66話 桜上水中学校 VS朱烏学院中学校
「言葉が通じる」からといって、「言葉が伝わる」とは限らない。
お互いに言葉の意味が理解できていても、その言葉をどう解釈するのかは人によって異なるからだ。
例えば「ちょっと待ってて」の「ちょっと」は、「5分以内」と捉える人もいれば、「30分以内」と捉える人もいるだろう。
「普通の人がタイプ」の「普通」は、「一緒にいて安心できる人」をイメージする人もいれば、「すべての面において欠点がない人」をイメージする人もいるはずだ。
「家族」や「愛」には色んな形があるように、言葉の定義はその人の価値観によって違っている。
自分にとって当たり前だと思っていることは、誰かにとっては当たり前ではないことを忘れてはいけない。
──でも、さすがにこう『ズレる』のは想定外だ。
綾瀬の家のクッションに座ったレキトは、額に手を当ててうなだれる。
東京ディズニーランドでの連戦が終わった後、綾瀬と明智から質問攻めにあって、NPCの恋人の真紀とのデート中に起きた一連の出来事を説明したことを思い出した。
妊娠を打ち明けた真紀がトイレに行ってる間に『アント』というNPCの治安部隊がレキトを捕まえにきたこと、《遊戯革命党》と名乗るギルドが仲間にスカウトしにきたこと、彼らが全世界のNPCを機能停止にする計画を目論んでいること──。
そして、レキトは綾瀬たちに頭を下げて、「2人がいなかったら、真紀もお腹の子どもも殺されてた。ありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。
「別にたいしたことしてなくね?
ワンチャン助けられそうだったから、普通に助けただけだし」
「協力プレイは味方をフォローするのが当たり前だしね」と明智は手をひらひらと振る。
「問題はこれからどうするのか、みんなで真剣に考えないと」
「だな。とりま今日は解散にして、明日またオレん家に集まって『作戦会議』やろうぜ」
「うん、そうしよう。
レキトくんも彼女さんのとこに早く行った方がいいし。
じゃあ、一晩どうしたらいいか考えて、各々プランを持ち寄る感じにしよっか」
明智は綾瀬の提案にうなずき、3人のグループLINEのノートを作成する。
『明日10時に良樹くんの家に集合!』という投稿が送られた1秒後、すぐに綾瀬が「いいね」をつけた通知が届いた。
1人ならどうにもならないことも、2人がいればどうにかなりそうな気がしてくる。
レキトは口元を緩めて、明智の投稿に「いいね」をつけた。
あのとき綾瀬と明智が話していた『作戦会議』は、「《遊戯革命党》の全世界のNPCを機能停止にする計画を止めるための会議」だと思っていた。
もし《同類を浮き彫りにする病》のウィルスが世界中にばら撒かれれば、70億以上のアバターは事実上死ぬことになる。
彼らの計画を阻止できるのは、それを知るレキトたちしかいない。
全員で真剣に考えなければいけないことは、それ以外にないと思い込んでいた。
だが、作戦会議の当日、綾瀬の家のテーブルには「色んな店の菓子折り」が置かれていた。
老舗の和菓子から流行りの洋菓子まで品揃えが豊富で、会議中の息抜きで食べるには多すぎる量。
悩ましげな顔をした綾瀬は首を傾げながら、口の中に放り込んだ最中をもごもごさせていた。
明智はチョコクッキーを食べた後、指がべたついていないかを確認している。
──これから戦う予定の《遊戯革命党》に菓子折りを持っていくわけがない。
──消去法で考えて、菓子折りを持っていく候補先は1つ。
レキトは赤色のスマートフォンを手に取って、綾瀬と明智とのLINEを見返すことにした。
3人のグループLINEの名前が、いつの間にか『義両親めちゃウケ☆手土産研究会!!』に変わっている。
今日の作戦会議は、「《遊戯革命党》の計画を阻止する方法」を議論するのではなく、「レキトが妊娠した恋人の両親へ挨拶するときに渡す手土産」について話し合うようだった。
「彩花、この『切腹最中』アリじゃね?
マジうまいし、お詫びの品として定番じゃん」
「えーどうだろう?
妊娠って喜ばしいことだと思うし。
どら焼きみたいに、2つの皮が合わさるから『家庭円満』的な縁起いい物の方がいいんじゃないかな?」
「そっか、縁起か〜!
でも、それなら最中も皮が合わさってるし、やっぱ『切腹最中』で良くね?」
「ちょっと、なんで『切腹最中』を推すの?
お詫びの品は良くないって言ったでしょ?
ていうか、切腹って妊娠した彼女さんのお腹を切るみたいで、印象最悪だからね!」
明智はツッコミを入れて、腹を不安そうにさする。
「うわマジじゃん!」と綾瀬は目を丸くして、両手で頭を抱えて髪をくしゃっとさせた。
頭を抱えたいのはこっちだ、とレキトは内心ため息をつく。
全世界のNPCを機能停止にする計画が1ヶ月を切っている今、こんな悠長なことをしている余裕はとてもない。
この世界の家族や恋人の命がかかっていると思うと、不安とともに焦りが募っていく。
もし2人に義両親への手土産選びの話は中断して、《遊戯革命党》の計画を止める方法を話し合うことを提案したらどうなるか?
きっと綾瀬は楽しいことを優先したがるから、小難しい話は露骨に嫌がるだろう。
明智は変な誤解をしがちだから、「妊娠した恋人のことはどうでもいいってこと?」と怒りだすはずだ。
多数決を取ったところで、1対2で否決される未来は目に見えている。
もはやレキトも手土産選びに参戦した方が、効率的にいいかもしれない。
──今ここで電話が鳴ってくれれば、話を上手く変えられるんだが。
レキトは赤色のスマートフォンの画面を見る。
《小さな番犬》がホーム画面でスケボーに乗っていて、難易度の高い360フリップを格好良く決めていた。
画面左下にある「電話」のアイコンには、不在着信の通知は1件も届いていない。
昨日レキトが提案した同盟について、特殊防衛組織『アント』から回答の連絡はまだ来ていなかった。
【君の提案はわかった。
ただ、大変申し訳ないが、それは私の一存で決められないことだ】
【少し時間をくれ。
幹部に連絡して、緊急会議を開く。
結論が出次第、君のスマホに電話させてもらうよ】
司令官の門松と交渉したことを思い返す。
レキトは断られる前提で話を展開させようと考えていたが、意外にも門松はレキトたちと同盟を組むことを「保留」とした。
おまけに、徒党を組んだプレイヤーたちが世界中の人たちを虐殺することを目論んでいる──嘘みたいな突拍子もない話を疑っている様子もなかった。
ただ、前代未聞の大事件が企てられているにもかかわらず、門松はレキトから情報を詳しく聞き出すこともしなかった。
息を呑んだり声が上ずったりするようなリアクションもなく、レキトの信じがたい話に淡々と応じていた。
門松の態度は、まるで──。
ある仮説が頭に浮かんだとき、目の前に大福とマカロンが置かれた。
レキトがスマホ画面から顔を上げると、優しい目をした綾瀬と明智が微笑みを浮かべている。
どうやらレキトが考え事をしていることについて、綾瀬と明智は「彼女の親に会うことに緊張しすぎてナイーブになっている」と勘違いしているようだった。
「……気持ちは嬉しいけど、思い違いだ。
俺はべつに悩んでなんか──」
「カッコつけんなって、レキト。
オレたち仲間なんだから、つまんない嘘なんかつくなよ」
「いや、だからそうじゃなくて──」
「無理しなくていいよ。
私たちが全力でサポートするから。
今はおいしい物食べて元気出して」
ダメだ。
2人とも言葉を素直に受け取ってくれない。
レキトは言い返すのをやめて、綾瀬と明智の誤解を解くことを諦める。
勧められた物を断るのは悪い気がして、小ぶりな豆大福を一口かじることにした。
柔らかい餅は伸びが良くて、赤えんどう豆の塩気と餡の甘さの調和が絶妙でうまい。
糖分を補給した脳がスッキリして、自然と笑みがこぼれる。
口で味わった豆大福を飲み込んだとき、ふと焦りが募るときほど落ち着かなければいけない気がした。
どうして急な考えが頭に浮かんだのかはわからない。
ただ、さっきまで頭の中で渦巻いていたノイズのようなものが消えた感覚があった。
レキトは豆大福をもう一口かじった。
回復アイテムを使ったかのように、気力が湧いてくる。
──もしかして綾瀬と明智は一息つかせたくて、誤解している芝居を打っていたのではないだろうか?
レキトは2人を見つめる。
言葉で教えるよりも実感させた方が、相手に伝えたいことは伝えられる。
明智は策を講じるのが得意だし、綾瀬は意外と演じることが上手いような気がした。
一方で好意的に解釈しているだけで、まったくの偶然であるような気もした。
どちらが「真実」なのか、レキトにはどうでもよかった。
2人がいてくれたおかげで、自分1人では気づけなかったことに気づけた──。
それこそが紛れもない「真実」だからだ。
「そういえばレキトくん、昨日あの後彼女さんとどうなったの?」
「たしかに。ぶっちゃけ気になってたよな」
「ああ、それについてなんけど……」
レキトが話そうとしたとき、赤色のスマートフォンが着信音を鳴らした。
「非通知設定」と発信者の名前が表示される。
レキトは綾瀬たちに目配せして、応答マークをタップした。
2人に話が聞こえるように、スピーカーをオンにする。
『特殊防衛組織「アント」司令官の門松だ。
君の提案について、いま話してもいいか?』
業務連絡を無線で報告するようなトーンで、門松は電話越しに問いかけた。
○
声の大きさを競い合うかのように、両校の女子生徒たちはかけ声を上げてウォーミングアップに取り組んでいた。
オレンジ色のバスケットボールが弾んで、大勢のシューズが室内のコートの床をキュッと鳴らす音が響く。
真っ白なTシャツのチームは、走りながらゴール下でシュートを打つ練習を行った。
紺色のTシャツのチームは、素早いパス回しの練習をしている。
サブアリーナ2階の観客席には、両校の選手の保護者らしき人や同級生らしき人が座っていた。
200席以上あるおかげか、まだ空席には余裕がある。
到着したばかりのレキトは奥の方へ進み、応援に来たNPCたちから離れた席に一人で座った。
観客席をざっと見渡すかぎり、待ち合わせしている人物はまだ来てないらしい。
──冬の全国大会の出場を賭けた、Jr.ウィンターカップ東京予選決勝の舞台。
──「桜上水中学校 VS朱烏学院中学校」の試合会場。
司令官の門松から電話がかかってきた翌日の午後14時、レキトは「武蔵野の森総合スポーツプラザ」に呼び出されていた。
【君たちと協力するかどうか、幹部内で話し合った結果、代表が直接面会して判断することに一任することになった】
【我々が指定する日時と場所に、仲間を連れて来ないで君一人で来てくれ】
レキトは門松との電話を思い出し、口の中へライムミント味のフリスクを一粒放り込む。
なぜ特殊防衛組織『アント』のトップに立つ者が、この世界でテロリスト扱いされているプレイヤーに会いに来るのか?
女子中学バスケ部の大会を会う場所に選んだ理由もわからなかった。
罠である可能性を疑ったが、NPCの治安を守る組織が彼らを危険に巻き込むようなことをするとは思えない。
レキトはロック画面の時刻を見て、約束の5分前であることを確認する。
奥歯でフリスクをガリッと噛み砕いたとき、試合会場の空気が変わるのを感じた。
ここアリーナ一帯にマイナスイオンが発生して、木漏れ日の明るい森の静けさが訪れたような変化。
大勢のシューズがキュッと鳴る音が一瞬止んで、コートにいる選手たちが2階の観客席の出入り口の方を見上げた。
レキトは武者震いを感じて、たったいま待ち合わせた人物がやって来たことを確信する。
真っ黒なロングコート姿の女性がT字杖をついて歩いてきた。
欧米人らしき見た目で、年齢は20歳前後。
プラチナブロンドの髪は長く、灰色の大きな目は思慮深そうな印象を与える。
彼女が一礼して前を通るとき、観客席に座ったNPCたちは一様に居住まいを正した。
試合会場に来たときに視線を集めたことといい、自然と振る舞うだけで人を魅了するカリスマ性みたいなものがあるらしい。
杖をついた女性はレキトの前で立ち止まり、口元に微笑みを浮かべて会釈した。
「遊津暦斗さんですね?
『アント』代表のカリナ・オリベイラです。
今日は遠いところありがとうございます」
隣失礼しますね、とカリナはレキトの左の席に座る。
遠目には背が高く見えたが、改めて近くで見ると、彼女はレキトと同じくらい身長だった。
レキトはスマートフォンを操作して、念のため《小さな番犬》が警戒していないかどうかを確かめる。
昨日に引き続き《小さな番犬》はスケボーで遊んでいて、空中1080度回転を見事に成功させるまで上達していた。
「どうしてここに呼んだんですか?
都心から離れたこんな場所に」
「好きなんですよ。学生の試合を観るのが。
青春の熱みたいなものを体験できて、私も頑張らなきゃって元気をもらえるんです」
「……本当の理由はそれだけではないですよね?」
「ご明察です。
どうしても見てほしいものがありまして、この場所に来てもらいました」
何を見せたいのかを尋ねようとしたとき、コート横に設置された電子スコアボードからブザー音が鳴った。
ウォーミングアップ終了の合図。
両校の部員たちはボールをキャスター付きのカゴにしまって、それぞれのベンチへ駆け足で戻っていく。
桜上水中学校のチームは部員たちでミーティングを行い、朱烏学院中学校のチームは監督が作戦ボードで戦術を伝えた。
スターティングメンバーに選ばれた部員たちはTシャツを脱いで、ノースリーブのユニフォーム姿に変わる。
「遊津さん、よかったら1つゲームをしませんか?」
「ゲーム? この試合の勝敗の予想とかですか?」
「いえ、予想がかぶるかもしれませんので、それはやめましょう。
『水平思考クイズ』っていうのはご存知ですか?」
「一見不可解な謎に対して、出題者に『はい』か『いいえ』で答えられる質問を何度か投げかけ、真相を導き出す。
ウミガメのスープの問題で有名な推理ゲームですよね?」
「その通りです。
どうして私があなたと会う場所にここを選んだのか?
正解を答えられたらあなたの勝ちで、答えられなかったら私の勝ち。
ただし、『質問できるのは5回まで』、『解答権は1回のみ』という条件でどうでしょう?」
挑発するように目を細めて、カリナはレキトを見つめる。
あからさまに何か企んでいそうな表情をしていた。
悪い顔が様になっていることに、思わずレキトの警戒心は緩んでしまいそうになる。
「人たらし」という言葉が脳裏をかすめた。
──この推理ゲームをクリアできるかどうかで、特殊防衛組織『アント』は協力プレイの可否を判断するのかもしれない。
レキトはスクエア型眼鏡をかけ直す。
通常の水平思考クイズと違って、カリナが出した謎は設問にある単語の捉え方を変えれば解けるタイプではない。
初めてあって間もない人の考えを言い当てるのは、かなりの難易度だ。
おまけに質問回数も限られている以上、質問する前に答えを絞り込んでおく必要がある。
はっきり言って、相手に解かせる気のない「悪問」だ。
けれども、『Fake Earth』をプレイしてから今まで、不可能としか思えない状況をいくつも乗り越えてきた。
水平思考クイズを解くように、世界の見方をわずかに変えれば、「不可能」は「可能」に変えられる。
そして、この先《遊戯革命党》の計画を阻止するためにも、凛子を現実世界へ連れて帰るためにも、より不可能だと思えることを成し遂げられるようにならなければいけない。
この程度のミニゲームをクリアできなければ、プレイヤーとしての未来はないような気がした。
「いいですよ。やりましょう。
ところで制限時間ってありますか?」
「じっくり試合を観ながらやりたいので、第3クォーター終了まではどうでしょうか?
だいたい30分くらいですし」
「わかりました。
では、試合が始まったら、最初の質問をしますね」
レキトは試合会場のサブアリーナを見渡す。
頭に虫眼鏡のアイコンを思い浮かべて、答えの手がかりになりそうなものがないかを探した。
大量の毛束がついたモップ、移動式のバスケットゴール、『念ずれば花ひらく』とスローガンが書かれた横断幕。
注視してみても、この場所自体に引っかかりを感じるものはない。
ということは、つまり──。
頭に思い浮かべた虫眼鏡のアイコンを消して、レキトはカリナに最初の質問で訊くことを決める。
両校のミーティングが終わり、それぞれの選手たちがコートに入った。
センターラインを挟むように向かい合って、審判が笛を鳴らすと、「お願いします!」と全員が一礼した。
桜上水中学校の選手たちは、ジャンプボールに挑む選手に気合いを入れるように、彼女の背中を軽く叩いていく。
朱烏学院中学校の選手たちは、1点も取らせないことを宣言するように、マッチアップする相手の選手を指差していく。
そして、審判がバスケットボールをついて、ジャンプボールに挑む選手たちのいるセンターサークル内に入った。
空中に向かって、片手でバスケットボールを高く上げる。
両校で一番背の高い選手たちは真上へ跳んだ。
目の前の相手よりボールへ一瞬でも早く到達しようと手を伸ばす。
「1つ目の質問です。
──この決勝戦、2日前のディズニーランドでの戦いと何かしら関係がありますよね?」
少女たちの試合が始まったとき、レキトは隣にいるカリナに問いかけた。




