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超Q探偵  作者: XI
90/204

21-2

 酩酊状態のメイヤ君になんとか立ってもらって、ニルス氏と夜道を歩いた。道中、ニルス氏はやはり時折、咳をした。「本当にもう長くはないんですよ」と言いつつ、彼は月を見上げる。「ああ。いつ死んだっておかしくない。だからこそ、ささやかな場であろうと、僕はステージに上がることを望んでいて……」


 案内された先は、ニルス氏が住まうアパートだった。ソファセットがあるだけの狭い一室。温かみのあるオレンジ色のライトが淡く部屋を照らしている。「すみません。ちょっと失礼しますね」と言うと、彼は奥へと消え、やがてシャワーの音が聞こえてきた。


 真っ白なバスローブをまとったニルス氏が姿を現した。焼酎だろう。私の目の前のテーブル上で細いグラスにそれを注ぎ、茶色いポットを傾け、お湯割りにして出してくれた。ぐでんぐでんのメイヤ君が、こて、こてっと左右に首を傾ける。だけどそのうち目が覚めたようで、「あれ? あれれ? ここってどこなんですか?」と口を聞いた。


「つくづく、かわいらしいお嬢さんですね」

「えっ、それってわたしのことですか?」

「この部屋に他にお嬢さんはいませんよ」

「そう言われてしまうと、なんだか照れてしまうのですよ」


 メイヤ君は「てへへ」と頭を掻き、焼酎のお湯割りに口を付けた。「濃くないですか?」とニルス氏に訊かれると、「ちょうどいいです」と彼女は答え、ふーっと息を吐いた。


「ところで、貴方はどうして私を自宅に招こうと?」

「タイプの男性だったからです」

「タイプ、ですか」

「ええ。女性的な体になったことで僕の好みは変異して、だから男性に興味を持つようになったのかもしれない」

「悪い気はしません」

「貴方ならそう言うだろうなって思いました」


 メイヤ君はふーふーっとしきりに息を吹きかけつつ、お湯割りを口にする。「焼酎も美味しいですね」とのことだった。


「僕は帰還兵なんです」

「帰還兵?」

「ええ。もう十年も前になります。まだ若い時分に中東でゲリラに属していました。機関銃を携えて、ごうに潜み、死に物狂いで生きていたなあ」

「十年も前となると、貴方が二十歳はたちくらいの頃ですか」

「ええ」

「どうしてそんな状況に身を置かれていたんですか?」

「色々と情報を総合して考えた上での結論でした。当時の僕には義侠心のようなものがあって、だから、体制派の彼らが正義だとはとても思えなかった」

「そんな理由で反体制派にくみしていたんですか?」

「いけませんか?」

「いえ、いけないということはありませんが」


 私はニルス氏の背後の壁に吊るされているコルク製のクリップボードに目をやった。街の風景や筋雲が浮かんでいる空、それに異国を旅した時に撮ったのだろう、緑が生い茂る山々の景色など、様々な写真が貼りつけてある。中でも目を引くのは、テントをバックに白い布をかぶり、自動小銃を提げたニルス氏の姿がおさめられた写真だ。ベースキャンプで撮影されたものだと思われる。ヒトと戦うために、あるいはヒトを殺めるために内戦に参加していたわけだが、驚くほど穏やかな表情をしている。いつ殺されてもおかしくない環境で微笑むことができたのは、きっと撃たれる覚悟があったからだろう。


「神なんていない」


 ニルス氏がふいにそう言ったのを聞いて、私は彼に目を戻した。


「神様なんていないんですよ。そうであることを砂漠の戦場で思い知りました」

「そうですか」

「深くは問わないんですね」

「特に問う必要もないと思いますから」

「なるほど。貴方はやっぱり面白い」


 お湯割りを飲んでいたメイヤ君はまた酔いが戻ってきてしまったのか、体を丸めてソファの肘置きに頭をのせ、静かな寝息を立て始めた。その様子を見るニルス氏の表情は包み込むように優しい。


「探偵さん」

「マオといいます」

「では、マオさん」

「なんでしょう」

「僕には親友がいました。いや、僕が一方的にそう思っていただけのことなのかもしれないけれど」

「どういった人物なんですか?」

「うしろで縛った長く白い髪、それに陶器のように白い肌。彼は異常なまでに綺麗で、ぞっとするほど美観に優れていた」

「白い髪に白い素肌、加えて綺麗で美観に優れていた、ですか」

「心当たりでも?」

「最近、そのような人物と偶然に会いましてね」

「彼と同郷であることは、話をしているうちに知りました。あまり気の利いたところとは言えませんけれど、この街が僕と彼のふるさとなんですよ。戦場での彼は、それはもう軽やかだった。一度も振り返ることなく前だけを見ていて、そんな彼に対して、僕は憧憬の念すら抱いていた」

「それで、どうして親友だと?」


 ニルス氏は腕を伸ばして、ソファの背もたれに掛けてあった黒いジャケットを手にした。内ポケットから何かを取り出した。銀色をした楕円形の小さな金属だった。


「ご覧の通り、ドッグタグです」ニルス氏はそれを手渡してきた。「親愛なる君へ。そう言って、彼は僕にそれをくれたんです」

「親友かもしれないし戦友かもしれない。あるいは同志だったのかもしれませんね」

「貴方が出会ったという白髪の男はどのような人物でしたか?」

「ヒトを三人殺めた犯罪者です」

「ああ。彼ならそういった真似をするかもしれないなあ」

「なぜ、そう?」

「彼はヒトに何かを期待しているようでありながら、期待していないようでもあった。他者に希望を抱いているようであって、他者に絶望しているようでもあった」

「そのご意見と殺人とは結びつかない気がしてならないのですが」

「あるいは彼は世界の破滅を望んでいるのかもしれないということです」

「彼は世界を試していると?」

「例えばの話ですけれどね」

「だが、貴方は彼に愛されていた」

「愛されていたという表現は、いささか大げさかもしれないな」

「彼の名前はご存知ですか?」

「シノミヤ・アキラ。そう名乗っていました」

「ふむ……」

「貴方のルーツも、あるいは『そちら』なのでは?」

「そう見えますか?」

「この街のヒト達とは、少し雰囲気が違うように見受けられます」


 私はお湯割りをすすり、ふーっと息をついた。


「私の父は人殺しだったようです」

「人殺し?」

「ええ。父はアルコールばかりを飲む至極くだらないニンゲンだったのですが、ある時、酔いに任せて口にしたんです。俺はヒトを殺したんだ。それでこの国に、この街に逃げおおせてきたんだ。悪びれる様子もなく、そう言いました。そして、人殺しの息子だなんておかしいよなあと言って、私のことを笑ったんです」

「その時、貴方はどう思ったんですか?」

「ああ、そういうことなのかと理解しただけですよ」

「貴方らしい感じ方であるように思います」

「かつて、私には名前がありました。マキシマ・ユウキという名です、酔いの中にあって、父がいい加減に名付けたのでしょう」

「そのお父様はご存命で?」

「いいえ。アルコールに溺れて死にましたよ」

「お母様は? どうやってお父様とお知り合いに?」

「娼館で出会ったそうです。間違いなく貴方の子だからということで母は父に結婚を迫り、父はそれを渋々受け入れた」

「そのお母様は?」

「父が亡くなってまもなくして、やはり死にました。感染症だと医者から聞かされました」

「その後のあなたの人生は?」

くさめしを食い、くさい水を飲みました。そこから先は、まあ、ご想像にお任せします」

「今、マキシマ・ユウキと名乗られていないのはどうしてですか?」

「いい質問ですね。ただ」

「ただ?」

「人殺しの姓を、人殺しに付けられた名を名乗りたくない。それだけです」

「それじゃあ、マオという名は?」

「母の姓です」

「貴方には姓しか残らなかったんですね。マオという姓しか」

「そういう悲壮な見方もできますね。さて、まだ他に何かありますか? お若いサックス吹きさん?」

「ありません。もう充分に伺いました。ありがとうございました」

「ご感想は?」

「マオさん、貴方は物事を客観視しすぎているように思う」

「そうでしょうか?」

「名は捨てざるを得なかったにしても、自分のことくらい愛してあげるべきだと考えます」

「なぜ、そう?」

「自分を愛せないヒトは他者も愛せない」

「持論ですか?」

「ええ、そうです」


 ニルス氏はお湯割りをすすり、私もグラスを傾けた。


「どうしてだろう」私は黄ばんだ天井を仰いだ。「こんな話をヒトにしたのは初めてだ」

「確かに、貴方は好き好んで出自を語るようには見えない」ニルス氏は口元を緩めた。「だとすると、僕は聞き上手なのかな?」

「きっと、そういうことなんでしょう」

「貴方と接していると不思議な気持ちに駆られる。もっと早く、知り合いたかったな」

「私もですよ。本当に、そう思います」

「出会えたことに乾杯を」


 私とニルス氏は細いグラスを静かにチンとぶつけ合った。


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