64話 俺は断じてドMじゃない
(視点人物)
プレイヤー名「遊津暦斗」(レキト)
「……レキトくん、どうしてもダメかな?
なんていうか私、こういうの気が進まなくて」
「……何をためらってるんだ……明智。
……状況が状況なんだから……早く済ませなければいけないことは……わかってるだろう?」
「……それはそうだけど。
まだ心の準備ができなくて。
その、レキトには言ったと思うけど、今までそういう機会がなくて、初めてだし」
「……気持ちはわかるけど……俺も限界に近いんだ。
……軽くこする程度で……構わないから頼む」
「あ〜もうやればいいんでしょ!
ていうか、『軽くこする』とか変な言い方しないでよね!
まったく!」
赤面した明智は声を荒げて、猫っ毛をくしゃくしゃ掻きむしる。
地面に倒れているレキトを睨みつける目は、やや涙目になっていた。
明智は後ろを振り返って、噴水の前で寝ている綾瀬と暁星を見る。
深いため息をついて、口をもにょもにょと動かした。
「……あんまりジロジロ見ないようにしてね。
──《悪戯好きな天使の鞭》」
明智はギア名をつぶやいて、親指でスマホ画面をタップする。
そして、眩く光ったスマホ画面を胸に当てると、首から下のアバターが真っ白な光に包まれた。
少女向けアニメの変身シーンのように、明智の装備していた服が純白のドレスに変わり、天使の羽の形をした装身具が背中に付けられる。
端末上部のイヤホンジャックから緋色の光線が飛び出して、螺旋を描きながら光の鞭を形づくった。
No.103 《悪戯好きな天使の鞭》。
明智が5つ持っているギアの1つは、「光の鞭で自分以外のアバターを叩けば、攻撃した部位の傷を治すことができる」回復系のギアだった。
ドレス姿に変わった明智は俯いて、「な、なんで無駄に変身するのよ」ともじもじしている。
そして、羞恥に耐えるような表情で、光の鞭をレキトに振り下ろした。
緋色の光の鞭に右腕を叩かれた瞬間、レキトは電流が走ったような痛みを感じた。
思わず顔をしかめると、すぐに叩かれた右腕がじんわりと温かくなった。
痛みがスーッと引いていき、暁星のギアの剣で刺された傷が癒えていく。
皮膚は細胞が活性化したように再生して、右腕の傷は一回り小さくなった。
シアン色の血で染まったレキトのアバターには、10本近くの剣が突き刺さっている。
うつ伏せに倒れているレキトは歯を食いしばって、横向きになって腹や足に刺さった剣を引っこ抜いた。
明智に光の鞭で傷口を叩いてもらい、重傷を負ったアバターを少しずつ回復させていく。
「……明智、頼みがある。
……その鞭で……もっと強く叩いてくれないか?」
「はぁ!? 急に何を言い出すのよ、レキトくん?
そんなドサクサに紛れて、自分の性癖を満たそうとしないで!」
「……違う。……《悪戯好きな天使の鞭》は……叩いた強さが大きい分……回復量も大きくなる……って明智が言ってたから……お願いしてるんだ。
……人のことを……変態扱いしないでくれ。
……俺は断じて……ドMじゃない」
レキトは語気を強めて、明智の誤解を否定した。
明智は赤くなった顔を強張らせて、「ドMとか下ネタ言わないで!」と光の鞭でレキトを強く叩く。
激痛を感じた直後、心地よい温かさに包まれて、光の鞭で打たれた左足の傷は二回り小さくなった。
「思ったとおりだ」と微笑むと、明智はじとっとした目でレキトを見ている。
それから嫌そうな顔をした明智に光の鞭で5分間強く叩かれつづけて、全身の傷が塞がったレキトは立ち上がれるようになった。
「ありがとう、明智。おかげで回復が早まった」
「……どういたしまして。
で、そこで戦闘不能になってる人たちは誰かな?
どうも見た感じ、私と良樹くんが戦ったプレイヤーの仲間じゃなさそうだけど」
明智は首を傾げて、光の鞭で広場の中央を指す。
7人の男女のアバターがシアン色の血を流して倒れていた。
プレイヤーであるレキトを逮捕しにきたNPCの治安部隊、特殊防衛組織『アント』。
交戦したレキトは加減して攻撃したため、今生きている6人の隊員は時間が経てば意識を取り戻すだろう。
だが、恋人の真紀を命がけで守ってくれた、第4隊隊長の八重樫が目覚めることは二度とない。
暁星のギアの攻撃を代わりに受けた彼のアバターには、18本の黒い剣が全身に突き刺さっていた。
そのうち1本が背中から胸を貫いており、開いたままの八重樫の目から光が消えている。
明智によれば、《悪戯好きな天使の鞭》は傷を治すことができても、死んだアバターを蘇生することはできない。
青白くなった八重樫の左手の薬指には、指輪をつけていた跡が残っていた。
── ふう……間に合って……よかった。
レキトは真紀を助けたときの八重樫の姿を思い出す。
18本の剣に串刺しにされた八重樫は苦しそうに顔を歪めていた。
けれども、後ろにいる真紀の無事に安堵した声は、リラックスしているかのように穏やかだった。
そして、死んだことを悟られないように、立ったまま静かに息を引き取り、精一杯の虚勢を最期まで通した。
プレイヤーの自分が弱いせいで、誰かにとって大切な人が戦いに巻き込まれて犠牲になる。
NPCの両親が殺された日、同じ悲劇が二度と起きないように、レキトはもっと強くなることを心に誓った。
あのときから約1ヶ月、レキトは視覚以外の感覚を鍛えて、大きくレベルアップした実感があった。
そして、山手線バトルロイヤルで明智や綾瀬との対戦を経て、今までにない強さを手に入れることができた成長の喜びを感じていた。
しかし、今日ここで体験したことは、1ヶ月前に自宅で体験したこととほとんど変わらない。
暁星に負けたせいで、心配して駆けつけた真紀が危険な目に遭い、彼女を助けた八重樫が命を落とす。
真紀とお腹の子どもが安全な場所へ避難できたが、運良く綾瀬と明智がディズニーランドへ遊びに来ていたおかげだ。
事実上レキトは何もできておらず、むしろ災いを招いた原因でしかない。
目の前の人たちの日常を守ることすらできていないのに、ゲームマスターを倒して凛子と一緒にゲームセンターで遊ぶ日常を取り戻すことができるのか?
レキトは片手をポケットに突っ込み、ライムミント味のフリスクケースを揺らした。
そのままポケットに突っ込んだ手でフリスクケースを握りしめる。
プレイヤーとして弱すぎる自分が殺してしまいたいくらい憎かった。
「……そのNPCたちは俺たちプレイヤーの敵だよ。
詳しいことは後で話すから気にしなくていい。
今は揺すっても起きない綾瀬が目覚めるまで、暁星と一緒に運んで身を隠せる場所に早く移動しよう」
レキトは八重樫から目を逸らして、ディズニーランドの地図をスマートフォンで調べた。
心臓をガリガリと引っ掻かれるような痛みを感じたが、目の前のスマホ画面に表示されたマップを見ることに集中する。
《遊戯革命党》の暁星はレキトと戦った後、傷ついたレキトを治療するために仲間を電話で呼んでいた。
空間移動系のギアで来るのか、近くにいるのかはわからないが、この噴水のある広場へ来るまで長くかからないだろう。
また特殊防衛組織『アント』第四隊が全滅したことで、ほかの部隊が増援にすぐ駆けつけてきてもおかしくない。
だが、明智は綾瀬の方に向かわず、殺された八重樫に近づいた。
血塗れになったアバターに一礼して、背中に突き刺さった剣を引き抜いた。
そして、緋色の光の鞭で軽く叩いて、生き返ることのないアバターの傷を塞ぐ。
「何をやってるんだ、明智?
早く移動しようって言っただろう?」
「うん、わかってるよ。
私もすぐここから離れた方がいいと思う。
でも、レキトくん、自分に嘘をついてるでしょ?」
「いや嘘なんかついてない。
どうしてそう思ったのかわからないけど、それは誤解だ」
「じゃあ、なんでレキトくんはそんな悲しそうな顔をしてるの?」
明智は静かに問いかけて、彼女のスマホ画面をレキトに見せる。
明智のスマートフォンはインカメラが起動されていて、レキトの顔がスマホ画面に映っていた。
思わず顔が強張ってしまうくらい暗い目をしている。
明智はにこりと笑って、電源ボタンを押してスマホ画面を消灯した。
「レキトくん、私たちはプレイヤーであるかぎり、この世界で体験したことを忘れない。
とくに悲しい記憶や辛い記憶は、同じことを繰り返さないように、胸に強く刻まれるの。
だから、悲しいと思うことがあったら、まずは自分の気持ちを軽くすることを優先してあげて。
心の傷は私のギアでも治せないし、時間が経つと治らなくなることもあるからさ」
ほら一緒にやろうよ、と明智はレキトを手招きする。
判断に迷ったレキトが動けずにいると、光の鞭をレキトの手首に巻きつけて引っ張った。
レキトは八重樫の死に顔を見つめて、激しく損傷したアバターに突き刺さった剣をゆっくり抜く。
それから2人で協力して、八重樫の傷を1つずつ治していく。
正直に言うと、レキトが明智に付き合ったのは、彼女の言葉に胸を打たれたからではない。
「明智を止めるために説得する時間」よりも「言われたとおりに行動する時間」の方が手短に済むと考えただけだ。
これは気休めであり、ただの自己満足。
全身の傷を綺麗に治したところで、八重樫が死んでしまった事実を消すことはできない。
ただ、傷ひとつなくなった八重樫に黙祷を捧げたとき、自分自身への憎しみがほんの少しだけ和らいだような気がした。
「もしもし燈さん? いま広場に着いた。
うん、やっぱリーダーはやられてる。
綾瀬くんも隣で寝てるから、燈さんの予想どおり、たぶん《迷える羊の子守唄》の録音で眠らされたって感じだな」
広場に人が来る気配を感じなかったのに、後ろから通話している男性アバターの声が聞こえる。
慌てて振り返ると、派手に髪を赤く染めた男性アバターが暁星のそばでハンズフリーで通話していた。
12月の気温の低い日にコートなしの格好で、少し寒そうに自分の腕をさすっている。
暁星がギルドの紹介をしたときに見せてくれた、《遊戯革命党》の集合写真に写っていたメンバーの1人だった。
──全世界のNPCを機能停止にする計画の全貌を詳しく聞き出すまで、暁星を仲間に取り戻されるわけにはいかない。
レキトは明智とホームボタンを連打して、レーザー光線より短い光の弾を連射した。
簡単に避けることができないように、相手の両サイドにも散らして撃つ。
だが、20発近くある光の弾は命中する前に、灰緑色の光の弾ですべて撃ち落とされた。
3色の光の残滓が輝きながら漂う中、赤髪の男性プレイヤーは端末上部のイヤホンジャックに息を吹きかける。
「悪いな、ルーキー。
遊んでやりたいところだが、うちのメンバーがリーダーを心配してるんでね。
今日はすぐ帰らせてもらうよ」
燈さんギアを起動してくれ、と男性プレイヤーは電話している相手に指示を出す。
《小さな番犬》が激しく吠えて、赤色のスマートフォンが振動した。
レキトは明智と後ろへ飛び退いて、男性プレイヤーから距離を取る。
左手の親指でホームボタンを長押しして、右手の人差し指をスクエア型眼鏡の縁にかけた。
だが、レキトが身構えていても、ギアによる変化らしきことは何も起きない。
明智とアイコンタクトに送ると、怪訝そうな顔をした彼女のアバターにも異変はないようだった。
男性プレイヤーも目をパチパチと瞬かせていて、口元に浮かべていた笑みがすうっと消えていく。
「あれ? もしもし燈さん?
戻る準備ができたから、いつものギアを使ってほしいんだけど」
「……え? 豆田のくせに、なんかイキっててウザい?
リーダーおぶって徒歩で帰ってこい?」
「いやいや舞浜からアジトまで遠いし、活きのいいルーキー2人も相手にするのは無理だって。
……あっ、ちょっと! お願い待って! 謝るから電話を切らないで!
燈さん? 燈さぁぁぁん!?」
豆田は必死な形相で叫んで、通話が終わったらしいスマホ画面を呆然と見つめる。
そして、急に血の気が引いた顔になり、唇をあばばばと震わせた。
レキトたちの油断を誘うために、わざとパニックになっている演技をしているようには見えない。
しかし、《小さな番犬》の吠える声は大きくなり、握ったスマートフォンの振動はさらに強くなる。
──《遊戯革命党》の豆田から敵意を感じなければ、燈というプレイヤーがギアを使った様子もない。
──だとしたら、《小さな番犬》は「何」を危険だと察知しているんだ?
嫌な予感がしたレキトは明智を横に突き飛ばして、急いで体勢を低くして斜めに転がる。
次の瞬間、「何か」がレキトたちの頭上をとてつもない速さで通り過ぎた音が聞こえた。
それはガストン像の噴水の水場に着弾したらしく、鋭い水飛沫がバシャンと上がる。
揺れた水面に広がる波紋が収まるとともに、真鍮の銃弾が水場に浮かび上がった。
「……銃弾? レキトくん、これってもしかして」
「ああ、プレイヤーの攻撃じゃない。
間違いなく奴らの仲間だ」
レキトはスクエア型眼鏡をかけ直す。
6人の男女のアバターが二手に分かれて、左右の入り口から広場へ駆けつけてきた。
全員がボディアーマーを装備して、シールド付きのヘルメットをかぶっている。
銃弾が飛んできた方向へ目を向けると、数十メートル先の城の尖塔の上に狙撃手らしき人影が見えた。
明智は親指でスマホ画面を叩いて、《悪戯好きな天使の鞭》を解除した。
純白のドレス姿から元の服装に戻り、密閉型のヘッドホンを頭に装備する。
《遊戯革命党》の豆田は泣きそうな顔で電話をかけ直して、「燈さぁぁぁん! 電話に出るだけでいいから出てぇぇぇ!」と縋るように呼びかけている。
「佐久間8番隊6名、現場に到着しました。
八重樫4番隊、全滅を確認。
ヒューテックの数は5体、そのうち2体は活動停止状態。
──罪状『精神憑依罪』により、拘束の手続きに移ります」
特殊防衛組織『アント』の隊長らしき女性はインカムで報告して、両腕を交差させて手錠とスマートフォンを構えた。




