68話 この装備アイテムを温めてください
特殊防衛組織『アント』と秘密裏に協力しているプレイヤーと会うことになったのは、カリナとバスケットボールの試合を見た翌日だった。
本当は試合が終わったその日のうちに会いに行きたかったが、綾瀬と明智に外せない用事があったため顔合わせすることができなかった。
綾瀬は恋愛禁止で有名なアイドルグループとの合コンに呼ばれていて、明智は日本一予約が取れない美容院に行く予定があったらしい。
『先に一人で会いに行ってもいいか?』とレキトがLINEで提案してみたところ、『えー3人でドキドキワクワクしながら行った方が楽しくね?』『私たち協力プレイしてるのに、個人プレイは良くないと思います!』と2人に反対されたので、仕方なく日を改めることにした。
『じゃあ、明日の朝11時半に綾瀬の家に集合で』
『オッケー!』
『はーい!』
レキトは2人の返信を確認して、乗り換え案内アプリで明日の電車の時間を調べる。
集合場所に綾瀬の家を選んだのは、綾瀬が持っている《ULTRA PASMO》で目的地へ瞬間移動できるからではない。
なんとなく綾瀬が寝坊して遅刻しそうな予感があったからだ。
恋愛禁止で有名なアイドルグループとの合コンで盛り上がって、遅くまで飲みすぎてシャワーも浴びずにソファで潰れている──。
そんな頭を抱えたくなるような未来が目に浮かんだ。
だから、翌日の待ち合わせ時間にインターホンを鳴らしても出なかったとき、レキトは慌てることはなかった。
むしろ事前に取った対策が機能したことに対する喜びさえ感じていた。
試しにドアノブをひねってみると、予想どおり不用心なことに鍵がかかっていない。
強めにノックしても反応がないことを確かめて、明智と目配せを交わして綾瀬の部屋に入る。
だが、綾瀬は部屋の中にはいなかった。
ベランダで寝転がってもいなければ、風呂に浸かったまま寝落ちもしていない。
明智はトイレの蓋を開けたが、当然そんなところにいるわけがなかった。
もしかしたら綾瀬は《私は何者にもなれる》を起動して、アバターを透明化したまま寝てしまったのではないだろうか?
しかし、明智と手探りで部屋中を調べ尽くしてみても、やはり綾瀬は見つからなかった。
──綾瀬の部屋は綺麗に掃除されていて、敵プレイヤーに襲われた形跡はない。
──さらに付け加えるならば、綾瀬自身が昨晩に部屋に帰ってきた痕跡も残っていない。
レキトが己の見通しの甘さに気づいたとき、綾瀬からLINEのメッセージが届いた。
『わりぃ! 昨日飲みすぎて記憶飛んだから、今日の予定ナチュラルに忘れた!』
『合コン終わりに宅飲みしてた友達ん家を片付けたらソッコーで行くから、彩花と先行っててくんね?』
綾瀬は平謝りするように、10種類以上の謝罪スタンプを連投する。
最後に土下座を自撮りした画像を送ってきた。
どうして《ULTRA PASMO》で自宅へすぐ帰れるのに、友達の家で寝泊まりしているのか?
そもそも『Fake Earth』は恋愛シミュレーションゲームではないのに、なんでNPCとの合コンに行ってるんだ?
レキトは頭を抱えながら、『後でアジトの行き方を教えるから、その方法で来てくれ』と綾瀬に返信する。
──そして綾瀬が遅刻したことで、面倒臭い問題がさらに一つ発生する。
レキトは内心ため息をついて、隣にいる明智を横目で見た。
しばらく2人きりになることがわかった途端、明智は赤くなって俯いて、口をもにょもにょと動かしていた。
明るい色のエアリーヘアは、ふんわり感が増して艶やかに潤っている。
きっと日本一予約が取れない美容院で髪質改善トリートメントでも受けたのだろう。
どうすれば急に気まずくなった空気を変えることができるのか?
レキトは目を閉じて、頭の中で会話の選択肢をいくつか思い浮かべる。
A:異性として意識していないことを伝える
B:冗談っぽく茶化してみる
C:真剣に口説いてみる
凛子と『ときめきメモリアル ~おしえてYour heart〜』を一緒にプレイしたときの記憶を振り返りながら、レキトは頭の中で最適解だと思える答えを選んだ。
「大丈夫だよ、明智。
今たまたま2人きりになったのは少女漫画みたいなシチュエーションだけど、俺は明智のことをそういう目で見たことは今まで一度もない。
少なくとも『デート前に美容院に行って張り切ってる女の子みたいだ』なんて思ってないから安心してくれ」
「……は、はぁ!?
べ、べつに私も意識してないし、そういう目で見てないって失礼だからね!
ていうか、『「デート前に美容院に行って張り切ってる女の子みたいだ」なんて思ってない』っ何!?
私のことをそういう風に思ってたから、そんな例えがスラスラ出てくるんでしょ!!」
赤面した明智が烈火の如く怒り出す。
憤怒に満ちているのか、羞恥が極まっているのか、華奢な肩がわなわなと震えていた。
2人きりで協力プレイするときに支障が出ないように親密度を上げようと思ったが、どうやら明智の評価を大幅に下げる選択肢を選んでしまったらしい。
もしかしたら綾瀬を見習って、合コンへ行って女心を学んだ方がいいかもしれない。
レキトは頭が痛くなり、気休めとしてフリスクを口の中へ放り込んた。
「……で、これからどうする?
良樹くんは先に行ってくれって言ってたけど、《ULTRA PASMO》で目的地までワープしないと、約束した時間に間に合わないんじゃないの?」
「それなら心配はいらないよ。
『アント』に協力しているプレイヤーのアジトには、綾瀬のギアがなくても5分以内に行けるからね」
「アジトが良樹くんの家から偶然近いところにあるってこと?」
「いや、俺にも詳しい場所はどこなのかはわからない。
説明するより体験した方が早いから、とりあえずついてきてくれ」
レキトは赤色のスマートフォンを手に取って、カリナからメールで教えてもらったアジトへの行き方を確認する。
にわかに信じたがいアクセス方法だったが、セキュリティーの面では最善と言えるアクセス方法でもあった。
玄関に置きっぱなしだった鍵で戸締まりして、綾瀬の部屋を明智とともに出る。
そして、RPGのパーティの隊列のように縦に並んで歩いて、徒歩5分のところにあるコンビニへ入った。
優しい音色のチャイム音が鳴り、「いらっしゃいませ」と店員の機械的な挨拶が聞こえる。
店内にレキトたち以外の客は誰ももおらず、NPCの男性店員がレジの奥で揚げ物を調理しているだけだった。
陳列棚にはお菓子類から文房具まで、それぞれの商品が同じ方向を向くように並べられている。
完璧な角度ですべて揃えられているわけではなく、他の商品より向きが若干ずれている物がランダムで混じっているところがリアルで不気味だった。
国民的アニメの声優が大学名を連呼する店内放送のCMを聞き流しながら、レキトは1000種類以上ある商品の中から目当ての物がないかを探した。
一緒にいる明智の目が気になるが、この買い物は一人で行うわけにはいかない。
「荷作り紐」を明智に渡して、「Lサイズのコンドーム」を手に取る。
真っ白なレジカウンターに2人で商品を置いたとき、礼儀正しそうな男性店員の目から光が消えた。
「ありがとうございます。
お品物が1点、2点で1310円ですね。
──お客様、コンドームはここで装備されますか?」
「ぜひお願いします。
あと装備する前にレンジで温めてもらってもいいですか?」
「かしこまりました。
温度は熱め、軽めなどのご希望はありますか?」
「熱めで。温め終えたら、おでん用のからしを満遍なく塗ってください」
「はい。少々お待ちください」
NPCの男性店員は頭を下げて、電子レンジにコンドームを入れる。
「あたため」ボタンを押して、おでん用のからしを手早く用意した。
レキトはスマートフォンを持って、電子マネーで会計を済ませる。
明智は頬を引きつらせて、ドン引きした表情でレキトと店員のやり取りを見ていた。
「明智、説明しておくが──」
「わかってるよ、レキトくん。
この買い物は協力するプレイヤーたちのアジトへ行くための合言葉みたいなものなんでしょ?」
「いや、これはギルドに行くのとは関係ない。
レンジで温めたコンドームをしかるべき所へ装備して、荷造り紐でぎゅっと固く縛る。
大事なときの前に必ずやる俺のルーティンなんだ」
「……え? えっ! ええええええ!!」
「『嘘』だよ。間に受けないでくれ。
……俺だってたまには冗談くらい言ってもいいだろう?」
レキトはため息をついて、スクエア型眼鏡をかけ直す。
真顔で冗談を言ったのが良くなかっただろうか?
それとも異性を意識しがちな明智に下ネタ度の強い冗談がNGだったのか?
さきほどの選択ミスで下がった明智の評価を挽回しようとしたが、逆効果になってしまったような気がした。
慣れないことはやるべきではない。
何もなかったかのような顔を取り繕って、カリナのメールに記されていた説明を思い出す。
──No.77《奇跡を満たす同志よ》。
──「ランダムで決められた条件に従ったアバターを使用者の元へ呼び寄せる」支援系のギア。
業務用の電子レンジはコンドームの箱を温めつづけていた。
放電する音が鳴り、黄緑色の火花が散った。
コンドームの箱に火が点いて、濃い煙が電子レンジから立ち上っていく。
残り時間の表示が爆発するまでのタイムリミットであるかのように、電子レンジがガタガタと震え出していく。
レキトは少し不安になり、《小さな番犬》がホーム画面で吠えていないことを確認する。
そして、残り時間が0秒になったとき、電子レンジは勢いよく爆発して、レキトと明智は大量の煙に呑み込まれた。
「がはっ! ごほっごほ!」
激しく咳き込みながら、レキトは靴裏に伝わる感触が柔らかくなったことに気づく。
固いセラミックタイルから踏み心地の良い厚みのあるカーペットらしき物に変わっていた。
電子レンジが爆発したと同時に、『アント』に協力しているプレイヤーがいるアジトへ転送されたのだろう。
店内放送のCMは聞こえなくなり、揚げ物を調理する油の匂いもない。
周りの煙が薄くなっていき、転送された場所が見えるようになる。
『アント』に協力しているプレイヤーのアジトは、大きな屋敷の書斎みたいな部屋だった。
目の前の三方の壁は5m級の書棚で囲まれて、何世代も前から所蔵されていそうな本がずらりと並んでいた。
豪華絢爛なシャンデリアが吊るされて、華やかな柄のカーペットが敷かれて、重厚感のある椅子がいくつも置かれている。
富裕層の会員制のクラブを彷彿とさせる雰囲気が漂っていた。
だが、書斎を利用したらしきアジトの片隅には、場違いな物が堂々と佇んでいた。
無重力マッサージチェア、大量のビール缶入りの冷蔵ケース、座る人にフィットして包み込むヨギボー……。
自堕落な生活を送っていそうなアイテムたちが優雅な空間を侵食している。
そして、目の前のソファには男性アバターと女性アバターが並んで座っていて、初対面の人を値踏みする面接官のように待ち構えていた。




