えるボストンバッグにきょとんとした目を向けた。


「ところで、そちらが身を清めるのに必要な器具であろうか? ずいぶん量がかさんでいるようであるな」


「そうかなぁ? シャンプーとボディソープ、風呂桶と浴用タオル、あとはバスタオルぐらいだよぉ」


 ただし、浴用タオルは三名分、バスタオルは六名分であるので、大ぶりのボストンバッグがいっぱいになってしまったのだ。咲弥は思わず口もとをゆるめながら、バスタオルの一枚を引っ張り出した。


「いちおうみんなにも必要かと思って、人数分そろえてきたんだよぉ。ほらほら、きちんと名前も書いておいたからねぇ」


 油性のサインペンで『ドラゴン』と書き記されたバスタオルを見て、ドラゴンは「左様であるか」とどこかくすぐったそうに目を細めた。


「ところで、こういうシャンプーとかって、チコちゃんたちには有害だったりするかなぁ?」


 咲弥がボストンバッグから引っ張り出したシャンプーとボディシャンプーを差し出すと、ドラゴンは長くのばした尻尾を戻しながら「否」と応じた。


「確かにこちらの世界では見かけない成分が数多く含まれているようであるが、コメコ族の害になることはないようだ」


「じゃ、せっかくだからチコちゃんたちも使ってみてよぉ。きっと砂浴びとは違う気持ちよさがあると思うからさぁ」


「は、はいなのです! おきづかいいただき、きょーしゅくのかぎりなのです!」


 ぺこぺこと頭を下げながら、チコは期待に瞳を輝かせている。

 そのさまに胸を温かくしながら、咲弥は「さて」と周囲を見回した。


「いよいよ待望の温泉タイムでありますけれども……実はあたし、こう見えても女だったりするからさぁ。人と同じ魂を有しておられるという殿方に素っ裸を見られるのは、そこそこ小っ恥ずかしいんだよねぇ」


「うむ。それは至極当然の話である。我が入念に措置を施そう」


 ドラゴンはやたらと厳粛な目つきで、三名のケルベロスおよびアトルを引き下がらせた。

 そうしてドラゴンが尻尾をひと振りすると、その姿が新たな輝きに隠される。温泉を含むこの場の空間が、ぼんやりと輝く光のカーテンによって二分されたのだ。咲弥と同じ側に残されたスキュラは、「ははん」と鼻を鳴らした。


「結界に光の精霊を配置して、目を眩ませてるのかァい。小娘の裸身ひとつを隠すのに、ずいぶん大層な手管を使うもんだねェ」


「我にとっては、宙を飛ぶよりも易き術式である。もとより光の精霊というものは、火竜族と親しき存在であるのだからな」


 そのように語るダンディな声とともに、光のカーテンに赤い影が浮かびあがった。


「結界に触れる位置まで近づいても、姿が見えることはない。サクヤには心置きなく、身を清めてもらいたく思う」


「うん、どうもありがとぉ。……これ、うっかりさわっちゃっても大丈夫なやつ?」


「うむ。魔力を有する存在でもわずかな痺れを覚えるていどであるし、サクヤやコメコ族であれば無害な壁であるな」


「どれどれ。……ほほう、シルクみたいな手触りなのに、押してもびくともしないねぇ。なんだか、ドラゴンくんのお肌みたいだなぁ」


 咲弥はドラゴンの影が浮かびあがる場所を撫でさすってから、ひとり不安げなチコに向きなおった。


「ではでは、チコちゃんに入浴の手順というものを伝授いたしましょう。覚悟は固まりましたかな?」


「は、はいなのです! おてやわらかにおねがいしますのです!」


 かくして、ついに入浴タイムであった。

 その場には温泉の熱気がたちこめているため、服を脱いでも寒さに震えるほどではない。同性しかいない気安さで、咲弥はぽいぽいと衣服を脱ぎ捨てていった。


 まずは頭にかぶっていたワークキャップに、トレッキングシューズに厚手の靴下、防寒ジャケットにワークパンツ、スウェットのトップスに防寒インナーの上下――そうしてようやく下着姿にまで到達すると、チコがどぎまぎしながら声をあげた。


「サ、サクヤさまは、らしんもおうつくしいのです! おはだもすべすべで、きれーきれーなのです!」


「いやぁ、あたしが自慢できるのは、肌の頑丈さぐらいかなぁ。それよりチコちゃんも、おべべを脱ぎなっせ」


「りょ、りょーかいなのです!」と、チコはデザートリザードの鱗でこしらえられたポンチョとブーツを脱ぎ捨てた。

 その下に着込んでいたのは丈の短いワンピースのような衣服で、腕や足には灰色の包帯が巻かれている。それらの包帯がくるくると巻き取られると――その下からは、ごくなめらかな小麦色の肌が現れた。


「ふむふむ。チコちゃんたちも、首から下は人間と変わらないのかな?」


「はいなのです! つめは、たたかうときにしかのびないのです!」


「戦うときには、爪がのびるのか……もしや、その愛くるしい八重歯も?」


「や、やえばとは、きばのことなのです? きばとつのも、にゅーっとのびるのです!」


「それはそれは……チコちゃんたちを怒らせないように、身をつつしまなければ」


「サ、サクヤさまにきばをむくことなど、ありえないのです! それに、りゅーおーさまのごかごがあるので、サクヤさまをおまもりするためにたたかうこともないはずなのです!」


「うむ。其方たちがこの山にて戦闘形態を取る機会はなかろうな」


 と、ドラゴンが笑いを含んだ声で会話に加わってくる。姿は見えずとも、会話は筒抜けであるのだ。チコは「はいなのです!」と元気に応じながら、ワンピースに似た衣服も脱ぎ去った。


 その下はほとんど裸で、腰に下帯を巻きつけているのみとなる。衣服の上から想像できる通りの、幼子めいた愛くるしい姿だ。咲弥も負けじと、自らの下着に手をかけたが――そこで、スキュラの視線が気になった。


「えーと、スキュラさんは、やっぱり温泉を楽しまないのかな?」


「どうしてあたしが、煮えたった湯に浸からないといけないのさァ。あんたはさっさと、用事を済ませなさいなァ」


「うん。ただそういえば、初めて出会った頃に若い娘は別口だぁとか言ってたのを思い出しちゃってさぁ」


「若いじゃなくって、美しい娘だろォ? あんたも見た目だけは、なかなかのもんだからねェ」


 当初のスキュラはそんな風にのたまいながら、べたべたと咲弥にひっついてきたのである。そうしてスキュラは現在も、ねっとりとした眼差しで咲弥の下着姿を検分していたのだった。


(まあ、見られるぐらいはどうってことないか)


 ということで、咲弥は生まれたままの姿に成り果てた。

 唯一残されたのは、真紅の鱗のペンダントである。そのなめらかな表面を撫でさすりながら、咲弥は光のカーテンの向こう側に呼びかけた。


「あのさぁ、このお守りは外さないほうがいいかしらん?」


「うむ? 我がそばにある限りは、危険が及ぶ恐れはないが……その護符を遠ざけたならば、言語解析の術式も解除されることになる。その場合は、我が新たな術式を施すとしよう」


「あ、そっか。こいつは翻訳の機能もついてるんだっけ。あたしはつけたままでもかまわないんだけど、紐のレザーが傷んじゃうと思うんだよねぇ」


「その紐はサクヤの世界の品ではなく、我が錬成した蔓草であるぞ。水を弾く性質であるので、べつだん傷むことはない」


「あ、そうなんだぁ? だったら、つけたままにしておくよぉ。あたしにとっても、これは大事なペンダントだからさぁ」


「左様であるか」というドラゴンの優しい声に、咲弥は笑顔で「うん」と答えて――それから、「くしゅん」とくしゃみをした。

 さすがにこの姿では、若干以上の寒気を覚えてしまう。鍾乳洞の外は、十度前後の気温であるのだ。温泉からたちのぼる熱気だけでは、如何ともし難かった。


「温泉に飛び込みたい気持ちをぐっとこらえて、まずは掛け湯だねぇ。なるべく温泉を汚さないようにっていう配慮と、あとは体にお湯の温度を馴染ませるために、すくったお湯を体に掛けるんだよぉ」


 そのように説明しながら、咲弥はディスカウントストアで買いつけた風呂桶をつかみ取る。安物だが、雰囲気を出すための木造りだ。


 それですくった湯を足もとにかけると、魅惑的な温もりが身にしみいってくる。さらに腰から肩へと三回に分けて湯を浴びてから、咲弥はチコに風呂桶を手渡した。


「こうやって、体の低い場所から温めていくんだよぉ。気持ちよいから、お試しなっせ」


「は、はいなのです! だいじにあつかわせていただくのです!」


「あ、アトルくんはちょっと待っててねぇ。チコちゃんが終わったら、こいつを貸すから――」


 咲弥のそんな声は、「ぎゃーっ!」という雄叫びによってかき消された。

 これは間違いなく、ケイの声である。咲弥がきょとんとしていると、今度はわめき声が聞こえてきた。


「竜王! てめー、いきなり何をしやがる!」


「サクヤの説明は聞こえていたであろう? まずは、足先から温めるのだそうだ」


「それは、人間族の話だろーがよ! そ、そいつを俺に近づけるんじゃねー!」


「我々とて、半分は肉の身であるのだ。であれば、サクヤの作法に従うべきであろう」


 そんなやりとりの隙間から、アトルがきゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえてくる。

 いったいどういった状況なのだろうと咲弥が首を傾げていると、スキュラがシニカルに微笑みつつ説明してくれた。


「どうやら竜王は、また水の精霊を操ってるみたいだねェ。まったく、酔狂なやつだよォ」


 水の精霊――ドラゴンは昨日も、川の水を光る球体に閉じ込めて操作していたのだ。ふわふわと漂う球体がケイを追い回している姿を想像して、サクヤはつい笑ってしまった。


「あっちは風呂桶も必要ないみたいだねぇ。それじゃあいよいよ、お湯に浸からせていただきますかぁ」

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