46話 世界の変化するスピードが加速しているように
アーカイブ社のチュートリアル、カブトムシの武士丸(社歴5年目)視点。
【ゲーム世界 :『Fake Earth』】
コードネーム=カブトムシの武士丸(Bushimaru)
チュートリアルで担当するプレイヤーが、どういう人生を歩んできたのか。
ゲーム事業部スカウト係から送られた資料は、一切読まないようにしている。
社会的な地位やゲームへの参加動機から「適正なプレイスタイル」が見えることはあるが、その適正なプレイスタイルに最適化したチュートリアルをすることは、プレイヤーの可能性を狭めてしまうリスクのほうが高いからだ。
操作するアバターの性別や年齢が現実世界の頃と変わったことによって、資料から想像できない一面を見せるプレイヤーも少なくない。
選ばれたプレイヤーの潜在能力を十二分に引き出すためには、どんな環境の変化にも左右されない、そのプレイヤーの「本質」を見定めることが大事だと思っている。
カブトムシの武士丸はチュートリアルを行うとき、担当するプレイヤーの指導方針を「最初に何を質問するか」で判断することにしていた。
話す言葉の早さや口調は無視して、質問の内容だけで見定めることにしていた。
最低限のルール説明を受けて、何をもっとも知りたいのか、疑問はそのプレイヤーの本質が表れている。
どこに着眼点を置いているかによって、そのプレイヤーが目指すべきプレイタイルが見えてくる。
「うーん、急に質問あるかって言われても、とくにないんだけど。
要はゲームマスターを見つけて倒せばいいことはわかってるし。
細かいことはプレイしとけば雰囲気で察するから、そんなことより今しかできないことをやろうぜ」
極東エリアで担当するプレイヤー、綾瀬良樹は自宅で丸めたファッション誌をまっすぐに伸ばそうとしていた。
そのファッション雑誌は、高輪のマンションの窓から飛んで入ってきた武士丸を大きなゴキブリと見間違えて、本気で殺そうと振り回していた物だった。
物凄い速さで叩き潰そうとしてくるので、武士丸は避けることに精一杯で、チュートリアルであることを伝える余裕すらなかった。
5分間必死に逃げ回った末に、冷蔵庫の下の隙間へ避難して、ようやく自分の正体を明かすことができた。
「チュートリアルで今しかできないこと──『模擬戦』で戦闘経験を積みたい、ということか。
それなら、どういうシチュエーションでやりたいのか、敵プレイヤーの人数や場所の希望を教えてくれ」
「いやいや! この先プレイヤーといくらでも戦えるから、そんなこと一番どうでもよくね?
今しかできないことって、ブッシーと語り合うことに決まってるじゃん。
チュートリアルは24時間だけなんだから、楽しくやらないともったいないって」
綾瀬は折り畳みテーブルを広げた。
冷蔵庫から缶ビールとつまみを持ってきて、紙の皿やウェットティッシュも用意する。
「カブトムシと飲むのは初めてだな」と缶ビールのプルタブを開けて、武士丸が飲みやすいようにタピオカ用のストローを差した。
「……本当に飲むだけでいいのか?
明日後悔することになっても、もう遅いんだぞ」
「全然いいんだけど。
今日後悔するようなことはしたくないし。
まあ、ブッシーが気にするなら、微妙に気になったことを1個だけ訊くよ」
綾瀬はスマートフォンを手に取った。
親指でホーム画面をスワイプして、虹色に染まった少女のアイコンを指さす。
「ぶっちゃけログインボーナスのギアって、ゲーム序盤のプレイヤーの気分で決まる感じ?
『このダサいアバターを変えたい』って萎えてたら、『自分の色を変えるギア』が手に入ったから、運営が気を遣ってくれたのかなって思ってさ」
虹色に染まった少女のアイコンを叩いて、綾瀬は《私は何者にもなれる》を起動した。
手首につけたバングルをスマホカメラで撮り、続けて自分の髪をインカメラで撮影する。
「これ、現実でも実用化してほしいな」と笑って、自分の髪の色をバングルと同じ銀色に変えた。
武士丸は口を閉ざして、感情が顔に出ないように努める。
担当するプレイヤーに余計な不安を与えないように、動揺したところを見られたくなった。
綾瀬から質問を引き出せてよかったと心の中で思った。
──『Fake Earth』のログインボーナスで手に入れるギアはランダムで決まる。
──それにもかかわらず、新人プレイヤーの8割近くが、彼らにとって相性が一番いいと思えるギアを引いている。
「いい質問だ、綾瀬。
だが、ログインボーナスのギアはプレイヤーの気分で決まるわけじゃない。
純粋な運で決まるんだ」
「えっ!? じゃあ、このギアは運命だってことじゃん! 『Fake Earth』、マジで神ゲーだな!
運営とも酒が飲めるし最高すぎだろ!」
綾瀬は缶ビールを手に取って、武士丸の方に近づけた。
人懐っこい笑顔。
今日初めて会ったばかりなのに、昔からの友人みたいに思えてくる。
武士丸は後ろ足で立ち上がり、缶ビールを前足で持ち上げた。
お互いに缶ビールを傾けて、優しくコツンとぶつけた音を鳴らす。
この後、酒をめちゃくちゃ飲んだせいで、泥酔した武士丸は帰ることができず、チュートリアルの時間を予定より大幅にオーバーすることになった。
──ストリィィィン!
山の手線内回りの電車が速度を上げる中、綾瀬は遊津を対プレイヤー用ナイフで斬った。
左肩から右腰にかけて、素早く振り抜いた。
鮮やかなピンク色の光が直線の軌道を描く。
芸術的な美しさすら感じさせる、端から端まで歪みのない完璧な直線だった。
10両目の屋根にいる遊津は、斬られたアバターを呆然と見下ろしている。
ブリキバケツに入ったペンキをかけられたように、真っ黒なパーカーはシアン色に染まっていた。
電車が加速するにつれて、車両の揺れは大きくなっていく。
後ろへ下がろうとした遊津は足がふらつき、最後尾11両目の屋根の左端へよろめいていく。
左足を屋根から踏み外した瞬間、遊津は真っ暗な線路の方へ勢いよく傾いた。
真下へ左足が一気に下がり、アバターは仰向けの体勢になった。
山手線の車両の高さは約2メートル。
傷口からシアン色の血が流れ落ちて、線路に衝突した血の滴がグチャリと潰れた形になる。
だが、遊津の右足のかかとが浮いたとき、線路を走っていた電車はカーブに突入した。
「く」の字を反転させたようなカーブ。
電車へ遠心力が右方向に作用する。
屋根に右足のつま先が乗っていた遊津も右方向へ強く引っ張られる。
そして、線路へ落ちる間際から押し戻されて、遊津は屋根の中央へうつ伏せに倒れた。
「……非常に危ないところでしたね。
あのまま線路に落下していたら、遊津さんはほぼ確実にゲームオーバーになっていたでしょう。……ただ──」
「『彼にとって、実は線路に落ちたほうがよかったかもしれない』でしょ、キャロルさん?
ほぼ確実にゲームオーバーになったと言っても、遊津君は1%くらい生き残る可能性があったからね。
けど、電車の屋根に戻った今、綾瀬君は間違いなくとどめを刺す。
──遊津君が生き残る可能性は0%に等しいよ」
インコのピー姫は翼を丸めて、頬杖をつくようなポーズを取っていた。
3Dホログラムに映る遊津が倒れている様子を眺めている。
うつ伏せになったアバターから、シアン色の血は流れつづけていた。
電車の屋根に倒れた拍子に、遊津は手からスマートフォンを落としていた。
赤色のスマートフォンは左手の15cm先に転がっている。
左手を前へ伸ばせば届くだろう。
しかし、苦しそうに呼吸している遊津はスマートフォンを拾えそうにもない。
綾瀬は電源ボタンを押して、対プレイヤー用ナイフを解除した。
光り輝いていた刃は先端から砕けていく。
鮮やかなピンク色の光の残滓が夜空に漂う。
綾瀬は「レーザー銃のアイコン」をタップして、「《対プレイヤー用レーザー》」とつぶやいた。
両手でスマートフォンを持ち、端末上部のイヤホンジャックを遊津に向ける。
《小さな番犬》の吠える声は大きくなった。
赤色のスマートフォンの振動が強くなった。
激しく振動するたびに、電車の屋根からスマートフォンは真上へわずかに跳ねている。
しかし、綾瀬が親指でホームボタンを長押ししたとき、《小さな番犬》の吠える声がわずかに弱くなった。
「ほんま面白いことを考えよるな、遊津の旦那。
──今回の戦いで勝つために、綾瀬の兄貴を『敷かれたレールの上』にうまいこと歩かせよったで」
遊津の担当チュートリアル、ハムスターのモグ吉は微笑みを浮かべた。
虎柄の応援メガホンを手に持ち、肩をポンポンと叩いている。
細長いヒゲは機嫌良さそうに上下に揺れていた。
「モグ吉先輩、いったいどういうことですか?
《小さな番犬》はプレイヤーに迫る危険度の高さに応じて、鳴き声と振動が大きくなるギアです。
今、遊津君はスマホを拾うこともできないのに、どうして《小さな番犬》の吠える声は弱くなったんですか?」
「そりゃ遊津の旦那に勝ち目が出てきたからやで、ジョン。
綾瀬の兄貴がとどめを刺すために、『対プレイヤー用レーザー』を放つ電力を溜め始めよったからな。
まあ詳しいことは見とったらわかるで」
3Dホログラムに映る遊津はうつ伏せに倒れたまま、対プレイヤー用レーザーを構えた綾瀬を見上げている。
歯を食いしばって起き上がろうとするが、アバターの上半身を浮かすこともできなかった。
顔にかけた眼鏡のレンズはひび割れている。
急に咳き込んで、シアン色の血を吐く。
だがしかし、《小さな番犬》の吠える声の音量はまた一段階下がった。
赤色のスマートフォンの振動も微かに小さくなる。
「DANGER」のポップアップが、スマホ画面で点滅する速度も遅くなる。
ほかのチュートリアルが考え込む中、野うさぎのキャロルは耳をピンと立てた。
顎に当てていた手を下ろして、ハムスターのモグ吉をまじまじと見つめた。
「……なるほど。遊津さんが何を狙ってるのか、おおよその見当はつきました。
こんな作戦を考えたことも驚きですが、それ以上によく見抜きましたね、モグ吉さん」
「この山手線バトルロイヤルの最中、ずっと気になっとったことがあったからな。
『イベントの序盤、なんで遊津の旦那は電車の屋根の上におったんやろ』って。
隠れるにせよ、戦うにせよ、もっとええ場所はいくらでもあるし。
──いま振り返ってみると、遊津の旦那は終盤の戦いを見据えて、作戦の下見をしとったたんやろ」
3Dホログラムに映る綾瀬は、光り輝くイヤホンジャックを向けている。
鮮やかなピンク色の照準点が遊津の額に浮かんでいた。
長押ししていた親指がホームボタンから離される。
輝きが強まったイヤホンジャックから、対プレイヤー用レーザーが放たれた。
鮮やかなピンク色のレーザー光線が駆け抜ける。
撃つ前に構えたところへ、猛スピードで向かった。
レーザー光線が迫って、最後尾の車両の屋根が明るくなる。
鮮やかなピンク色の光に、遊津の顔は照らされていく。
──リギュルル!
綾瀬のレーザー光線が命中する直前、遊津は電車の屋根を素早く転がった。
気合いで力を振り絞ったかのような回避動作。
落としたスマートフォンをつかみ、屋根の真ん中から右端へ回りながら移動する。
鮮やかなピンク色のレーザー光線は、誰もいなくなった屋根を貫通した。
遊津は顔をしかめて、親指でホームボタンを長押しする。
綾瀬は親指でホームボタンを連打した。
光ったイヤホンジャックから、レーザー光線より短い光の弾が連射される。
遊津は左へ転がったが、鮮やかなピンク色の光の弾は避けた先にも放たれていた。
1発目がナイフで斬られた傷口に命中!
続けて2発目、3発目、4発目と当たっていく。
それでも仰向けに倒れた遊津は、ホームボタンから親指を離さなかった。
反対の手で長押しした親指を押さえつけている。
全身が傷だらけになりながら、端末上部のイヤホンジャックに電気を溜めている。
《小さな番犬》の吠える声が小さくなった。
赤色のスマートフォンの振動が弱くなる。
遊津は両手でスマートフォンを構えて、ライトグリーン色の照準点を綾瀬に合わせた。
──ヴィギラァ!!
親指をホームボタンから離して、遊津は対プレイヤー用レーザーを撃った。
ライトグリーン色のレーザー光線が斜め上に駆け抜ける。
遊津に連射していた光の弾に衝突して、真正面から突き破った。
綾瀬の額をめがけて、レーザー光線は向かっていく。
綾瀬は脱力して、膝を少しだけ曲げた。
アバターが数センチだけ低くなる。
ライトグリーン色のレーザーが、綾瀬の頭上を通り過ぎる。
すかさず綾瀬は親指でナイフのアイコンをタップした。
鮮やかなピンク色の光の刃が、端末上部のイヤホンジャックから出現する。
遊津は電車の屋根に手をついて、アバターの上体を起こした。
滑らせるように足を動かして、後ろへ少しでも下がろうとする。
綾瀬が急速に接近して、対プレイヤー用ナイフで斬りかかってくるところを睨んでいる。
今にも遊津がとどめを刺されそうな中、チュートリアルたちは2人のプレイヤーの戦いを見ていなかった。
5匹とも電車の走る線路の先──「綾瀬が屈んで避けた直後に、遊津のレーザー光線が当たったモノ」に目を向けている。
線路の両側にある架線柱が転倒しないために、お互いを橋のようにつないで補強している鋼管。
これから電車が真下を通り過ぎようとしている鋼管には、対プレイヤー用レーザー光線で空いた穴が「2つ」ある。
武士丸は3Dホログラムに前足をかざして、電車がカーブに突入する前のログをさかのぼった。
遊津が綾瀬にナイフで斬られる前に撃ったレーザー光線は、カーブを曲がり終えた後に設置された鋼管──たったいまレーザー光線で撃ち抜いた鋼管に命中している。
左側の架線柱とのつなぎ目が、2発のレーザー光線で破損していた。
電車の屋根から高さ2.5メートルの位置から1メートル下に傾いている。
そして、仰向けに倒れた遊津がいるのは、最後尾の車両の屋根。
綾瀬は遊津を倒すために、先頭車両と真逆の方向を向いている。
線路の先に待ち受けている物を見えていない。
──『Fake Earth』は一瞬の隙が命取りになりうるゲーム。
──それゆえに「勝利」という果実が目の前にあれば、誰もがチャンスを逃すまいと手を伸ばす。
絶体絶命のピンチを逆手に取る、「自分自身」を囮にした視線の誘導。
時速80キロの速度で走る電車の屋根の上、斜め下に傾いた鋼管は綾瀬に背後から迫った。
──ガドボオンッ!
静かになった《小さな番犬》がお座りのポーズを取った瞬間、綾瀬の背中に鋼の柱が直撃する。
電車の車両を爆発したような衝突音が鳴り響いた。
綾瀬は勢いよく撥ねられて、前方車両の屋根の方へ吹っ飛ばされる。
衝突した鋼管は根元から折れて、真っ暗な線路に敷き詰められた石に突き刺さった。
宙に浮いた綾瀬は10両目の屋根へ落ちていく。
左右の眼球がぐらぐらと揺れていた。
対プレイヤー用ナイフを持った手が緩んでいく。
空中でアバターは270度回って、電車の屋根に激しくぶつかった音が響きわたる。
しかし、電車の屋根に顔を打ちつけた直後、綾瀬は真下へつま先を振り下ろして、アバターを瞬時に立ち上がらせた。
うつ伏せに倒れた状態から、手をつかない跳ね起き。
屋根にぶつけた顔が浮いたタイミングに合わせて、つま先で蹴った反動で素早く起き上がる。
10両目の屋根に落ちた直後の綾瀬を狙って、遊津が追い打ちで撃ったレーザー光線が避けられる。
《小さな番犬》がふたたび吠え始めた。
赤色のスマートフォンが振動する。
「DANGER」のポップアップが点滅する。
遊津は立ち上がり、口の端から流れた血を拭った。
綾瀬は静かに息を吐いて、俯いていた顔をゆっくりと上げた。
「……すみません、どうして綾瀬君は立ち上がれたんですか?
今の彼、脊椎と骨盤と大腿骨の3箇所は間違いなく折れてますよね」
「おそらく周りの筋肉や腱で動かしたんだよ、ジョン。
たとえば小指を前に倒せば、薬指もつられて前に倒れるだろう。
それと同じような理屈で、綾瀬は骨折した部位を間接的に操作して、アバターを無理やり立ち上がらせたんだ」
「つまり、『身体操作』の応用技ってことですか。
……もう驚くことはないと思ってましたが、まだまだ驚かされますね」
「本当に恐ろしいと思うよ。
遊津が有利になるたびに、綾瀬は自身の才能を覚醒させる。
戦いの最中に何度も成長するプレイヤーなんて、これほど嫌な対戦相手はいない」
──どうして例年のイベントより、今回の参加プレイヤーのレベルは高いのか。
カブトムシの武士丸は自分自身の発言を振り返る。
最終戦に残った2人のプレイヤーの戦いを観戦してわかったことは、遊津も綾瀬も「変化のスピードの早いプレイヤー」ということだった。
山手線バトルロイヤルを通して、綾瀬はもちろんのこと、遊津もイベントに参加する前と別人になったかのように急成長している。
明智彩花から『最小の回避術』を学習して、鋼管をぶつける作戦を成功させるために、対戦相手を思い通りに動かす立ち回りを身につけている。
様々な動機で参加した、異なるプレイスタイルを持ったプレイヤーたちと連戦することで、遊津と綾瀬は対戦相手の技術を盗んだり、無意識に何かをつかんだりしていた。
山手線バトルロイヤルをきっかけに、プレイヤーが覚醒する。
これは過去に開催したイベントでも数回あったことだ。
新人の域を超えたプレイヤーが活躍することも珍しいことではない。
だが、目覚ましい成長を遂げたプレイヤーが、2人同時に現れたのは初めてのことだった。
ライバルになることが宿命づけられているかのように、この2人のプレイヤーは『Fake Earth』へほぼ同時期に参加している。
彼ら以外にも、明智彩花を筆頭とした参加プレイヤーの何人かは、例年のイベントであれば優勝できた実力だった。
チュートリアルの質が向上しているとしても、直近3回のイベントの優勝プレイヤーより明らかに強いプレイヤーが多く参加しているのは異常でしかない。
これは奇跡的な確率で、優秀な新人プレイヤーが集まっただけなのか。
それとも、現実世界の変化するスピードが加速しているように、『Fake Earth』のプレイヤーの成長するスピードが加速していることの象徴なのか。
「ぼんやりしとったらあかんで、武士丸。
せっかく生で観戦しとるのに、面白い瞬間を見逃すのはもったいないことやからな~。
ほら、遊津の旦那と綾瀬の兄貴を見てみい!
──2人とも次で決める気マンマンの顔しとるで」
ハムスターのモグ吉は虎柄のメガホンで3Dホログラムを指す。
山の手線内回りの電車は原宿駅に停車していた。
発車ベルが1番線ホームに響きわたり、全車両のドアが一斉に閉まっていく。
次の駅を目指して、電車はふたたび動き出す。
遊津と綾瀬は睨み合ったまま、その場から1歩も動かなかった。
親指をスマホ画面に置いて、両手でスマートフォンを構えていた。
お互いに言葉を交わすことはない。
時が来ることを待つように、どちらのアバターも静止している。
《夢現電脳海淵城》ROOM-Cの円卓には、電車が線路を走る音だけしか聞こえなくなった。
チュートリアルたちは黙りこんで、3Dホログラムを食い入れるように見つめている。
2人のプレイヤーの距離は15メートル。
遊津の首から下は傷口から流れた血で汚れていた。
電車の屋根に頭を打ちつけて、綾瀬の髪はハチ周りまでシアン色に染まっている。
彼らを乗せた電車が進んでいく中、反対回りの電車が数百メートル先から向かってきた。
真っ暗な線路を先頭車両はライトで照らして、山手線外回りと内回りの電車はすれ違っていく。
先頭車両に背を向けている、綾瀬の影が遊津に向かって伸びた。
反対回りの電車のライトを浴びて、遊津の目は反射的に閉じかけた。
──スウォッ!!
綾瀬は全身から力を抜き、素早く前へ飛び出した。
地球の重力から解き放たれて、夜風になったような軽やかさ。
空気抵抗を極限まで減らすために、電車の屋根と平行になるくらい上半身を前へ傾けている。
転倒しそうな体勢を維持したまま、曲げた膝を伸ばした勢いで一気に加速した。
「Point make. ──《私は何者にもなれる》!」
素早く前へ飛び出した直後、綾瀬はギア名をつぶやいた。
小気味のいいシャッター音が鳴って、綾瀬の手首から先が透明の色に変わった。
両手で持っていたスマートフォンの筐体も消える。
鮮やかなピンク色の光の刃も消える。
綾瀬は左右の手を横に広げた。
どちらの手に対プレイヤー用ナイフを握っているのか。
まもなく振られるナイフの軌道が読みにくくなる。
遊津は両手で構えていたスマートフォンを下ろした。
綾瀬は光の弾が当たる射程にいるのに、親指でホームボタンを押そうとしない。
指先に息を吹きかけて、握っては開いて手の感触を確かめた。
コバルトブルー色のスクエア型眼鏡をかけ直す。
「礼を言うよ、綾瀬。
──お前と戦ったおかげで、俺自身の強さを上限解放することができた」
遊津は親指を動かして、爪を立てるようにホームボタンに添えた。
後ろに右足を引いて、重心を低く落とす。
前傾姿勢になった綾瀬と目線の高さを合わせる。
「──超接近射撃戦術『SEED』」
お互いの距離が2メートルに縮まった瞬間、遊津は綾瀬に向かって突っ込んだ。




